処分される貢物
六度目の【時戻り】。
私は二か月半前、ブルーノに脚立を折られ落下する道を選んだ。
(えいっ)
【時戻り】が発動すると同時に、私は上体をひねり、受け身の体勢をとった。
地面に落下した直後、くるくると身体を回転させ、痛みを軽減させる。
元帥の娘として、軍隊に所属していた経験がここでいきるとは。
「バケツの水がこぼれた、それも片づけとけよ、ブス!!」
全身を打ち付けることを回避することはできたものの、折れた脚立の脚や倒れたバケツはどうにもならない。頭上でブルーノの罵倒が聞こえることも。
(くそ……)
私は心の中でブルーノに悪態をつきながら、すくっと立ち上がり、彼にすぐに取り掛かると告げる。
気に入らない相手をいびりたおして満足したブルーノは私の元を去る。
(今回は上手く着地できたから、打ち身はないけれど)
ブルーノが去った後、私は身体の状態を確認する。
痛みは若干あるものの、受け身をきちんととれたおかげで、腕を強打することはなかった。
壊された脚立はともかく、バケツの水を拭き取ることは出来そうだ。
(私がケガしなかった場合、オリバーさまはどんな対応をとるんだろう)
オリバーがここを通りかかる。
今回、私は大怪我をしていない。そうなったらオリバーはどんな行動をとるのだろうか。
私は窓を拭いていた雑巾でバケツからこぼれた水を吸い取る。吸いきれなくなったら雑巾を絞り、バケツの中に戻す。何度も繰り返しているとこぼれた水がなくなってきた。
「こんにちは」
「ごきげんよう、オリバーさま」
床の掃除をしていると、オリバーに声をかけられた。
私はすぐに立ち上がり、挨拶を返した。
「君は、エレノアだね。床の掃除をしていたのかい?」
「窓の掃除をしていたのですが、脚立が壊れてしまってその拍子でバケツの水がこぼれてしまったのです」
「脚立が壊れた!? ああ、脚が折れている!」
オリバーの問いに私は素直に答えた。
バケツの水がこぼれたのは私だけでどうにかなるが、脚立の折れた脚はオリバーにしか直せないからだ。
「エレノア、怪我はないかい?」
「落下する直後に受け身の体勢はとれましたが……、身体が痛いです」
「仕事はできそう?」
「はい」
「仕事はこなせそうだけど、痛いのは嫌だよね。エレノア、ちょっと触るよ」
そう答えたものの、オリバーは私の身体に触れ回復魔法をかけてくれた。
私の身体の痛みがすうっと取れてゆく。
オリバーはほっと安堵のため息をついた。
「回復魔法をかけてくださりありがとうございます」
「どうも。それにしても、脚が腐っていたわけでもないし……、どうして脚立が折れたんだろうね」
「見えないところが老朽化していたのかもしれません。私が乗ったところで寿命が来たのでしょう」
「不思議だなあ……」
オリバーは腕を組み、壊れた脚立をじっと見つめている。
私が大怪我をしなければ、ブルーノの仕業だと気づかないようだ。
やはり、私の行動次第で運命は少し変わる。
「まあ、大事にならなくてよかったよ」
(あれ、オリバーさまが魔法で脚立を直さない!?)
オリバーが脚立を魔法で直さない。
そうなると、庭園での仕事も勧められない。
次、私はどのような行動をとればいいんだろうか。
「悪いけど、その脚立を処分してくれないかな」
「かしこまりました」
「このままの状態だと、一人で処分所に持ってゆくのは大変そうだ」
オリバーは腰に差していた杖を持ち、それを脚立にさっと振るう。
目に見えない刃で脚立が刻まれ、薪のように積まれてゆく。一束にまとめられていて持ってゆきやすいようになっている。オリバーの細かい気配りが目に染みる。
「ありがとうございます」
「今回の新人は頑張り屋さんだってメイド長に聞いたよ。気難しい弟がちょっかいかけてるらしいけど、上手くやってよ」
「はい」
そういって、オリバーは手を振って愉快に去って行った。
私はオリバーの姿が見えなくなるまで、彼の背を目で追う。
(……行動が少し、変わった)
バケツのふちに使った雑巾をかけ、それとオリバーが魔法でまとめてくれた破材を抱える。
今回の私は掃除を続行するのではなく、処分場へ向かう。
(でも、オリバーさまが優しいことは、変わらない)
目的が変わったとしても、オリバーが私のために魔法を使ってくれることに変わりはない。優しい彼の姿は何度【時戻り】しても変わることはないのだ。そして、彼を救おうという私の気持ちも。
(私が、オリバーさまの運命を変えるんだ!)
