支持率
暗闇の奥で鳴った音は、さっきの骸骨よりずっと重かった。
床が、微妙に震える。
遠くで金属が擦れるような、嫌な響き。
俺は一歩だけ下がって、息を整えた。
やばい。今の俺は――具現化の残りがゼロだ。
スマホの画面の隅で、《支持率:—% 集計中》が点滅している。
支持率。
何の支持だ。誰の何が、どう集計されてる。
コメントは相変わらず流れる。
【支持率って何】
【投げ銭的なやつ?】
【好感度だろ】
【アンチ死ね】
【NGワード設定しろ】
【運営見てるぞ】
“運営見てるぞ”の一行に、背中が少し冷えた。
配信プラットフォームの運営か。ダンジョン管理局か。
どっちでも嫌だ。
左腕が、またピリッとした。
さっきの【次は死ねw】が、まだ残ってるみたいに。
「……まずいな」
俺は言いながら、通路の壁に背中をつけた。
カメラは切ってない。切りたくない。
ここで切ったら、俺の“武器”が消える。
コメント欄が、ふっと落ち着く。
【深呼吸】
【一旦戻れ】
【無理すんな】
【落ち着け】
【応援】
“応援”の文字が流れた瞬間、左腕の痛みが少し引いた。
……やっぱり。
悪意は刺す。善意は相殺する。
「支持率って、そういうことか?」
俺が呟いた瞬間、画面に小さな文字が浮かび上がった。
《支持率:集計中》
《現在の視聴者反応を解析しています》
《悪意コメントの反動は支持率により軽減されます》
「……解析って何だよ」
コメントが笑う。
【システムメッセージw】
【主人公だけ説明書ついてる】
【反動軽減はデカい】
【つまりアンチも燃料】
燃料。
ふざけた言い方だが、否定できない。
遠くの足音が、また鳴った。
近い。こっちに向かってきてる。
俺は通路の角をそっと覗いた。
暗闇の向こうに、青い火が見えた。
骸骨じゃない。もっと大きい。
鎧の形が、異様に“厚い”。
――鎧騎士。
人間サイズより二回り大きい、古い甲冑。
中身が空っぽなのに動いてるみたいな、あれ。
しかも、手に持っているのは槍じゃない。
大剣だ。
「……一層の“外れ枠”じゃねぇか」
視聴者数が「180」。
コメントが一気に跳ねる。
【うわ出た】
【鎧騎士は無理】
【逃げろ】
【壁際】
【足元狙え】
【盾欲しい】
【次の具現化まだ?】
盾。欲しい。
でも枠がない。
俺は唇を噛んで、スマホに向かって言った。
「支持率、早く出せ。今、必要なんだ」
まるで命乞いみたいな言い方になって、自分で腹が立つ。
でも、これが現実だ。
《支持率:算出中》
《しばらくお待ちください》
ふざけんな。
鎧騎士が、ゆっくりこちらに顔を向けた。
甲冑の隙間から、青い火が覗く。
目が合った気がしただけで、喉が鳴った。
大剣が持ち上がる。
空気が重くなる。
コメントが流れる。
【塩は効かない】
【関節は硬い】
【背中の隙間】
【罠使え】
【罠だ罠】
罠。
そうだ。さっきの通路には罠があった。
床が沈んで杭が落ちるやつ。
俺は後ずさりした。
鎧騎士に背中を向けない程度に、ゆっくり、ゆっくり。
鎧騎士が追ってくる。
一歩。二歩。
そのたびに床が震える。
角を曲がる。罠の床が見えた。
杭が落ちた跡の穴。まだ作動するか分からない。
「頼むぞ……」
俺は小石を拾って投げた。
――カチ。
床が沈み、天井から杭が落ちた。
まだ生きてる。よし。
俺は罠の手前で止まり、鎧騎士を待った。
鎧騎士は止まらない。
そのまま踏み込む。
――カチ。
床が沈む。杭が落ちる。
……刺さらない。
杭は鎧騎士の肩に当たって、火花を散らしただけで弾かれた。
甲冑が硬すぎる。
「は!? うそだろ!」
コメントが荒れる。
【草】
【硬すぎ】
【罠無効かよ】
【じゃあどうすんの】
【支持率はよ】
鎧騎士が大剣を振り上げた。
通路が狭いのに、刃が壁に当たらない。
“ちょうどいい軌道”で振れるように作られてるみたいだ。
俺は反射でしゃがんだ。
刃が頭上を通り、壁を削って火花が散る。
風圧で耳が痛い。
「……終わるぞ、これ」
そのとき。
《支持率:82%》
《具現化反動 軽減:中》
《具現化枠 回復:1》
画面の隅に、見慣れた表示が復活した。
《具現化 残り:1/3》
「……来た!」
コメント欄が爆発する。
【きたああ】
【82は高い】
【今だ】
【盾!】
【壁!】
【止めろ!】
【回復の条件それか】
【アンチざまぁ】
俺は迷わなかった。
短くて、確実に必要なもの。
「採用――【盾】!」
空気が割れる。
透明な盾が目の前に生まれる。
鎧騎士の大剣が、俺の盾に叩きつけられた。
――ドンッ!
