規約違反
白い煙が、通路の奥まで一気に広がった。
ライトが霧に散って、距離感が死ぬ。目の前の壁すら曖昧になる。
「こっちだ!」
先頭の男――管理局の協力員が、迷いなく腕を引いた。
この人たち、少なくともダンジョンの中では慣れている。俺は言われるまま走った。
背後で、誰かが笑った。
「いいねえ、煙幕。配信者らしい“演出”だ」
演出じゃねえ。生存だ。
女が低い声で言った。
「……声が近い。複数。装備も重い。探索者じゃない可能性がある」
「探索者じゃないって、じゃあ何だよ……!」
若い男が半泣きで呻く。
俺も同じ気分だった。
スマホが震える。通知が重なる。
《公式アカウント:至急、配信を停止してください》
《あなたは規約違反の疑いがあります》
《運営判断により、配信は制限される可能性があります》
コメント欄が地獄みたいに流れる。
【運営きた】
【BANされたら終わり】
【止めるな】
【バックアップ取れ】
【煙で見えねぇw】
【規約違反って何】
【工作来てる】
【アンチ増えた】
“工作”の文字を見た瞬間、左腕がピリッとした。
嫌な痛み。さっきまでより、露骨に。
そして、画面の隅。
《支持率:82%》が、ぐらっと揺れて《76%》に落ちた。
「……おい」
一気に落ちるのはおかしい。
嫌な予感がした。
《悪意反動 軽減:中》が、薄くなって《軽減:小》に変わる。
痛みが増す。
アンチの言葉が、針になる。
【住所晒す】
【本名】
【死ね】
【消えろ】
「っ……!」
俺は歯を食いしばって、画面から目を逸らした。
見れば見るほど刺さる。見ないと状況が分からない。最悪の仕様だ。
女が俺の表情を見て察した。
「支持率が落ちてる? ……あなたの“能力”は、視聴者の反応に依存してるの?」
「たぶん、そうだ。応援が増えると痛みが減る。悪意が増えると刺さる」
「……じゃあ、狙われるのはダンジョン内だけじゃない。外からでも殺せる」
先頭の男が吐き捨てる。
「くそ。だから“配信”は危険なんだ」
危険なのは配信じゃない。
配信を利用してくる奴らだ。
煙の向こうから、金属の擦れる音。
ライトが二、三、点滅するように見える。霧の中で、光が揺れた。
「止まれ」
先頭の男が手を上げて、全員を止めた。
俺たちは壁際で息を殺した。
そして――見えた。
黒い装備。統一されたヘルメット。
探索者の装備とは違う。実戦というより“現場対応”の装備。
腰にぶら下がっているのは剣じゃない。丸い筒と、箱形の機械。
男が笑いながら言った。
「配信者くん、どこ行った? 運営からのお願い、聞こえてるよな?」
運営。
こいつら、運営側の人間?
女が小声で言った。
「……違う。運営の人間が、ダンジョン内で武装して追う? ありえない」
じゃあ何だ。
“運営を名乗って”動ける別の勢力。
先頭の男が歯ぎしりする。
「利権屋だ。ダンジョン配信の“権利”で食ってる連中がいる。視聴者を集める大手だけが儲かる仕組みを作ってる」
「俺みたいな無名がバズると困る、ってこと?」
「それだけじゃない。……お前の配信、映像に“ありえない現象”が映ってる」
盾。楔。煙。
確かに、普通なら“編集”か“仕込み”に見える。
男の一人が、腰の箱形の機械を取り出した。
アンテナみたいなものが伸び、青いランプが点く。
――ブゥン。
空気が、わずかに震えた気がした。
スマホの画面が一瞬フリーズし、画質が荒れる。
「……なにこれ」
若い男が震え声で言う。
「電波妨害だ。配信を切らせる気だ」
コメント欄に、同時に文字が流れた。
【止まった】
【配信重い】
【音途切れた】
【運営BANじゃなくて妨害?】
【やばい】
【逃げろ】
画面の隅、《支持率》がさらに落ちた。
《76%》→《68%》→《61%》
落ちるたび、左腕が刺される。
悪意コメントが増える。増えるほど刺さる。刺さるほど冷静さが削られる。
「……くそ。これ、“支持率を落とす”のが目的だ」
女が頷く。
「工作アカウントでアンチコメントを増やしつつ、妨害で“応援が届かない”状態にする。支持率が落ちれば反動が増える。あなたは勝手に崩れる」
「そんな……」
先頭の男が短く言った。
「殺し方として最悪だな」
背後から、あの笑い声がまた近づく。
「おーい、配信者くん。危ないから配信やめようなぁ? 規約違反だもんなぁ?」
規約違反。
その言葉が、笑いの道具になっている。
俺はスマホを握りしめた。
配信を切ったら、俺の武器が消える。
でも続けたら、妨害で応援が減って支持率が落ちる。
詰み。
――いや。
詰みじゃない。
やれることがある。
俺はコメント欄に向かって、息を切らしながら言った。
「聞こえる人だけでいい。短くていい。『応援』って打ってくれ。」
女が目を見開いた。
「……視聴者に指示?」
「俺の痛みが軽くなる。多分、“支持率”が戻る」
先頭の男が吐き捨てる。
「バカげてる……が、他に手は?」
スマホがまたブレる。電波が死にかけている。
でも、数秒だけ繋がっている。
コメントが流れた。
【応援】