【時戻り】も六度目。
その間に百年前に失われた二つの秘術とオリバーの内に秘めた本音を知れた。
結果、オリバーに二つの秘術を伝えるには、彼に直接隠し部屋の存在を伝えなければいけないことが分かった。間接的に伝えたとしても、それを習得する前に戦場へ向かってしまい、秘術を使わずに戦死してしまうからだ。
問題は誰も入ってはいけない私室の中にある隠し部屋の存在をどうやってオリバーに伝えるかだ。
(オリバーさまにとって私はただの新米メイド……)
私の話が事実なのだと納得してもらう”材料”が欲しい。
今回の【時戻り】はその材料を探すことに使おうと思っている。
さて、どこで見つけてこようか。
私は処分場へ向かいつつ、次の行動を考えていた。
☆
処分場。それは焼却炉の隣にぽつんと建っており壊れた備品や不要になったものを置く場所になっている。
私はブルーノが壊したワレモノの処分や料理の仕事をしていたときによくきていた。だから迷うことなくここに来れた。
「よいしょっと」
私は建物に入り、破材を空いている場所に置いた。
「やっほー、お疲れ!!」
「えっ!?」
後ろから声をかけられた。
ここで同僚に会うのは珍しい。
振り返ると、笑顔の服飾の先輩がいた。彼女は、大きな布袋を持っていて、それをここに置くために来たようだ。
六度【時戻り】しているが、服飾の先輩が処分場に現れるなんて知らなかった。彼女の下には三人の後輩がいるから、壊れた備品の処分や不用品の廃棄を自らやる必要が無いからだ。
「えーっと」
「半月前からここで働いています、新米のエレノアです」
「あー!」
この【時戻り】では初対面。
私はそれを忘れず、自分から名乗った。
「メイド長が心配してる子だ! 大丈夫? ブルーノさまとスティナさまのいびりが辛くなったら、私のところに来るんだよ!!」
「心遣いありがとうございます」
物覚えが悪い先輩が、私のことを知っていたのは、定期的に行われる報告会で私の名前が出ていたからだろうか。
「あ、ここであったのも縁だし……」
「なんでしょう?」
先輩は自身が持っていた布袋を開く。
中身は宝飾品、衣類、化粧品など主にスティナが利用していそうなものだ。だけど、それらのデザインは彼女が気に入らないものばかり。
ここに持ってきたということは不用品だということは間違いない。
「気に入ったの持って行っていいよ」
「え!? いいんですか」
「うん!」
「これ……、スティナさまが処分したものですか?」
「違うよ。贈り物だね」
「おくり……もの?」
スティナが衝動買いしたものだと思ったが、そうではないらしい。
贈り物と聞き、ぴんときたのはスティナの愛人のグレンだ。彼が彼女に贈ったものだろうか。
いや、違う。
スティナの好みを知り尽くしている彼がそんなミスをするはずがない。
グレンじゃなければ誰がーー。
「オリバーさまに取り入りたい貴族からだよ」
布袋の中身をあさり、贈り主を推測している私に、先輩が答えを出す。
「えっ、でもこれは女性用ですが」
「入ったばっかりのエレノアには難しい話なんだけど……」
「長くなっても構いません。お話してくださいませんか?」
「上手く説明できるかなあ……」
「お願いします!!」
「うーん、じゃあ話そうかな」
この話は今しか聞けない。
これがオリバーさまを救う手がかりになるとは思っていない。ここで話を聞くのは、掃除の仕事に就いている私が、服飾の先輩と接点持つためだ。
もったいぶった態度をとっていた服飾の先輩は私の押しに負け、スティナに贈り物をする貴族の話を始めた。
「オリバーさまって、私たちには気さくに話しかけてくれるけど、外では無口で誰とも仲良くしないの」
「えっ」
「先代と付き合いのある貴族とは交流あるんだけど……、まあ、そういうの王族とか公爵とか侯爵とか」
「位が高い人との繋がりが強いと」
「そうそうそれそれ」
オリバーが人見知りだというのは意外だ。
優しく話しかけやすいから、誰とでも打ち解ける社交的な性格だと思っていたのに。
「その人脈にあやかりたいって貴族がオリバーさまに取り入ろうとするのよね」
「なるほど」
「オリバーさま、そういうの好きじゃないから受け取らないのよ。だから、そういう人たちは親しい人間に取り入るわけ」
「スティナさまですか……」
「そゆこと!」
だから女性ものの贈り物なわけか。
スティナはこだわりが強いから、受け取りはするものの、好みではないものだと処分する。それを先輩たちはおこぼれとして貰っているのだ。
「警戒心が強いオリバーさまがエレノアを雇ったのはびっくりしたよ」
「それは人手不足なのだと思ってました」
「まあ、三年前に比べれば減ったけど、ソルテラ伯爵のメイドになりたい女の子は沢山いるんだよ」
「私を雇わなくても済むくらいに?」
「うん。私は別ルートからメイドになったけど、ほとんどはソルテラ領地に住む女の子を採用することが多いから、ほとんどのメイドが昔からの顔なじみなんだってさ」
「そうなのですね」
それは知らなかった。
顔なじみというのは、代々ソルテラ伯爵家に仕えているということ。
