公開対決
ドアが、もう一度――ドン、と叩かれた。
会議室の蛍光灯が微かに揺れる。
外の無線が叫んでいるのが聞こえた。
「侵入者、複数! 入口突破――!」
宮本さん(LIV運用)が椅子から立ち上がりかけて、顔面蒼白のまま固まった。
「ここ、管理局の拠点ですよ……? どうして……」
女が短く言った。
「“拠点”だから狙う。証拠を押さえるために」
管理局の男は机の上の水を蹴り倒し、俺の前に立つ。
「配信は――」
「切らない」
俺はスマホを握り直した。
画面の隅、《支持率:56%》。左腕はまだ痛むが、針程度で耐えられる。
コメント欄には、さっきの単語が残っていた。
【鍵】
鍵。
今この瞬間に必要な鍵は、ドアの鍵じゃない。
“隔離”を固定する鍵だ。
人間の言葉と、機械のノイズ。その境界を――壊されないようにする鍵。
俺は息を吸って言った。
「採用――【鍵】」
《具現化 残り:?/??》が、また一瞬だけ揺れて――落ち着いた。
《隔離:固定》
《固定時間:10:00》
表示が出た瞬間、コメント欄の見え方が変わった。
上のレーンに、相変わらず機械的な【応援】の洪水。
でも――下のレーンには入ってこない。
下には、人間の言葉だけが残った。
【青】
【応援】
【落ち着け】
【生きろ】
【大丈夫か】
《支持率:56%》が《62%》まで戻る。
左腕の痛みが、さらに軽くなる。
「……効いた」
女が小さく息を吐く。
「隔離を“固定”した。これでノイズが混ざりにくい」
管理局の男が、俺のスマホを睨む。
「……そんな都合の良い」
都合が良いんじゃない。
俺が、死なないために必要なんだ。
そのとき、外で大きな音がした。
金属が床に落ちる音。怒鳴り声。
「止まれ! 管理局だ!」
次いで、落ち着いた声が響く。
「落ち着いてください。こちらは“安全管理”です。暴力はありません」
安全管理。
聞き覚えのある言い回し。
宮本さんが歯を噛み、呟いた。
「……D-ストリーム」
ドアの向こうが、静かになった。
そして、ノックが一回。
コン、コン。
さっきの乱暴さとは逆に、礼儀正しい音だった。
管理局の男がドアの前に立ち、短く言う。
「名乗れ」
外から、落ち着いた男の声が返る。
「配信権管理会社D-ストリーム。統括の——神崎です。
この配信者の“安全確認”に来ました」
女が吐き捨てる。
「安全確認で拠点に侵入?」
「侵入ではありません。緊急です。……あなた方も分かっているはずだ。
この配信は危険だ。世界に影響が出る」
世界を動かす。
さっき管理局の男が言った言葉を、敵も同じように言う。
胸の奥がムカついた。
管理局の男が、ドアを少しだけ開けた。
鎖をかけたまま、隙間から外を見る。
そこにいたのは、黒装備じゃなかった。
スーツの男。身なりが良くて、笑顔が薄い。
「神崎です。話せますか」
管理局の男が言う。
「ここは管理局の施設だ。勝手に踏み込むな」
神崎は笑った。
「管理局に用があるわけじゃない。配信プラットフォームに用があるわけでもない。
“彼”に用がある」
隙間越しに、神崎の視線が俺に刺さった。
「君。配信者だね。……君は今、偽公式アカウントに脅され、工作で支持率を揺らされている」
――知ってる。
当然だ。お前らがやってるんだから。
神崎は続ける。
「君を守る手段がある。
D-ストリームに所属しろ。
そうすれば、運営連携、スポンサー、警護、法務……全部つける」
コメント欄がざわつく。
【乗るな】
【利権屋】
【囲い込み】
【でも守りは必要】
【判断むずい】
《隔離:固定》のおかげで、ノイズの洪水が入ってこない。
