3 兄様に勝つ為には
最強を超える最強の婚約者探しのため、最初に私が訪れたのは先日振られたばかりのアレクシス様のところだった。
今度は訓練場ではなく、アレクシス様の住む邸宅だ。
「――――はぁ、それで君たち兄妹はあんなことになっていると」
そもそもどうしてアレクシス様がいきなり兄様と決闘させられかけたかについて最初から説明すれば、アレクシス様はなんとも言えない表情になってしまった。
「そうなんです。だから、アレクシス様は何も悪くないので気にしないでください。どうしても謝りたいんだったら、大賢者に勝てる人を紹介してくれると嬉しいです。むしろ、紹介してください。今日はそのために来たんですから」
「うぅ、普通に謝罪したいんだけどな……」
私が詰め寄ればアレクシス様は苦笑いだった。
実は今日は正式に私へ謝罪をしたいということで招かれていたのだが、私は謝罪よりも新しい婚約者候補が欲しかった。
「というか、大賢者様が結婚するなと言うのならそれでいいんじゃないか? 恩返しなら、他にできることはあるだろう。あの人なら、君が何をしたって喜びそうな気がするんだが」
最後の一言は、兄様と私は一体周りからどんな風に見られているのか首を傾げそうになる。
「それじゃだめです。どっちにしろいつか私は結婚しなきゃいけないんですから、自分の目で相手を見極めたいんです。そうじゃなきゃ、兄様が病気を治してくれた意味が無くなっちゃう」
「つまり君は、君自身が立派に成長したということを大賢者様や伯爵夫妻に証明したいんだね」
アレクシス様にうんうんと首を縦に振る。
「そういうことです。皆を安心させるためにも、私は自立しなきゃいけません。もう寝たきりで全部誰かに任せきりだったあの頃の私とは違うって言いたいんです」
私の懸命な思いはアレクシス様に届いたようだ。
最初からこっちの話を聞こうともしない兄様と違い、アレクシス様は私の本心をしっかり聞き届けてくれた。
「君の心意気はよく分かった。君が満足するまで頑張るといい。応援するよ」
いつもの演技がかったものではなく、柔らかい爽やかな笑顔だった。
「ありがとうアレクシス様!」
意外にもアレクシス様は私の計画に協力してくれるようだった。
「一つ提案なんだけど、大賢者様に勝つ、っていうのは具体的には決められてないんだよね? 例えば、剣の腕とか魔術とか」
「はい。その辺は特に指定されてないです。でも、兄様は大抵どの分野でも優秀なので……」
「だったら、大賢者様でも習得していないような分野から探せばいいんじゃないかい? それでいて、伯爵家や大賢者様にとっても利益になるような結婚相手を」
「た、たしかに……! 思いつきませんでした!」
兄様を倒す、ということから魔術や剣といった兄様の得意とするものばかりイメージしていた。
大賢者様である兄様にだって、できないことの一つや二つ、必ずあるはずだ。
「難しいかもしれないけど、悪くはないはずだ。俺の方でも探してみるよ」
アレクシス様は私を励ますように、いつものウインクをしてくれた。
それから、ふと、気になったことを聞いてみる。
「そういえば、アレクシス様は私と別れたこと、あまり後悔してないんですか?」
「うん。俺、まだ死にたくないから」
「まあ、それもそうですよね」
期待したわけではないが、あんな終わり方はないだろうと引き止められたりするのかもしれないと思っていたのだ。
アレクシス様は私の予想に反して、未練のひとつも無さそうに見える。
けれど、去り際にアレクシス様は私を呼び止めた。
「いつか俺が今よりずっと強くなって、その時もまだ婚活してたら、次こそ俺と結婚してね」
「こっちの台詞です。さようなら、アレクシス様」
アレクシス様が兄様に勝てるぐらい強くなる日は、一体何十年先なのだろう。
その頃までアレクシス様が私のことを忘れないでいてくれたら、ちょっと嬉しいかもしれない。
もっとも、婚活に早く終止符を打てることが一番なのには変わりないが。
「お嬢様、もうそろそろ外出時間は終了しますが」
「え、もう? おば様のところに寄っていきたいんだけれど、それでもだめかな?」
帰りの馬車に乗る前に、付き添いで来てくれた侍女のエレナに注意される。
もちろん答えはバツだった。