「私の場合はどうしてメイドに採用されたのでしょう……」
「確か……、メイド長が強く推したんじゃなかったかな」
「えっ!? メイド長が、私を?」
「知らなかった?」
「……全く知りませんでした」
ソルテラ伯爵家はメイドと使用人も繋がりが強い。だから警戒心の強いオリバーが気を許しているのか。
だとすれば、繋がりがない私をメイドとして雇ったのは例外中の例外といえるだろう。
「話が長くなっちゃったね。そういうことだから、好きなの持って行って」
「はい」
「長居はしないでよ、私がメイド長に怒られちゃうから」
私にそう言って、服飾の先輩は処分場から出ていった。
一人になった私は、布袋をじっと見つめる。
(これは……、使えるわね)
私は布袋の中から化粧品を取り出し、それらをポケットの中に入れた。そして、自分の仕事へ戻る。
六度目の【時戻り】を行ってから初めての休日がやってきた。
住み込みのメイドである私は、本邸から離れたところに通っている宿舎で暮らしている。
この宿舎は独身寮で、所帯を持っていない従者が利用できる。
一部屋に三人割り当てられ、共同で生活をする。
そのため、個人の荷物を置く場所は少なく、書き物をするためのテーブルや身支度を整えるためのドレッサーは同室の子と共有する場所になっている。
新米の私が長く利用できるのは休みのときだけ。
私はこの時間を使って【時戻り】で得た情報を整理していた。
「今回は、また違ったことが起きてる」
私はテーブルに座り、メモ帳を開き、これまでの時戻りについて振り返る。
ポケットに入るものであれば持ってくることが出来ると知った私は以降、手のひらほどの大きさの筆記帳に使えそうな情報を書き出していた。
進展があったのは、四回目の【時戻り】から。
二つの秘術が明らかになり、太陽のような巨大な火球を落とすには、脂肪を魔力に変換する秘術を使わなくてはいけないことが判明した。
しかし、その秘術は百年前の火事で屋敷が全焼した際に失われ、当主が太らなければいけないという慣習だけが残された。事実を知らないオリバーは、当主になった途端、細身の体型からふくよかな体型になることを強いられた。何も知らず、吐くまで食べさせられる生活はさぞ、辛かっただろう。
そして、この戦争について国王は『まだ兵力はある』『オリバーが戦場に現れて脅せば相手軍は降参する』などと余裕だ。
平民の苦労を知っているオリバーは、この戦いは長引かせてはいけない。早く終わらせないとという焦りが出て、戦死してしまうのだという経緯もわかった。
(オリバーさまが戦死する運命を変えるには、二つの秘術を体得した状態で戦場へ向かうしかない)
筆記帳の情報を読みながら、再度私はそう思った。
そして、新しいページに今回の【時戻り】で起こったことについて書き出した。
今回、大怪我をすることを知っている私は、【時戻り】直後に受け身をとって大怪我を防いだ。
それを行ったことにより、ブルーノが壊した脚立をオリバーが魔法で元に戻さず、処分を命じる。
処分場へ向かうと、服飾の先輩がいて彼女から化粧品をタダで手に入れることが出来た。
「……作り話をするときにつかえそう」
必要ない情報だと思っていたが、よくよく考えれば、作り話をするときに使えそうな情報だ。
曾祖母がメイドとして仕えていた、なんて話せば百年前の火災の話題につなげられる。
問題は、先祖が途切れ疎遠になったメイドがいるかどうかだ。
これは、宿舎の地下にある”資料室”で調べてみよう。使えそうな人物がいるかもしれない。
「ふう、今のところはこんな感じかな」
書き物を終えた私は、一息つく。
「ああ、これも覚えなきゃなあ」
私物入れを開いたとき、服飾の先輩から貰った化粧品が目についた。
それらを手に取り、ドレッサーの上に広げる。
顔に塗る粉、目元に塗る粉、口紅。
最低限のものは揃っていると思う。
スティナの若作りメイクには他にも必要なものがあったと思うが、私のときはこの三つだけだった気がする。
「そろそろ、先輩の手を借りずに化粧を出来るようになりたいなあ」
私はこの三つでどうやったら先輩がやったような顔に出来るのか考えた。
鏡でやり方を観察していたものの、どうやったら目元がぱっちりとした別人のような顔が出来るのか理解していない。
私にそれが再現できるだろうか。
「とにかく、手を動かしてみよう」
考えていても始まらない。
意を決し、私は化粧品に手を伸ばした。
☆
「……だめだこりゃ」
鏡に化粧をした自分の顔が映る。
見よう見まねでブラシに粉を付けて顔に塗ってみたのだが、地肌よりも真っ白になってしまう。
目元に付けた色付きの粉も濃くつけてしまい、まるで大道芸をする道化のような顔になってしまっていた。成功したのは、口紅くらいか。
「はは、ははは!!」
失敗した自分のおかしな顔を見て、私は腹を抱えて笑った。
理想とは程遠い。
最初から成功するとは思ってなかったけど、これはひどい。
「全然だけど、ここから練習していくしかないのよね」
笑いが収まった私は、化粧を落としすっぴんに戻る。
自分の今の実力は見れた。ここから時間のある時に練習して上達してゆくしかない。