人間の迷いだけが見える。重い。
神崎が、優しい声で言った。
「もちろん、拒否もできる」
言葉が、柔らかいまま鋭くなる。
「拒否した場合、君は“安全上の問題がある配信者”として扱われる。
通報は増える。世論は揺れる。運営は守りきれない。
そして——君は次にダンジョンで死ぬ」
宮本さんが机を叩いた。
「脅迫だ!」
神崎は肩をすくめる。
「現実です。君たちだって分かっている。
こういうものは、管理されなければ事故になる」
女が低く言う。
「事故を作ってるのはお前らだ」
神崎は笑ったまま、言葉を返さない。
その笑顔が、いちばん嫌だった。
管理局の男が、ドアの鎖を強く握る。
「帰れ。ここで交渉はしない」
神崎は、あっさり頷いた。
「分かりました。では、君に“選択肢”を提示します。配信者」
神崎が、スマホを軽く掲げた。
そして、ゆっくり言う。
「今、君の配信に——“本物の公式通知”を出せます」
その瞬間、俺のスマホが震えた。
《公式アカウント:重要》
《あなたの配信は重大な規約違反です》
《停止しない場合、永久停止となります》
《異議申立ては受け付けません》
宮本さんが叫ぶ。
「それも偽物です! うちの通知形式じゃない!」
神崎は、穏やかに言った。
「視聴者は形式なんて見ない。
“公式”と書いてあれば信じる。
そして支持率が落ちる。——君は苦しむ」
《支持率:62%》が《58%》へ落ちた。
左腕がピリッと刺される。
神崎が言った。
「ほら。もう効いている」
……ムカつく。
でも、ここで感情に飲まれたら負ける。
俺はスマホを顔の近くに持ち、はっきり言った。
「聞こえる人。今から“合言葉”を変える。
『青』は継続。追加で『角砂糖』。
この二つを打ってくれ。短くでいい」
コメント欄に、人間の言葉が並ぶ。
【青 角砂糖】
【青 角砂糖】
【青 角砂糖】
【応援】
【生きろ】
【青 角砂糖】
《支持率:58%》が、《61%》に戻る。
固定された隔離の下で、確かな“人間の柱”が立っていく。
神崎の目が、ほんの少しだけ細くなった。
「……面白い」
女が言う。
「工作が効かない」
神崎は笑顔のまま続ける。
「効かないなら、効くところを叩くだけだ」
神崎が指を鳴らした。
外で、別の男が無線で何かを指示する。
次の瞬間、俺の配信画面の上部に、赤い帯が出た。
《警告:通報件数が急増しています》
《配信は自動制限される可能性があります》
宮本さんが顔を青くする。
「……通報爆撃」
神崎が言う。
「これは“公式”じゃない。
これは“多数決”だ。通報が集まれば、システムは止める。
運営が止めなくても、機械が止める」
たしかに。
システムは、善意でも悪意でも止まる。
俺は深く息を吸った。
そして、カメラ――いや、音声の向こうの“人間”に向かって言った。
「今から、公開で証明する。
俺を脅してるのは“運営”じゃない。
俺を潰したい“会社”だ」
管理局の男が眉をひそめる。
「公開……?」
「ここで隠すと、ずっとやられる。
見てる人が一番多い今、逆に“証拠”にする」
宮本さんが、決断した顔で頷いた。
「……僕が言います。LIV運用として」
神崎が笑った。
「好きにしろ。視聴者が信じるかは別だ」
俺はスマホを机に置いて、言葉を噛みしめるように続けた。
「LIV運用の宮本さんが今ここにいる。
偽公式通知は、運営の形式と違うって言ってる。
――それでも“公式”だと騙すのが、D-ストリームだ」
神崎が肩をすくめる。
「名誉毀損だよ、配信者」
「じゃあ否定しろ。
今この場で、俺を脅した偽公式を止めてみろ」