【応援】
【応援】
【応援】
【生きろ】
【負けるな】
【応援】
――ピリッ。
痛みが、少し引いた。
《支持率:61%》が、《64%》に戻る。
小さい。けど、確かに戻る。
「効く……!」
そのとき、背後の黒装備が叫んだ。
「おい、妨害強めろ! 応援が入ってる! “支持”が戻ってる!」
やっぱり。こいつら、支持率を見てる。
つまり――“俺の仕様”を知ってる。
先頭の男が一歩踏み出した。
「お前ら、何者だ。ここは管理局の――」
「黙れよ臨時協力員。お前は“雇われ”だろ?」
黒装備の一人が、ヘルメットを少し上げて笑った。
目が冷たい。
「これは事故じゃない。コンテンツだ。事故にされたら困る」
コンテンツ。
ダンジョンの命を、視聴者の数字で呼ぶ言い方。
女が低く言う。
「……利権側で確定」
黒装備の男が、俺のほうを指差した。
「配信者くん。簡単な話だ。今すぐ配信を切れ。で、上と話せ。所属を決めろ」
「所属?」
「お前の配信、伸びる。伸びるなら“管理”が必要だ。勝手に伸びると困る。事故が増える。スポンサーが逃げる。金が動かない」
つまり、自由にやるなってことだ。
俺は息を吸った。
腹の底が熱くなる。
「……俺は、誰の許可もなく配信する」
「ほう」
「俺は、俺の人生を取り戻すためにやってる。お前らの金のためじゃない」
黒装備の男が笑った。
「じゃあ死ね」
その瞬間、箱形の機械が鳴った。
ブゥン、と音が大きくなる。
スマホの画面が真っ黒になりかける。
電波が切れる。応援が届かない。支持率が落ちる。反動が増える。
殺される。
――間に合わない。
俺は、最後の手段を選んだ。
「採用……!」
具現化枠は、ゼロ。
でも、画面の隅が一瞬だけ光った。
《支持率:64%》
《具現化枠 回復:1》
回復。ギリギリで戻った。
コメント欄に短い文字が滑り込む。
【遮断】
遮断。
……短い。強い。危険だが今必要。
俺は叫んだ。
「採用――【遮断】!」
《具現化 残り:0/3》
瞬間、俺たちの周囲の空気が“膜”みたいに歪んだ。
黒装備の妨害機の音が、急に遠くなる。
ライトの光が、膜で散って“届かない”。
「……何だこれ!?」
黒装備の男たちが騒ぐ。
妨害が効かない。電波が戻る。コメントが流れる。
【応援】
【応援】
【応援】
【今の何】
【バリア?】
【やべえ】
【逃げろ!】
《支持率》が戻る。
《64%》→《71%》
左腕の痛みが軽くなる。
呼吸が戻る。
女が息を呑んだ。
「……遮断って、電波妨害を遮断してる?」
「わからない。でも、今は繋がってる!」
先頭の男が即断した。
「撤収! 今だ!」
俺たちは走った。
膜は長く持たない。直感が言っている。
背後で黒装備が怒鳴る。
「囲め! 逃がすな! 配信者だけでも押さえろ!」
その瞬間、別の声が通路に響いた。
「――動くな」
低い。よく通る声。
煙の向こうから、別のライトが差し込む。数が多い。
黒装備が一瞬止まった。
「……チッ。来やがったか」
現れたのは、管理局の本隊だった。
制服の上に装備。胸にエンブレム。
先頭に立つ男が、俺を見て言った。
「君が配信者か。……話は後だ。今は保護対象だ」
黒装備の男が吐き捨てる。
「管理局が首突っ込むなよ。これは――」
「事故だ」
管理局の男が冷たく言った。
「一層に鎧騎士。想定外出現。調査案件。君たちの“コンテンツ”ではない」
空気が一瞬、凍った。
黒装備の男が俺を睨む。
「……いいか。配信者。次は外で会う。お前の支持率なんて、いくらでも落としてやる」
そう言い残して、黒装備は煙の向こうへ退いた。
管理局の男が俺に近づき、スマホを見た。
配信画面。コメント欄。支持率表示。
「……本当に、見えてるのか。これは」
俺は息を吐いて、頷いた。
「見えてる。……俺だけの、変な表示だ」
男は短く言った。
「君は“異常個体”扱いになる。だが――」
目が、少しだけ柔らかくなる。
「君がいなければ、今日は死人が出ていた。助かった」
その瞬間、スマホが震えた。
また通知。
《公式アカウント:配信停止の要請》
《停止しない場合、アカウントに制限をかけます》
《協議のため、面談を要請します》
俺は笑った。乾いた笑いだ。
「運営も来る。利権も来る。管理局も来る。……俺、どこにも逃げ場ないな」
女が隣で言った。
「逃げ場は作る。まず外へ出る」
管理局の男が頷く。
「外で“守る”。その代わり、君は全部話せ。何が起きているか。誰が仕掛けているか。君の“コメント具現化”が何なのか」
俺はスマホを見た。
コメントが流れる。
【応援】
【応援】
【生き残れ】
【次回が気になる】
【面談編くるw】
【運営ざまぁして】
画面の隅、《支持率:71%》。
生きてる。
俺は、スマホに向かって小さく言った。
「……次回、やる。絶対に」
暗闇の奥で、誰かが笑った気がした。
今度は、黒装備じゃない。もっと遠い、別の笑い。
そして、管理局の男が最後に言った。
「君の配信は――世界を動かす。それを嫌う人間が必ず出る。覚悟しろ」




