表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

6/6

Case.5 青柳ミラ

 この世にはどうしようもないことがある。

 誰もが納得し幸せに終わる未来が望めない場合――誰かの幸せが、他の誰かの不幸を生む場合がそうだ。

 私たちの日常においてわかりやすいのは恋愛だろう。

 

 恋という強い感情は、人の心を容易くかき乱す。

 例えば意中の人が他の誰かと結ばれた場合、それを素直に応援できる人間は限られているだろう。

 怒るかもしれないし、泣くかもしれない。

 これまで仲が良かった相手を憎く思うこともあるだろう。生涯の友が、恋敵に変わってしまうこともあるだろう。

 是非はともかく、それは自然なこと。


 そして自然だからこそどうしようもない。

 災害と同じだ。人間の力では止められない。

 だから私は、もはやこの状況を諦めつつある。

 私の手には余る。


 だから私はこの日記を書いている。

 何かの間違いでが起きていつかこの日記が誰かの目に触れた時。

 せめて同情してくれないかと、さもしい期待を募らせているのだ。


 * * *


 その日は良く晴れていた。

 私の心と反して。


「お待たせ、マネさん」


 涼やかな声とともに、青柳ミラが対面の椅子に座る。

 いつもと同じ、喫茶店の奥まった席。

 今日はミラから相談したいことがあると連絡を受けた。

 もう勘弁してくれと言いたかったが、断るわけにもいかない。

 とくにミラさんからの相談は珍しい。困ったことがあっても、大抵のことなら一人で解決できる人だからだ。


「ふうっ、最近暑いですね」

「ええ。夏も近いですから」


 ハンカチで汗を拭うミラさん。

 涼やかな眼差しも横髪を耳にかける仕草も匂い立つほど大人っぽいのに、外見だけが完全に小学生だった。


 青柳ミラ。

 STORMの『M』担当。

 前述のとおり幼い外見に反して中身はかなり大人っぽいという、ギャップのある人。

 見た目にコンプレックスがあるかというとそうでもないらしく、したたかに利用することもあるらしい。

  

 ティアさんの時にも話したが、現役大学院生。

 忙しいはずなのに、上手く時間を捻出して活動している。

 配信頻度は少なめで、雑談配信が多いものの、その雑談の内容がやたらと濃く人気。

 新しいことに挑戦するのが好きらしく、最近はゲテモノ料理店に行った時の出来事についてレポートしていた。


 子どものような外見に似合わずどの分野にしても非常に万能で、文武両道という言葉が服を着て歩いているような人。

 うちのスタッフはみんな彼女に畏怖の念を抱いている。

 そんな彼女がどうしてVTuberになったのかと訊ねたこともあるが、「たまたま見たショート動画でハマっちゃって……自分もなってみたいなって」と照れていた。意外と俗っぽい子だ。


「ごめんなさい、マネさん。お忙しいのにわざわざ呼び出してしまって」

「いえいえ。これが私の仕事ですから」


 なんだか同じ会話を何度も繰り返しているような気がする。

 こういった相談を『申し訳ない』と思えるような子たちであるという証左ではあるのかもしれない。

 私の月並みな答えに、ミラさんは「ふふ、マネージャーさんは本当に優しいですね」と微笑む。

 それから、胸に手を当てて、はあ、ふうと深呼吸を繰り返した。  


「ああ……緊張してるみたいです。ほら、私ってあがり症じゃないですか。マネージャーさんは知ってますよね」


 私は無言でうなずく。

 いつでも余裕そうなミラさんだが、一つだけ弱点がある。

 それは本番に弱いこと。


 ミラさんはいつも理性でメンタルを出来る限りコントロールし、周りにバレないよう余裕を装っている。

 その甲斐あって、メンバーにすら彼女の弱点は知られていない。

 だけど一度だけ――私だけがその弱点を知るに至った出来事があった。


「初めてのライブの本番前、私緊張しすぎて過呼吸になっちゃって。でもみんなに心配をかけるわけにもいかないので、外の非常階段でうずくまってたらマネさんが来てくれました」

「そんなこともありましたね」

「マネージャーさん、ずっとそばで励ましてくれたじゃないですか。『大丈夫』って。仲間もいるし、もし何かあったら私が全責任を取るから自信を持っていきましょうって……嬉しかったなぁ」


