食べて溜める苦労
私は途方に暮れているブルーノの目を盗み、五度目の【時戻り】を行った。
☆
三か月前に【時戻り】したのは、オリバーに秘術の手がかりを早く教えるためだ。
前回の【時戻り】は良い線までいった。
だけど、一つ目の秘術を再現し、二つ目の秘術を見つける前にオリバーはカルスーン国王に呼び出され、戦場へ向かい戦死する。
(手がかりは早めに教えないと)
半月後では遅い。
三ヶ月後でも間に合わない。
ならば、オリバーが出兵する期間を先延ばしにできないかと私は考える。
(オリバーさまに秘術のヒントを教えることはできる。でも、秘術を体得するまでの時間が足りない……)
先延ばしにできたなら、オリバーは一つ目の秘術を体得し、カルスーン王国を勝利に導けるかもしれない。
そのためにはオリバーと共に王城へ向かい、カルスーン国王がオリバーにどんな命令をしたのか聞く必要があると私は考えた。
王城へ向かう使用人とメイドは長年勤めているベテランばかり。
その中に私が入るとしたら、給仕の仕事を覚え、王城に同行するシェフの信頼を積むしかない。
そう考えた私は”料理”を選択し、パンの生地をこねている。
☆
「新人、手際がいいな」
「ありがとうございます。シェフ」
料理の仕事に配属されてから一週間が経った。
パンの生地をこねるのはお手の物である。
それと、使った用具の後片付けも抜かりない。
シェフは私の無駄のない動きを見て、『手際がよい』と褒めてくれた。
生地をねかせる作業に入り、私はひと休憩する。
ちょうどシェフも食材の仕込みが終わったところだったのか、私の近くに座った。
「あの」
「なんだ?」
「シェフは前ソルテラ伯爵の代から料理を担当している、とメイド長から聞いたのですが」
「おう! 俺はここで二十年働いてるぜ!」
「二十年!?」
「最初の頃はお前さんみたいに、雑用から始まったけどな」
以前の【時戻り】で、シェフが前ソルテラ伯爵の代から働いていることを聞いていたが、まさか二十年も働いていたとは。
(オリバーさまが乳児だったころから知ってるのね)
オリバーは二十一歳のため、シェフはオリバーが幼子の頃からの付き合いになる。
ソルテラ伯爵家は外に敵が多く、毒などで暗殺される可能性があるため、オリバー、ブルーノは信用できる人間、シェフが作った料理しか口にしない。
そのため、オリバーが外出するさい、必ず専属の料理人と給仕を同行する。
私はその給仕になりたいがため、ここにいる。
「何か聞きたいことがあるのか?」
「その、オリバーさまのお食事の量なのですが……、ブルーノさまやスティナよりもあきらかに量が多いのですが」
「それはな――」
当主であるオリバーは五食用意されており、食事量が多い。
私がシェフに指摘する。
「歴代ソルテラ伯爵は”太らなければならない”って決まってるんだとよ」
「えっ、どうしてなのでしょう」
「前任のシェフから言われたことだしな……、あっ」
シェフから新たな情報が聞けた。
私は何も知らないふりをしたが、理由は二つ目の秘術のためだろう。
(ソルテラ伯爵は常にふくよかであること。二つの秘術が失われても、それだけはシェフの間で守られてきたのね)
だが、二つの秘術は百年前に伝承が途絶えた。
私が尋ねると、シェフは首を傾げる。
きっと前任のシェフに訊ねたとしても、同じ反応をとるだろう。
主人の命令は絶対。
そこに疑問を持ってはいけないというのが私たちの規則なのだから。
「エレノアの宿舎の地下室に資料室があるの、知ってるか?」
「聞いたことは、あります」
「俺はレパートリーに行き詰った時に歴代のシェフのレシピを読みにいくんだけどな」
「歴代のシェフ……」
「俺は二代前のレシピしか見ないが、それよりも前のシェフのレシピ帳を見たら、エレノアが知りたいことが書いてあるかもしれないぞ」
「そうなのですね」
私が泊っている宿舎の地下室に、歴代の使用人たちが記録している資料室がある。
その資料室には屋敷の設計図も保管されており、それを使って再建したと聞いたことがある。
(地下の資料室……、いつかは行かなきゃ)
地下の資料室。そこに秘術の手がかりがあるかもしれない。
