【見つめる無哭】
乾いた砂地を蹴る音が、幾重にも重なって響いていた。
訓練場の中央で、数組の訓練生が模擬戦形式で打ち合っている。
動きは素早く、気迫もある。だが――。
「……おせぇ」
ガルドが立つのは訓練場の石塀脇。
腕を組み、背を壁に預けるようにしていたが、その赤い目はじっと訓練生たちの動きを追っていた。
「踏み込み甘ぇな。……剣先ばっか見んな」
低く押し殺した声が漏れる。訓練生が転がり、起き上がる。
後衛が遅れて駆け寄る。咄嗟の防御が間に合わない。
「……チッ、前に出て詰めろ」
訓練生に指示を飛ばしているわけではない。あくまで独り言だったが、隣にいるルシアンにはしっかりと届いていた。
がっちりと腕が組まれたまま、肩だけが小さく動く。イライラを噛み潰すような、鋭い舌打ちの音がした。
「――前線、交代ッ!」
指導教官の声が飛び、転がった訓練生のひとりが肩を抑えながら引き下がる。
入れ替わるように、控えていた別の組が踏み込んだ。
息を整える間もなく声を上げて駆け出した彼らの足取りは、さっきよりは幾分マシで。
――だが、ガルドの目は鋭いままだ。
「……位置が浅ぇ。背中空いてる。あれじゃ囲まれる」
小さく舌打ちが漏れる。
石塀に預けた背がわずかに浮き、足が一歩、無意識に地を踏む。
教えるつもりもないのに、身体が動きそうになっていた。
「チッ、ビビんなら剣置いて帰れ……くそ、踏み込め」
届かないはずの声が、空気を震わせる。
けれどその隣では、ルシアンの記録用紙にさらさらと筆記の音が走っていた。
書いていたのは、魔力流の乱れではない。隣から否が応でも聞こえてくる助言。――ついルシアンの口元が緩む。教えてあげればいいのに、と。
斜線の隙間に描かれた図には、"動きの遅れと踏み込み不足の因果"が、丁寧に記されていく。端の余白には、隣から聞こえた言葉の断片が静かに書き留められていた。
感知魔法を張る。魔力の流れを読む。訓練生の動きをみて、記録に起こす。
筆記具が走る音と、ルシアンの軽やかな動き。場内を半ば睨むような、ガルドの視線。
「なんでそこで切り込まねぇ……もったいねぇ……」
見るつもりはなくとも見えてしまう。隙も、動きも、流れも。
靴底が、苛立ったように地面を踏みしめた。
「ふふ、もう。……君も混ざってきたら?」
「ああ?」
不意にそう言われ、ガルドが怪訝そうにルシアンを見下ろした。
――何故俺が訓練を。そういう顔だった。
「もちろん受ける側じゃなくて、つける側だよ」
返事を待たずに、ふわりとルシアンが立ち上がる。やれやれとでも言いだしそうな笑みがひとつ。
淡色の外套が揺れ、静かな足取りは訓練を行っている教官のもとへ。笛の音とともに、訓練が一時的に止まった。
「記録補助員か、どうした」
端然と歩み寄ってきたルシアンに、教官が鋭く声をかける。
その圧にも一切揺るがず、淡紫の魔術師はただ、柔和な笑みで小首を傾いだ。
「教官殿。彼がうずうずしています」
「……彼?」
訓練生たちの視線が、一斉にルシアンが示した手のひらの先を追った。
当然示された先にいるのは、唖然とした顔で石塀にもたれていた大男――無哭。
何を――というような赤い瞳が光を受け、けれど確かに一瞬、訓練場の空気が強張った。
「えっ、……無哭が……」
「オイ待て嘘だろ……」
「やば……やばいって……!」
ざわつく訓練生をよそに、教官が眉を上げる。こちらは、わずかに愉快そうな表情だった。
「――ほう、無哭が……」
それきり、押し黙ってしまったギルド教官。すでに手は顎に添えられ、脳内では戦闘訓練の組み分けが行われてる。
そうしてルシアンの肩越しに見えたガルドの姿を、じっと見つめた。
「……頼んでもいいのか?」
「…………」
眉を寄せたガルドは応えない。ただ視線だけが、教官と交差する。
「これから訓練は後半戦に入る。……さすがに無哭殿が相手では、怪我は免れまい。……手加減してやってくれるか」
その言葉を合図に、見習いたちの顔色が次々と変わっていく。主に青く、白く。
武器を持つ手が強張り、足元がわずかに震える者もいる。
惜しい、命が。
けれど間違いなく、二度とない機会だった。
そんな中、ガルドは無言のまま、ゆっくりと石塀から背を離した。
分厚い外套をばさりと脱ぐ。ぱちり、胴の剣帯を外す。ガチャ、と音がしたのは、外した背の大剣を石塀に立てかけた音。
身一つで砂を踏む重い足音が、訓練場の中心へと響いていく。
一歩、もう一歩と進むごとに、訓練生の視線と足が後退った。
それと同時に、静かに押し迫る巨躯の気配とすれ違うように、するりと場外へ引いていく柔らかな気配。
石棚の脇に戻ったルシアンの手の中で、記録用紙がさらりと音を立てて捲られた。
ふふ、と喉の奥で笑う。まるで舞台の見物でも始まるかのような優雅さ。
この空間が、一体誰を楽しませるための場なのか。――それを知る者が、果たしてどれだけいるのか。
……ガツ、ガツ、と重たい足音が訓練場中央の土を踏みしめる。
赤い瞳が一巡するように訓練生を見回せば、息を呑んで空気が固まった。
「ああ、そうだ、よろしいでしょうか」
怖気づく訓練生たちに、遠くから軽やかな声が降ってくる。壁際で書板に目を向けたままのルシアンからだった。
火種を放るだけ放ってすっかり満足したような顔をしている魔術師は、ちら、とその銀の瞳を緩く持ち上げた。
「私、回復魔法の心得がありまして」
ざわり、と空気が波立つ。訓練場に響く声は、あくまで涼しげで、優しげで、柔和で、麗しい。――それだけで、訓練生たちが少し、ほっと緊張を解いた。
回復魔法が使える者がいるならば、無哭に挑んでみようか――そんな空気が漂う。
が。
「……ですので、万一死にかけても大丈夫ですよ。訓練頑張って?」
――容赦のない微笑みと、細められた銀の瞳。
――容赦のない睨みと、修羅のような赤い瞳。
……あ、俺ら死ぬんだ……。
訓練生たちの心は、……残念ながら、ひとつになった。
――【見つめる無哭】




