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1 婚活は前途多難

「マーガレット嬢! 君との婚約は無かったことにさせてもらう!」


 ついこの前まで私を愛していると言っていた男の叫びが、高らかに響く。

 

「な、なぜですか……!」


 私は震えながら彼に縋り付こうとする。しかし、彼はその美しい赤髪をなびかせながら凄まじい勢いで後ずさりした。


「――――足りないからだよ」

「え? な、なんて?」


 聞き返せば、彼は半泣きで叫ぶ。


「大賢者様を倒せなければ結婚は認めないだなんて、そんなの命がいくつあっても足りないからだよ!」


 若き美貌の剣士と名高いはずの騎士は、なんとも情けない声を上げながら一目散に逃げてしまった。


「ふ、ふはは、ふはははは! 残念だったな我が妹よ!」


 聞こえてきた騒がしい声に振り向き、全力で怒りを込めて睨みつける。

 

「兄様! どうしていつもいつも邪魔ばっかり!」


 本当なら今日は騎士団の訓練を見学に招かれていたのに、兄様はどこから聞きつけて堂々と乗り込んできた。

 結果、いつも通り私は婚約者に公衆の面前で逃げられることに。

 兄様に婚活を阻止されたのは、いつのまにかもう片手では数えられない程になっていた。

 

「あのような軟弱者、我が妹には相応しくない! よって、お前は結婚などせず俺と共にいるべきだ!」


 高笑いが盛大に響く。


「おい……大賢者様を怒らせたらマズイぞ」

「可愛いお嬢さんだと思ったのに、ありゃとんでもないぜ……」

 

 幸いにも訓練は休憩中だった為全ての騎士団員に見られたわけではないが、遠巻きに騎士たちが怯えたような目でこちらを眺めていた。

 騎士団での婚約者探しはこれで完全に終わっただろう。

 私は項垂れつつ、やかましい兄様の背中をぽこぽこと叩いて抗議することしかできなかった。

 

 この不毛なやり取りを繰り返すきっかけになった全ての始まりは、ほんの少し前のことだった。

 

 


 私の兄は最強の大賢者だ。


 名前はヴィクター・ルティルス。

 

 ルティルス伯爵家の長男であり、十二歳にして国を襲った巨大な炎竜を討伐し、その後も大災害を予言し危機を回避した。

 さらには様々な魔道具や新たな魔術を発明し、国の経済発展や技術革新の中心人物となり、疫病や冷害も兄様が筆頭となって対策を講じるほど。

 

 他国からの侵略も兄様一人の魔術結界で退け、ついには王宮から大賢者という称号まで授与された。

 

 おまけにこの間は長年不治の病とされていた『魔力喪失症』の治療薬まで開発したそうで、兄様の活躍は留まるところを知らない。

 

 こんなことが出来るのは、兄様が平均の十倍を超える魔力の持ち主であり、なおかつその力を自由自在に操ることができる天才だからだ。

 

 魔法だけでなく剣術にも優れ、経済学や医学など様々な学問も修めており、さらには五ヶ国語を操るどころか古代語まで読み書きできるという技能まで持っている。

 

 とにかく、売れない娯楽小説の適当に設定した最強主人公でもここまでやらないだろうという具合で、私の兄様は大陸中に名を馳せていた。

 今や国王陛下でさえ兄様を信頼し助言を求めるほどだとか。


 

 もっとも信じ難いのは、これら全てがたった八年間の間に行われたことであり――――妹の私は八年間、ベッドの上で何もしていなかったということである。


 

 『魔力喪失症』――――長い間人々から恐れられていた不治の病だ。日常生活を送っているだけで通常の何倍も魔力を放出してしまい、身体・精神ともに大きな負担がかかり、魔術を行えないどころか起き上がることさえままならなくなる。


 

 罹患するきっかけや病の前兆は患者ごとに異なり、未然に防ぐことは難しい。罹ってからではないと分からない病だ。


 

 昔は魔力喪失症という診断名すら無かった。虚弱体質だとか、先天性だとかそういう言葉で片付けられてしまっていたが、大賢者ヴィクターの熱心な研究により全貌が明らかとなり、治療薬も開発された。



 私、マーガレット・ルティルスは幼い頃にこの病に罹り、それ以来ベッドの上で毎日を過ごしていた。

 

