声の主
煙の中で、笑い声がもう一度だけ響いた。
「やっぱ配信、面白いね」
……軽い。余裕がある。
“こっちが必死だって知ってる”声だった。
若い男が震えながら言った。
「それ、俺じゃない。マジで……!」
女が即座に周囲を確認する。
屋根上は煙で見えない。倉庫街の路地は音が反射して、方向が掴みにくい。
管理局の男が低く言った。
「声の発信源を探せ。近い。……この距離で言えるなら、視界にいる可能性がある」
宮本さんがタブレットを握りしめたまま、俺のスマホ画面を見る。
《遅延:00:30》
《イベント保護:有効》
「遅延が落とされた。敵が“今”を見てる」
俺の喉が乾く。
セーフモードに逃がしても、敵は追いついてくる。
そのとき、バンの中の“工作端末”の一台が、ピロン、と鳴った。
女が反射で端末を掴む。
「……通知」
画面には、短いテキスト。
「撤収。証拠は捨てていい。
配信者だけ追え。
――黒田」
黒田。
さっき現場班が吐いた名前。
管理局の男が、即座に言った。
「その端末、回線生きてるか?」
女が頷く。
「生きてる。……VPNっぽいけど、今なら繋げる」
宮本さんが歯を食いしばる。
「遅延を落としたのも、そこ経由かもしれない。運用権限じゃなく、配信者端末の“設定”を奪ってる可能性があります」
「奪ってる?」
「ログインセッション。認証トークン。……要するに、あなたの枠に入る“鍵”を持ってる」
鍵。
また出た言葉が、胃の奥を冷やす。
女が端末の通知履歴を開いた。
そこに“音声”が一件、残っていた。
再生ボタン。
女の指が止まる。
「……さっきの声、これだ」
女が押す。
スピーカーから、同じ声。
「やっぱ配信、面白いね。
君、隔離とか煙とか、いい反応する。
——壊れる寸前が一番きれいだ」
背筋が凍る。
冗談みたいに軽いのに、言葉が刃だ。
管理局の男が、氷みたいな声で言った。
「……黒田だな」
女が端末を掲げる。
「ここに発信元が残ってる。通話履歴もある」
管理局の男が言う。
「かけろ。今すぐ。録音しろ」
宮本さんが青い顔で首を振る。
「通話したら位置が割れる可能性が——」
「逆だ。こっちが割る」
管理局の男は迷いがない。
俺はスマホを握り、遅延が30秒のままなのを思い出す。
……敵に見られてる。
でも、ここで逃げるだけなら、また同じだ。
女が通話ボタンを押した。
——ツー、ツー。
一回で繋がった。
「はい」
黒田の声。
さっきの“軽い笑い”と同じ。
女が言う。
「黒田。D-ストリームの現場統括」
黒田は笑った。
「へぇ。管理局? それとも運営? どっちでもいいけどさ。
その端末、持ってくれたんだ。ありがと」
管理局の男が、低く言う。
「現行犯で機材押収。偽公式、通報爆撃、追跡タグ、狙撃。
全部揃った。終わりだ、黒田」
黒田は、鼻で笑った。
「終わり? それはないね。
現場班は切り捨て。機材は替えが効く。
……でも配信者は替えが効かない」
女の視線が、俺を刺す。
黒田が続ける。
「君たち、勘違いしてる。俺らの目的は“配信”じゃない。
配信はただのインターフェース。
本命は――彼の能力だ」
管理局の男が言う。
「能力?」
黒田は楽しそうに言う。
「コメントで物が出る。隔離ができる。盾が出る。
あれ、すごいよ。
しかも“支持率”で出力が変わる」
その言葉で、俺の心臓が跳ねた。
「……支持率、知ってるな」
黒田は笑う。
「当たり前じゃん。
上げたら枠が一時解放されたの、覚えてる?
79%から32%に落ちたやつ。
あれ、テストだよ。過負荷の反動を見たかった」
……あの痛み。
あれは、実験。
俺の喉から声が漏れた。
「ふざけんな……」
黒田は軽い口調で言う。
「ふざけてない。真面目。
君の能力は“制御できる”。
つまり商品になる。
スポンサー? 利権? そんなのは前菜。
本命は——君を“装置”にすることだよ」
管理局の男が、一段低い声で言った。
「どこにいる」
黒田が笑う。
「探してみなよ。
追跡タグ、今度は“逆”に使えるんでしょ?
