目印の先
矢印の先から聞こえた足音は、ゴブリンのそれじゃなかった。
重い。湿っている。……引きずるみたいな、嫌な音。
俺は呼吸を浅くして、壁際に寄った。
左手首の光球が通路を白く照らし、苔の影が揺れる。
スマホを見る。視聴者は「2」。
コメント欄には、さっきの【目印】だけが残っている。
「……これ、どこまで案内するつもりだよ」
矢印は分岐の右を指していた。
左の通路は静かで、右の通路だけが……“臭い”。腐った水の匂いが濃い。
踏み出しかけて、止まる。
ソロで無理をして死ぬのが一番ダサい。配信も終わる。人生も終わる。
そのとき。
【止まれ】
短いコメントが流れた。
同時に、床の矢印が“赤”に変わり、俺の足元で小さく点滅した。
「……止まれ、って」
俺は反射で後ろに下がった。
――カチ。
今、俺が踏み込もうとした床の一枚が沈んだ。
遅れて、天井の隙間から黒い杭みたいなものが落ちる。
床に突き刺さり、石が砕けた。
「……トラップかよ!」
背筋に冷たい汗が流れる。
ほんの一歩で、終わってた。
俺はカメラに向かって小声で言った。
「今のコメント、ありがとう。マジで助かった。……どうやって分かった?」
返事はない。けど、すぐに別のコメント。
【石投げ】
「……石?」
俺は足元の小石を拾う。
試しに、罠の床へ軽く投げた。
――カチ。
床が沈み、また杭が落ちた。
「あぁ……“踏む前に作動させろ”ってことか」
視聴者数が「3」になった。
コメントが増える。
【先に確認】
【慎重に】
【右は罠多い】
【左から行け】
情報が、急に“作戦会議”っぽくなる。
俺は喉を鳴らした。
「……左、行く」
矢印は赤のまま、左を指し直した。
どうやらコメントで“更新”されるらしい。
左の通路は狭く、曲がり角が多い。
俺は言われた通り、曲がる前に小石を投げて罠を潰しながら進んだ。
その先で、腐臭が再び濃くなる。
角を曲がった瞬間――“それ”がいた。
腹が地面に擦れるほど膨れた、巨大なナメクジ。
粘液が床を覆い、光球が反射してぬらぬら光る。
俺の靴が、ずるっと滑った。
【滑る】
【退け】
【塩】
「塩……!?」
塩なんて持ってない。
でも、コメントは短いほど現実化しやすい気がする。
俺はスマホを睨んだ。
「塩、って……出るのか?」
次の瞬間、俺のポーチの中で“ざりっ”と音がした。
開けると、小袋が一つ増えている。
白い粒。塩だ。
「……出た」
ナメクジがこちらに向けて口を開く。
酸っぱい匂い。粘液が飛ぶ。
俺は塩を床に撒いた。
粘液の上に白い線が走る。
ナメクジが線に触れた瞬間、びくっと痙攣し、身を引いた。
【効く】
【もっと撒け】
【目】
コメントが流れる。
俺は息を吸って、塩を握りしめた。
「……狙う」
ナメクジの“目”らしき突起に向かって塩を投げつけた。
――ギィィッ。
耳障りな悲鳴。
ナメクジが暴れ、粘液が飛び散る。
視聴者数が「5」になった。
【神回】
【それだ】
【次、深く行ける?】
俺の心臓が跳ねる。
いける。いけるけど――。
ナメクジの奥、暗闇のさらに奥から、別の足音がした。
今度は、硬い。金属みたいな音。
コメントが一行、流れた。
【来る】