 元々私はルティルス伯爵家の人間ではなかった。

 

 遠縁の親戚であったが両親を亡くし、ルティルス家に養子として引き取られた。

 ルティルス夫妻は私の魔力の高さに将来性を見出し、期待を込めて引き取ってくれたのだった。

 

 だが、一年も経たないうちに私は魔力を失い、目眩や発熱といった体調不良に延々と悩まされることになった。

 

 当時の夫妻の落胆ぶりは凄まじかった。こんな体では結婚どころか日常生活を送れるかも怪しいだろうと伯爵はため息をつき、夫人はどうしてこんなことになってしまったのかとすすり泣く。

 伯爵家の役に立つどころか、逆に死ぬまで面倒を見てやらなければならないお荷物を引き取ってしまったことになったのだ。

 

 ただ、二人とも心の優しい人物であったため、両親を流行病で亡くし自身も不治の病に倒れることとなった私を、心の底から哀れんでくれた。

 使用人たちも皆熱心に看病をしてくれたし、夫妻はいつも私の体調を気にかけてくれ、調子のいい時なんかは一緒に出かけたりしてくれた。

 

 それでも先の見えない不安に屋敷全体が包まれていたのはどうしようもない事実だった。

 

 それも、兄様が治療薬を開発したことで長年の苦悩が嘘のように消え、伯爵家は久々に活気を取り戻していた。


 

「まさか我が息子がここまでの偉業を成し遂げてくれるとは!」


 お父様がワイン片手に大粒の涙を流しながら感激している。

 

「ああ、ヴィクターが大賢者になった時はとても嬉しかったけれど、マーガレットちゃんの病気も治してくれるなんて! 本当にあなたは天才よ!」

「あの小さかった坊っちゃまが旅立ちを宣言された時はどうなるかと思いましたが、こんなに立派に育ってくれるとは! その上お嬢さまも元気になられて、私は安心してあの世へ行けますぞ!」


 お母様は今にも踊り出しそうなぐらいの喜びようで、執事の方はまだそんな歳でもないのにあの世へ旅立とうとしている。


 私の快復と、数年ぶりの兄様の帰還を祝う宴の席はそれはもう大盛り上がりだった。


「はは、大げさだな。そう大したことはしていないさ。ただ、環境に恵まれただけのことだ」


 肩の辺りで結わえた黒い髪に金の瞳。

 背は高く声は低くよく通り、爽やかな笑みを浮かべている。

 大賢者様こと我が兄様は、なんとも謙虚な言動をする素敵な青年に成長していた。


(兄様……もう長いこと顔も見てなかったなぁ)


 輝くオーラでもまとっているかのような兄様をぼんやり眺める。

 兄様が旅立ったのは、私が病にかかってから一年と経たない頃だった。

 幼い頃から平均値をはるかに超えた魔力を操っており、それゆえ兄様は魔術師としての将来を期待されていた。

 その期待応えるかのように、幼いながらも炎竜討伐に名乗りを上げ、見事討ち取ってからは王宮の魔術師団に所属し、今では魔術師団どころか王宮で唯一の大賢者になっている。

 

 忙しい兄本人は滅多に伯爵家に帰らず、帰ってきたとしても私の部屋に顔を出すことは一度もなかった。

 そのため、私の中で兄様の姿がどんどんおぼろげなものになっていき、今どんな背格好なのかさえあやふやになりかけていた。

 今日久しぶりに兄様の姿を見て、一体誰なのかと驚いていたぐらい。

 命を救ってもらっておきながらひどい妹だ、という自覚はあるものの、仕方がないだろう。

 兄様は魔力喪失症の薬が完成した時も、使いの者に届けさせ、直接手渡しに来たわけではなかったからだ。


(私、兄様の恥にならなければいいんだけれど……)


 魔術を扱えないどころかちょっと前まで寝たきりで、伯爵令嬢に相応しい格なんてない。

 大賢者様の妹を名乗るにしては、なんとも華の無い存在だという自覚はある。

 兄様への恩返しの為にも、これからは立派な伯爵令嬢として社交界へ出ていかなければ。


 そう決意したところで、私のお腹がぐぅぅぅと盛大になる。


「あら、マーガレットちゃんったら。明日からはもう少し食事の量を増やしましょうか」

「お願いします……」


 赤面する私だったが、お父様もお母様も楽しそうに笑ってくれた。

 少しずつ慣らしていくため、私の食事はこれまでと同じような病人用のものだった。

 スープは薄味で具材は細かくよく煮込まれている。

 パンは一口サイズにあらかじめカットを。

 飲酒はできる年齢になったが、ワイン代わりにブドウジュースを少量用意してくれた。


 贅沢を言ってはいけないが、元気になってはじめて、私は食事に物足りなさを感じていたのだ。

 