……あ、でもさ」
黒田の声が、少しだけ冷たくなる。
「遅延、30秒にしたのは俺。
君の“セーフモード”がどれだけ強いか、見たいんだ」
宮本さんが息を呑む。
「……やっぱり、枠の鍵を持ってる」
黒田が続ける。
「内通者? いるよ。もちろん。
でも君たちが思ってるより近い。
“この場”にいるとは限らないけどね」
女が言う。
「脅し?」
「ヒント。
君たち、焦って疑い合うでしょ? それで勝手に壊れる。
配信者と同じ。支持率と同じ。
……崩れる瞬間が一番好き」
管理局の男が言った。
「通話は記録した。お前は終わりだ」
黒田は、ため息まじりに言った。
「じゃ、次。配信者くんに伝えて。
“現実で落とす”って言ったよね?
——今、外。見て」
女が即座に倉庫の外へ目を向ける。
煙の向こう。
街灯の下に、黒い影が一つ。
手を振ってる。
……近い。
さっき逃げた狙撃手とは別だ。人影が増えてる。
管理局の男が叫ぶ。
「撤収! 今すぐ!」
女が俺の腕を掴む。
「走る!」
宮本さんがタブレットを抱えたまま続く。
若い男が口を押さえて頷く。
スマホの投票が一気に動く。
【煙】が伸びる。
【隔離】が伸びる。
視聴者は状況を分かってる。遅延30秒でも、恐怖は伝わる。
俺はマイクに向けて短く言った。
「押すなら【煙】。次【隔離】。今だけでいい!」
投票が確定。
《採用コマンド:煙》
《具現化枠 消費:1》
《具現化 残り:0/3》
煙が、もう一段濃くなる。
外の影がぼやける。距離が消える。
女が叫ぶ。
「右!裏路地!」
管理局の男が無線に怒鳴る。
「本隊、倉庫A-17撤収! 接触あり! 増援!」
俺たちは走った。
煙の中、視界は最悪。
でも、盾がある。隔離がある。コマンドがある。
投票が【隔離】で確定する。
《採用コマンド:隔離》
《具現化枠 回復:1》
《具現化 残り:0/3》
音が遠くなる。
ライトの反射が鈍る。
“追うための情報”が削られる。
背後で、黒田の声がスピーカーから聞こえた。
通話はまだ繋がっている。
「ほらね。面白い。
逃げながらコマンド押させるの、最高」
俺は叫んだ。
「——お前、絶対潰す」
黒田は笑った。
「潰せるならね。
でも君、理解したでしょ?
支持率が揺れる限り、君は揺れる。
君が配信する限り、俺は触れる」
通話が切れた。
——ツー、ツー。
残ったのは、風の音と自分の息。
管理局の男が息を切らしながら言う。
「今の通話、十分だ。黒田は自白した」
宮本さんが震える声で言った。
「でも……遅延を落とされた。鍵を握られてる。
次の配信枠も、同じやり方で触られる可能性がある」
女が短く言う。
「つまり、内通者の問題は“人”じゃない。
“鍵”だ。どこかに、奪われている」
若い男が泣きそうな声で言った。
「じゃあ、どうすんの……」
管理局の男が、冷たく言った。
「鍵を捨てる。
——新しい鍵を作る。敵が触れない形で」
俺はスマホを見た。
セーフモードのボタン。投票。
視聴者はまだ押している。
俺はまだ生きている。
そして、画面の端に小さく表示が出た。
《支持率:計測=投票(安定)》
《外部干渉:検知》
《干渉源:—》
干渉源は、まだ見えない。
でも“検知”できるようになった。
隔離と鍵で、境界が作れたからだ。
俺は息を吐いて言った。
「……次は先手。
黒田が触れない“場”を作る。
視聴者も、敵も、運営も、管理局も——全員が見てる場所で」
女が眉をひそめる。
「公開裁判みたいにする?」
「そう。逃げ場を消す」
管理局の男が頷いた。
「なら“公式”を使う。管理局の公式発表と、運営の公式発表を同時に出す。
黒田が偽公式を投げても、信じる土俵がなくなる」
宮本さんが言う。
「僕がやります。LIVの“本物の公式”で出します。
ただし——内部の鍵が奪われてるなら、先に“認証”を固めないと」
俺はスマホのマイクに向かって言った。
「聞いてる人。次の配信は“公開検証”にする。
合言葉は現場で変える。
コマンドは増やす。——敵が混ぜられない形にする」
投票が揺れる。
【盾】が伸びる。
【煙】が伸びる。
視聴者の“意思”が見える。
そのとき、管理局の男の無線が鳴った。
「黒いバン、もう一台。こちらに接近中」
男が短く言った。
「……まだ終わってない。走れ」
俺は歯を食いしばって、走った。
——次は、逃げながらじゃなく、
こっちから“場”を指定して戦う。
黒田が触れない場所で。