今までの金属音とは違う。
胸に響く衝撃。
腕が持っていかれそうになる。
でも、止まった。
刃は盾にめり込まない。
盾の表面が波打って、衝撃だけを吸い込む。
「……耐えた!」
俺は盾を押し返しながら、目線だけで周囲を探した。
鎧の隙間。背中。関節。
どこでもいい、弱点。
コメントが流れる。
【背中の留め具】
【腰】
【腰の隙間】
【大剣重い、次の振り遅い】
遅い。
そうだ。大剣は重い。振った後に“戻り”がある。
俺は盾で受けたまま、一歩だけ横にずれた。
鎧騎士の刃が壁に触れて、火花が散る。
その一瞬、鎧騎士の腰の隙間が見えた。
「……ここだ」
俺は短剣を逆手に握り直す。
盾で受けながら、腰の隙間へ突き刺した。
――ギン。
硬い。入らない。
「くそっ!」
左腕がピリッとした。
コメントが刺さる。
さっきより軽いのは支持率のおかげだ。でも、痛い。
コメント欄に一行。
【楔】
楔。
……短い。具体的。
“隙間に打ち込め”ってことか。
俺は息を吸った。
「採用――【楔】!」
《具現化 残り:0/3》
手の中に、硬い金属片が現れた。
小さい。三角形。
ドアの隙間に打ち込むやつ。
俺はそれを腰の隙間に押し込み、短剣の柄で叩いた。
――カンッ。
楔が噛み込む。
鎧騎士の動きが一瞬、止まった。
青い火が揺れる。
「……止まった!」
コメントが叫ぶ。
【今!】
【抜け!】
【中身!】
【火!】
俺は楔をさらに叩き込む。
鎧の継ぎ目が、わずかに開いた。
そこから、青い火が漏れる。
まるで呼吸みたいに、脈打ってる。
俺は短剣を突き刺した。
――ズン。
今度は入った。
青い火が、びくっと跳ねる。
鎧騎士が、初めて“苦しむ”みたいに大きく揺れた。
大剣が床に落ち、甲冑が崩れそうになる。
視聴者数が「300」。
コメントが滝みたいに流れた。
【神回更新】
【楔天才】
【盾受けからの楔は強い】
【切り抜き不可避】
【スポンサー来るぞ】
【運営ほんとに来るぞ】
“スポンサー”。
“運営”。
現実の匂いが濃くなる。
鎧騎士が膝をついた。
青い火が、弱くなる。
俺は息を吐いて、カメラに向かって言った。
「……支持率。これが、俺の“弾”だ」
その瞬間、画面に通知が一つ出た。
《公式アカウント:あなたの配信を確認しました》
《確認のため、次回配信前に連絡してください》
「……は?」
コメント欄が一斉に湧く。
【運営来たw】
【終わった】
【BANか】
【逆に伸びる】
【次回もやれ】
【逃げろ】
俺は鎧騎士の残骸を見下ろした。
青い火は、もう消えかけている。
そして、暗闇の奥から――別の音。
今度は、複数。
しかも、人の足音が混じっている。
誰かが来る。
探索者か。管理局か。利権か。
《支持率:82%》の表示が、まだ消えない。
俺は笑った。乾いた笑いだ。
「……次回、確定だな」
暗闇の向こうで、誰かが言った。
「今の、配信してたのか?」