一秒、沈黙。
神崎は笑ったまま、何もしない。
止められない。止める気もない。
宮本さんが、震えを抑えながら言った。
「聞いてください。LIV運用です。
あなたに届いている“公式通知”は、当社のものではありません。
なりすましです。ログを取っています。——必ず対処します」
コメント欄が揺れる。
【本物?】
【運用が出てきた】
【マジ?】
【じゃあさっきの公式は嘘?】
【角砂糖w】
【応援】
《支持率:61%》が《66%》へ上がる。
左腕が楽になる。身体が戻る。
神崎が、少しだけ苛立った声を出した。
「……運用が現場で発言? 滑稽だ。
そんな“中の人”を出すなら、こちらも“中の人”を出せる」
神崎がスマホを見せた。
画面には、見慣れない管理画面のようなものが一瞬だけ見えた。
詳細は見えない。
でも、ひとつだけ分かった。
こいつは、偽公式を“操作している”。
少なくとも関与している。
その瞬間、コメント欄に、短い言葉が流れた。
【録れ】
録れ。
……そうだ。今の一瞬を、証拠にする。
俺は即座に言った。
「採用――【録画】」
《具現化 残り:?/??》
《隔離:固定(残り 06:12)》の下に、新しい表示。
《証拠保存:開始》
スマホの画面が、一瞬だけクリアになった。
神崎が見せた“管理っぽい画面”が、音声の向こうの視聴者にも伝わる。
コメントが爆発した。
【今の何】
【操作画面?】
【黒すぎ】
【証拠】
【通報爆撃やってるだろ】
【角砂糖!】
《支持率:66%》が《72%》へ上がる。
固定された隔離の中で、人間の怒りが“味方”として燃え始める。
神崎の笑顔が、初めて崩れた。
「……君、面倒だな」
「面倒でいい。生きるために必要だ」
神崎がドアの隙間越しに、低い声で言った。
「では宣言する。
君のアカウントは、今日中に“止まる”。
君が配信を続ける限り、君の支持率は壊れる。
君が守りを求めるまで、続く」
そして、最後に。
「——次は、コメントじゃなく“現実”で落とす」
背筋が冷えた。
管理局の男が、鎖を強く引いた。
「帰れ」
神崎は、微笑んだまま踵を返す。
「またね、配信者。
面談は終わりだ。次は契約だ」
足音が遠ざかる。
会議室に残ったのは、息苦しい静けさと、スマホの振動だけだった。
宮本さんが、俺のスマホを見て言う。
「……通報爆撃、まだ続いてる。システム制限が入る前に、配信の形式を変えないと」
女が言った。
「“コメント欄で殺される”なら、コメント欄の形を変える」
管理局の男が俺を見る。
「次にやることは一つだ。
D-ストリームを止める。法務と捜査を動かす。証拠が要る」
俺は左腕を押さえながら、息を吐いた。
「証拠は取った。……でも足りない。
相手は金がある。逃げ道もある」
コメント欄に、最後に一行流れた。
【次は先手】
先手。
そうだ。次は、俺が先に動く番だ。
画面の隅、《隔離:固定》の残り時間が減っている。
《残り 04:58》
固定が切れたら、またノイズが押し寄せる。
その前に、次の一手を打たないと死ぬ。
俺はスマホに向かって言った。
「聞いてる人。次の配信は形を変える。
“通報爆撃”に強い形にする。
合言葉は――次回から毎回変える」
コメントが流れる。
【角砂糖w】
【応援】
【先手だ】
【やれ】
俺は、短く言った。
「……次回、D-ストリームの“名前”を、配信の場で出す」
宮本さんが目を見開いた。
「それは……」
女が頷く。
「戦争になる」
管理局の男が、冷たく言った。
「なら、勝て。負けたら死ぬ」
俺は笑った。
「勝つ。俺はもう、戻れない」