 これまでは食べられる量も少なかったし、具材は全て柔らかくして味付けも薄く、脂っこいものは徹底的に避けていた。

 それが、健康になった今ではあまりに物足りなく、宴そっちのけで兄のお皿のステーキに視線が釘付けになりつつある。


(せっかく元気になったんだし、この国の美味しいものをたくさん食べる旅に出てみたいなぁ)


 噂に聞く美食の数々を思い浮かべていれば、隣に座っている兄様が私に皿を差し出した。

 

「マーガレット。俺が少し分けてやろう。試しに食べてみるといい」

「いいの?」

「もちろんだとも。お前が元気になってくれて、俺は本当に嬉しく思っているさ」


 兄様がそう言いながら、一口サイズに切り分けてくれる。


「全部兄様のおかげだよ。これからはたくさん恩返しをするね」

「そんなこと考えなくていい。ずっと我慢してきたんだから、これからは自由にしたいことをなんでもやってみればいい」

「本当? じゃあ私、結婚しようと思うんだけど……」

「は?」


 その瞬間、兄様の笑顔が消えた。


「今……なんて?」

「結婚したいの、私」


 差し出されたはずのお皿がスっと引っ込まれた。

 兄様がカトラリーを置いて、頭を抱えている。


「マーガレットちゃん!? まあまあ急にどうしたの」

「そうか、よく考えればお前も良い年だからな。そろそろ縁談の一つや二つと思っていたが、マーガレットが乗り気なら今すぐ相手を探さねばな」


 驚くお母様と満足気なお父様。

 病を抱えたままでは、家の利益になる結婚どころか婚約さえ難しいだろうと二人とも諦めていたのだろう。

 だが私は恩返しの機会を決して諦めてはいなかった。

 元気になった今こそ、大賢者の妹として素晴らしい縁談を掴んでみせる……そう思ったのに。


「だめだ」


 低い声にびくりと肩が跳ねる。


「マーガレットにはまだ早い。だいたい、まだ病気が治ったばかりなのに、もう嫁に行けだなんて可哀想だろう」


 口調は優しいが、兄様の顔は全く笑っていなかった。


「誰に何を吹き込まれたのかしらないが、お前がそんなこと考える必要はない。自分のしたいことだけしていればいいんだ」

「に、兄様……?」

「結婚はしなくていい。これからも、ずっと」


 輝くオーラはどこへやら、兄様の不機嫌は明確に現れていた。

 しかし、兄様の推測は当たっている。

 実を言うと、今日この場で結婚したいと言い出したのにはある理由があった。


「あのね兄様、私にも考えがあって……」

「だめだと言ったらだめなんだ」

「兄様、せめて話ぐらいは聞いて」

「聞かない。聞く必要もない」


 態度の急変ぶりにお父様が困惑しつつも宥めようとしてくれる。


「ヴィクター、どうしたと言うのだ。マーガレットの結婚は大いに意義のあるものなんだぞ。もちろんお前もだが、我々貴族にとって結婚というものがどんな意味を持つか分からないとは言わせぬぞ」

「分かっております。だからこそですよ」


 首を傾げる私たちに、兄様は堂々と宣言した。

 

「俺より弱い者に大切なマーガレットは渡せない。そしてこの国に俺より強い者はいない。つまり、マーガレットは結婚しなくて良い」


 わずかな沈黙が広がる。

 

「……たしかに」

「それもそうね!」


 いやいや、絶対そんなことないって!

 ていうか、大賢者様に勝てる相手しか認めないってそんなの無茶だよ!

 このままではこの話は無かったことにされてしまうではないか。

 どうにかして三人を説得しなければと頭を必死に回転させる。

 そもそも、兄様には聞いて貰えなかったが私にもちゃんと考えはあるのだ。


 

 あれは先日、伯母であるヴァレリエ侯爵夫人との茶会での出来事だった……。


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