 宝物を取り出すような面持ちでミラさんは言う。

 あの時は私も必死だったというか、このままではミラさんがダウンしてしまう! と泡を食っていた。

 それでも何とかしなければと、テンパりつつ声をかけ続けたのだ。結果的に功を奏したから良かったものの、生きた心地がしなかった。


「ごめんなさい、脱線しちゃいました。今日は二つほど相談があるんです。聞いてくれますか」


 頷いて続きを促すと、ミラさんは「ありがとうございます」と笑顔を浮かべた。


「まずひとつ目なんですけど……その、私の勘違いでなければ、ティアとレイカは私のことが好きですよね」

「……気づいていたんですか」

「あ、マネさんは知ってたんですね。うーん、もしかして先に相談を受けたりとかしてました? 今の私みたいに」

「……………………」


 こわっ。

 この人に隠し事は出来ないな……。


「あの子たちの気持ちは嬉しいんですけど、ちょっと……困ってるんです」

「何かアプローチでもされたんですか?」


 ティアさんの顔が脳裏をよぎる。

 あの人は確か、ミラさんをデロデロにしたいとかなんとか言っていた。


「いえ。ただ、私に気を遣ってるのか、機をうかがってるような、もどかしそうな気配は感じますね」

「困ってるということは……受け入れる気は無いと?」

「ええ。……私、STORMが好きなんですよ。みんなのこと、大好きなんです。でも、グループ内での恋愛が始まれば絶対に今のSTORMは壊れてしまうでしょ?」

「そうですね……」


 私が一番懸念しているのはそれだ。

 このグループが空中分解してしまうこと。 

 それだけは防がねばならない。


「だからマネさんに頼みたいのは、決定的な変化……例えば告白なんかが起きないように、どうにか見張っていてほしいんです。私も上手くコントロールしますから」  

「……わかりました。力は尽くしましょう」

「ありがとうございます! やっぱり頼りになりますね」


 屈託のない笑顔に心が洗われる。

 ああ、やっぱりミラさんは最高だ。この人が私の最大の理解者になってくれるのかもしれない。

 

「それで……もうひとつの相談なんですけど」

「何でしょう。何でも言ってください」


 ここまで来たらどこまでも付き合う所存だ。

 毒を食らわば皿まで……ではないが、ミラさんのおかげで少なからず心が軽くなった今ならどんな相談でも聞いてやろうという気になる。

 前のめりな私に少し安心したのか、ミラさんはおずおずと話し始める。


「私、二人の気持ちを受け入れる気は無いって言いましたよね。それ、グループのため以外の理由があるんです」

「それはいったい……」

「実は……好きな人が居てですね」


 ええ……。

 これで五人全員意中の人が居るということか。

 最後までチョコたっぷりですねって言ってる場合か。


「それは……まさか、STORMの誰か……?」

「あ、いえいえ! グループ外の方です!」


 良かった。少し胸を撫で下ろす。

 この恋の坩堝みたいになっているグループに、さらなる矢印が投下されたらどうしようかと思った。

 

 しかし、安心するにはまだ早かった。


「その人は……いつも私たちを見守って支えてくれて、辛いときには寄り添ってくれるんです」

「……なるほど?」


 スタッフの誰かだろうか。

 どういうわけか脳内に鳴り響き始めた警鐘を無視して、同僚の顔をひとつひとつ思い浮かべていく。

 後から思い返すと、もうこの時点で現実逃避を始めていたようだ。こんな時ばかり回転の早い自分の頭が恨めしい。


「無茶ぶりをしても眉ひとつ動かさず私たちの言葉に耳を傾けてくれて……いつも私たちのことを考えてくれてる人」

「ほうほう」


 気づけばミラさんの頬が染まっている。

 何だろう、この表情を最近何度も見たような気がする。

 

 ……ああそうだ、恋する乙女という奴だ。

 しかしこれまでと違うのは、その眼差しが私に向けられているという点。

 とても嫌な予感がした。


「……ふふ、もうわかっちゃいますよね。私が好きなのは――マネさん、貴女なんです。あなたが好きです。心から」


 そこで私の意識はぷっつりと途切れた。


 * * *


 あれからどうやって会話を終わらせ、どうやって家に帰って来たのか覚えていない。

 日記を書き終えた私は今、辞表を書いている。

 もう無理だ。たくさん考えたが、これ以上は手に負えない。

 ミラさんはとても魅力的な人だが、私はタレントと付き合う気は無い。

 そんな余裕はないし、彼女を慕う子たちの気持ちを知った上で付き合うなど胃が痛すぎる。

 

 だから、無責任ではあるが――私は情けなくも逃げ出すことにした。

 近いうちに実家に帰るつもりだ。

 ごめん、同僚のみんな。ごめん、STORM。

 私のことは許さないで良いから……。


 辞表を折りたたみ、封筒に入れる。

 情けなくて涙が出た。ぽたりと落ちた雫が封筒に落ち、染みを作る。

 慌ててティッシュを押し付けると――インターホンが鳴った。

 どきりと心臓が跳ねる。嫌な予感がしたものの、私の足はモニターに向かう。

 

 ……そこには、幼い外見の少女――青柳ミラさんが映っていた。

 

『マネさーん。まだ居ますか? 居ますよね? たぶん私の相談のせいで限界が来ちゃったんですよね。仕事も……たぶん辞める気ですよね』


 眩暈がした。

 ふらりと足から力が抜け、倒れそうになる。

 どうしてここに。住所なんて教えていないのに。

 そんな疑問は、彼女にとっては意味がない。スタッフから信頼されているミラさんのことだ、聞けば誰だって教えてくれるだろう。


『大丈夫です。仕事も辞めたって構いません。うちで暮らしませんか? 私、自慢じゃないけど結構稼いでるんです。だからマネさんのことも養えます。だからここを開けてほしいなー。開けてよ』


 とうとう蹲まってしまった私は、震える身体を抱きしめる。

 どうしてこうなった。

 わからない。何かを間違えていたのか?

 考えても考えてもわからなくて――とりあえず、これからの人生、私に一切の選択権が無いことだけを思い知るのだった。


 ……誰か助けてください。


 

相関図

S→T→M→私

↑  ↗ 

O→R

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