「当然です。まだ病み上がりですから、お嬢様はあと半年ほどは安静にして頂かなくては」
「長いよ。エレナまでそんなに気にしなくても大丈夫だって」
「ヴァレリエ侯爵夫人ならば、手紙でお伝えしても婚約者候補の殿方を探してくださると思いますよ。もっとも、ヴィクター様を超えられるとは思いませんが」
長年の付き合いもあり、すっかりこちらの考えを見抜いているようだ。
しかしエレナはどちらかと言うと兄様の考えに賛成のようで、私の婚活に付き添いつつも毎度この調子である。
兄様を大賢者として尊敬している、というより私のことを心配してくれる気持ちが強いのだろう。
エレナとは子どもの頃からずっと一緒で、ベッドの中で高熱にうなされる私を一生懸命看病してくれたり、内緒で流行の恋愛小説を買ってきてくれたりと、ずっと私を励ましてくれていた。
元気になった今も兄様同様の過保護ぶりだが、エレナをあまり心配させないためにも、良き伴侶を獲得しなければ。
「ねぇ、もしかして兄様にアレクシス様のこと教えたのってエレナ?」
「さあ? どうでしょう」
はぐらかそうとしているが、これで犯人はエレナで確定した。
エレナはアレクシス様をあまり好ましく思っていないようだったから、薄々気づいてはいたが、やはりこの二人は裏で繋がっていた。
とはいえエレナを責めるつもりはない。次は報告されても問題ないような強い相手を探せば良いだけだからだ。
「それに明日は、お嬢様の肖像画の為に絵師様がいらっしゃる日です。きっととても疲れるでしょうから、今のうちに休んでおくことも大切ですよ」
そうだった。
これまでは寝たきりで肖像画のモデルなんてとてもできなかったが、病が治ったため私の絵も飾ろうとお父様が絵師を呼んだのだ。
正直、地味な私より大賢者ヴィクターの立派な肖像画をもっと置いた方が伯爵家にとって見栄えが良いのではとも思うのだが、お父様がめずらしく乗り気だったため断ることもできなかった。
「確か、お父様の知り合いのお家の方なのよね。美術や音楽の才能があるっていう」
「シュレイス子爵家のご子息です」
彼は芸術の才能だけでなく、それらを活かした美術商などで大きな利益をあげている人物だ。
年齢は兄とあまり変わらなかったはず。
今どきの若者は才能豊かで素晴らしいとお父様は感激していたのを覚えている。
「肖像画なんて私には……あ!」
私はあることに気が付き、ぽんと両手を叩いた。
「美術なら兄様にも勝てるんじゃないかしら!」
「いや、それはどうかと……」
隣にいるエレナが凄まじい呆れ顔になった。
兄様が絵を描いているところは見たことがない。
大賢者に美術の趣味がある、というような話も今まで聞いたことがなかった。
もし美術の才能まであったとしたら、必ず兄様への賞賛に加えられているはず。ところが、これまでそういった趣旨の話は出ていない。
となると決まりだ。
翌日、シュレイス子爵令息様を出迎えた私は早速彼に婚約の申し込みをした。
「私と婚約して頂けませんか!」
「マーガレット嬢、寝ぼけているのですか。それより、動かないでください」
子爵令息は氷点下のお返事で私を突き刺した。
「いや、あの私と婚約……」
「動かないで、座ってください」
「あの、こ、婚約を……」
「座りなさい」
「はい……」
あまりの気迫に、私は黙って椅子に座り指定されたポーズを取る。
カイル・シュレイス。性格は穏やかで常に冷静、人の良い好青年である――――ただし、絵のことになると人が変わる。
事前に聞いていた情報の通りだった。
書き始める前に話を切り出せば良いと考えていたのだが、向き合った時点で既に彼は彼の世界に入っていた。
(こ、この方もなかなか手強いじゃないの……!)
キャンバスに向けるその表情は真剣そのもので、熱意に溢れている。
私が一瞬でも立ち上がろうとすれば、凄まじい目つきだけで私を椅子に縛り付けてしまえるほどだ。
到底婚約の話などできる雰囲気ではない。
だが、これほどまでに自分を貫き通す強さのある人物ならば、あの兄様に勝てるのではないか。
兄様も兄様でなかなか我の強い性格だが、カイル様はどう考えても兄様と同類だろう。
こうなれば絶対に逃す訳にはいかない。
「あの!」
「お黙りなさい!」
「はい!」
まずは彼の筆が止まるのを待つしかなさそうだった。