第百五十三章 疲弊する調整役
銃弾も爆炎もない戦場は、
静かに人の心を削っていく。
勝った実感はなく、
負けた証拠も残らない。
それでも、対話は続けなければならない。
調整役という役目は、
気づかぬうちに疲弊を積み重ねていく。
◆積み重なる日々
ノヴァ・リュミエール号は、ガンマ・スパイン宙域に留まったまま、
複数の調整案件を同時に抱えていた。
午前は委員会の追加資料確認。
午後は現場責任者との非公式調整。
夜は、次の宙域からの事前相談。
「……これ、休む暇ある?」
カイがソファに沈み込みながら言った。
リーナは端末から目を離さず答える。
「スケジュール上は、ない」
「だよな……」
マリナは静かにコーヒーを置く。
「今は再編期。
調整役が足りていないの」
プクルが机の上で丸くなる。
「ぷくる……(ねむい)」
◆見えない疲労
アストラは、
いつも通り冷静に見えた。
だが、
モニターに映る文字を読む速度が、
わずかに落ちている。
リーナは気づいていた。
「キャプテン、
判断にかかる時間が延びてる」
「……そうか?」
アストラは微笑もうとしたが、
表情は固かった。
「疲れてる証拠だ」
マリナが穏やかに言う。
「疲れてない」
即答。
カイが思わず言った。
「それ、
一番危ないやつだぞ」
◆小さな摩耗
委員会から戻った夜、
企業側から不満の通信が入る。
『調整が遅い。
決断を引き延ばしているのでは?』
同時に、
宗教側からも届く。
『企業寄りになっていないか?』
「……板挟み、再発」
カイが頭を抱える。
アストラは、
一件一件、丁寧に返答を打ち込む。
言葉を選び、
刺激しないように、
誤解を残さないように。
その指が、
わずかに震えた。
◆崩れかけた均衡
リーナが報告する。
「ガンマ・スパインとは別の宙域から、
調整要請が三件」
「今は無理だ」
マリナが即答する。
「でも断れば、
その宙域は火がつく」
沈黙。
アストラは、
ゆっくりと椅子に腰を下ろした。
「……全部、
俺たちで抱え込む必要はない」
全員が、彼を見る。
◆限界の兆し
「俺たちは調整役だが、
万能じゃない」
「任務を選ばなきゃ、
どこかで判断を誤る」
その言葉は、
弱音にも、決意にも聞こえた。
マリナが頷く。
「ようやく、
言ってくれたわね」
カイが肩の力を抜く。
「正直、
ずっと心配してた」
プクルが近寄り、
アストラの膝に乗る。
「ぷくる……(だいじょうぶ?)」
アストラは、
その温もりに目を閉じた。
◆手放す勇気
リーナが提案する。
「中央に、
調整支援チームの派遣を正式要請する」
「主導権を分けることになる」
「それでいい」
アストラははっきり言った。
「俺たちは、
“全部を解決する存在”である必要はない」
「壊れない形で、
続けることの方が大事だ」
◆一息
支援要請を送信した後、
艦内は久しぶりに静かになった。
「……今日は、
もう仕事しないでいいか?」
カイが恐る恐る聞く。
アストラは苦笑した。
「許可する」
マリナが微笑む。
「やっと、人間らしい判断ね」
プクルが元気に跳ねる。
「ぷくる!(やすみ!)」
◆夜の艦橋
照明を落とした艦橋で、
アストラは星々を眺めていた。
英雄になれなくていい。
調整役として、
完璧でなくていい。
ただ、
壊れずに続けること。
それが、
この役目の最低条件なのだと、
ようやく理解した。
調整役は、
誰かの代わりに矢面に立つ。
だからこそ、
疲弊を無視すれば、
銀河より先に自分が壊れる。
ノヴァ・リュミエール号は、
初めて“手放す”という選択をした。