隠し部屋の存在を示唆する文面があれば、オリバーたちが自力で隠し部屋を探し出してくれるかもしれない。
だが、今回は王城へむかうため、給仕の仕事を覚えるのが先決。
資料室については後回しだ。
「てっきりオリバーさまは食べるのがお好きだから、沢山食べているのかと思いました」
「いや、そうでもないんだ」
私は資料室の話からオリバーの話に戻す。
オリバーが三年前、細身の体型だったのは今までの【時戻り】で知っている。
シェフはオリバーがソルテラ伯爵になり、ふくよかになる苦労を間近で見てきたはず。
どれくらい大変だったのか、私は知りたかった。
「三年前のオリバーさまは、ひょろっとした優男だったんだぞ。そりゃ、ブルーノさまに負けず劣らず女にモテた」
「……今のお姿からは想像もつかないです」
「元々、小食な方でな。始めは吐きながら食べていた。それを毎日五食続けていたんだから、食事を作っている俺も辛かったさ」
当時のことを思い出したのか、シェフは苦い表情を浮かべていた。
食べきれない、辛いと分かっているのに、命令通り料理を提供し続けなければいけない苦しみ。
近くで見ていたのなら、相当辛かっただろう。
「俺たちの前では陽気にしているが、夜会に参加した時の対応の変化には苦しんでいたな。体型のせいで相手側から婚約破棄されたし」
「オリバーさま、お可哀そうに」
シェフからオリバーの昔話を聞き、辛い思いをしてまで、細身の体型から今の状態まで体重を増やしたことがわかった。
(三年間の努力があったからこそ、二つ目の秘術が効力を発揮する)
歴代のソルテラ伯爵がふくよかな体型にならなくては行けなかった理由。
それは”脂肪を魔力に変換する”という二つ目の秘術を常に発動できるようにしなければいけなかったからである。
けれど、オリバーは二つ目の秘術の存在を知らない。
体重を増やさなければならない明確な理由が分らぬまま、当主の掟だからと食べ続けていたのはさぞ辛かっただろう。
(オリバーさまが辛い思いをして体型を変えたのだもの。報われて欲しい)
オリバーの努力が報われて欲しい。
そう願うから、私は何度も【時戻り】をするのだ。
☆
五度目の【時戻り】から一か月が経った。
その間、私は全壊同様、初代ソルテラ伯爵の魔導書の一文を書き写した紙をブルーノ経由でオリバーに見せた。オリバーは庭園の小屋で一つ目の秘術の再現に努める。
その間、私はパンを焼く仕事の合間に、先輩から給仕のやり方を教わっていた。
「エレノア、昼食の給仕やってみるか?」
「はい!」
今日、シェフから給仕の仕事をやってみないかと提案された。
その言葉を待っていた私は、すぐに「やる」という意思をシェフに見せた。
「昼食は前菜、スープ、メインに……、デザートな」
「スティナさまにはデザートをお出しするか必ず訊くこと……、ですよね?」
「そうそう。訊くときは会話と機嫌を見るんだぞ。悪い時は訊かずに様子をみるんだ」
「わかりました。そうします」
給仕の動きについては完璧だが、細々としたことについてはまだまだである。
オリバーに提供する食事がブルーノとスティナと別のものであるくらいしか、分かっていない。
シェフが注意点を先に教えてくれるのはとても助かる。
「エレノアはブルーノさまとスティナさまに嫌われてるみてえだが、食事中、あの方たちは配膳している給仕の顔なんて見てない。些細なミスをしなければ、当たって来ないから安心しな」
「はい」
シェフと話している間に、昼食の時間は迫り、カートの上に三人分の前菜が並ぶ。
庭園で育てている葉がみずみずしいレッタスの葉をちぎり、細く切られた赤い果実のペペーマンが彩りを添える。
大皿で白いドレッシングが和えられているものがオリバー、小皿がブルーノ。小皿でドレッシングが和えられていなく、底の深い小さな容器に植物油が添えられているのがスティナのものだ。
「……三人が揃った。エレノア、行ってこい!!」
食堂で水を配っていたメイドがシェフに合図を送る。
それを見たシェフは、私の背を叩き、鼓舞してくれた。
「行ってきます!」
私は前菜が載ったカートを押し、初めての給仕の仕事に挑む。