Case.1 赤原スズ
赤原スズ。
STORMの『S』担当。
天真爛漫な元気っ子。この子がいるだけで、その場の空気が一段と明るくなる。
感情豊かで表情がくるくる変わる。特に初見ゲーム実況でそのリアクション芸が人気を博している。
また、高いダンスの技術を持ち、その実力はグループ内トップ。それどころかVTuberという枠組みの中においても群を抜いていると言えるだろう。
元運動部だったこともあってかとても礼儀正しく、その太陽のような明るさには私も常日頃から元気をもらっていて。
子どもっぽいところはあるものの、子犬のような純粋な振る舞いから、STORMの末っ子ポジションを確立しているのがスズである。
……だが。
今私が抱えている問題の始まりとも言えるのが、スズでもあるのだ。
* * *
あの日、私は都内某所の喫茶店でブレンドコーヒーを楽しみつつ、スズを待っていた。
店内の奥まった場所にある席で、他の席から見えづらく、声も聞こえにくくなっている。
落ち着いて話をするのにはうってつけのスポットだと言える。
先日スズから神妙な調子で『相談したいことがあって……』と連絡を受けたのだ。
私はマネージャー。タレントを支えるのが私の仕事。
しおらしい雰囲気に『珍しいな』と感じつつも、頼られたことは嬉しかった。
だから私は一も二も無く頷き、今日の場をセッティングした。
「あっ、マネちゃんさーん!」
店内に入るなり、活発そうな少女は私を見つけてぶんぶん手を振る。
声が大きい。普段から身バレを防ぐために気を付けてと言い含めているのだけど。
そんな意を込めて口元に指を立てると、『やっちゃった』とでも言いたげに慌ててぺこりと頭を下げ、私のテーブルへと近寄ってくる。
どかりと腰を下ろして、店員にミルクティーとサンドイッチ、そしてナポリタンを注文すると、『待たせてごめんなさい』と頭を下げた。
スズはよく食べる。たびたび行われる大食い企画では毎回リスナーを驚愕させている。
そのぶん睡眠欲も同じく旺盛なのか、たまに寝坊して泣きながら謝罪配信をすることになってしまうのが玉に瑕。だが、良くも悪くもその真っ直ぐな姿勢はファンに愛されている。
「ごめんなさい、ちょっと大学の課題の提出を忘れちゃってて」
「構いませんよ」
それきりスズは押し黙ってしまう。
珍しい。いつもは止めない限りずっと話しているような子なのに。
それほど『相談』とやらが重く圧し掛かっているのだろうか――と。
この時の私は純粋に心配していたのだ。
「それで、相談とは?」
そう訊ねると、スズはあからさまに顔を赤くして唸り始める。
「あのー、その……ですね。あたし、実は……ティアちゃんのこと好きになっちゃって」
「……なるほど」
内心、かなり驚いた。
ティアというのは、STORMの『T』担当、桃笠ティアのことだ。
抜群のプロポーションと包容力が魅力のメンバーである。
STORMは特に恋愛厳禁というわけではない。
ただ、VTuberの宿命というか、彼氏は作らない(作ったとしても明かさない)ことが暗黙の了解とされている。
彼女たちは揃って男の影が無く、プライベートでもグループ内で遊ぶことが非常に多いこともあり、心配はしていなかったのだが、まさかグループ内で恋愛が発生してしまうとは。
「お話はわかりました。まずは話してくれてありがとうございます」
「お、怒らないんですか?」
「怒りませんよ。隠した方が良いとは思っていますが」
そう伝えると、スズは『良かったぁ』と胸を撫で下ろした。
緊張で喉が渇いていたらしく、お冷で喉を潤して、訥々と胸のうちを語り始める。
「あたし、STORM好きなんですよ。今大事な時期ですし、五人の空気も壊したくないし……でも、どうしてもティアちゃんのことか好きで。その……できれば付き合いたいなーって」
「そうですか……」
「む、無謀ですかねっ!?」
「声が大きいです」
咎めると『おっと』と口をつぐむ。
するとタイミングを見計らったように店員が注文のものを持ってきた。
出来立てのサンドイッチを見たスズの瞳がきらりと光り、目線で『食べてもいいですかっ』と訴えてくる。
手で促すと、遠慮なくガブリとくいついた。ふわふわのショートカットと相まって、本当に子犬のようだ。
「……ファンには内緒にした方が良いかもしれませんが、その範囲であれば自由です。私は応援しますよ」
これは私の素直な気持ちだ。
STORMのメンバーはみんな素敵な人たち。
彼女らが付き合うとなっても、そこまで大した問題には発展しないだろう。
応援したいというのは、個人的な本音である。
それに俗っぽいことは自覚しているが、私もそういった話に興味がある。
だから、修学旅行の夜に恋バナをするような調子でつい深堀りしたいという気持ちが芽生えてしまった。
今はその不用意な選択を、深く深く後悔しているのだけど。
「それで、ティアさんのどういったところが好きなんですか?」
「えー、それ聞きます? 聞いちゃいます? どうしよっかなー」
スズはくねくねと照れている。
誰にも明かせなかったからだろう、こういった話ができるのは嬉しいらしい。
恋する乙女のような表情に反して、口の端についたパン屑が子どもっぽさを助長していたが。
「でも、マネちゃんさんには聞いてもらっちゃお! あのですねー、ティアちゃんって」
「はい」
優しい所だろうか。
綺麗な声だろうか。
それとも包容力があるところ?
普段から姉妹のような微笑ましいやりとりをしている二人だ、どんな話を聞かせてくれるのだろうと内心うきうきして――――
「おっぱいがデカいじゃないですかー!」
「はい?」
「ケツもデカいじゃないですか!」
「なんて?」
おかしいな。聞き間違いかな。
何か、男子中学生のような発言が聞こえたような気がしたのだが。
「いやティアちゃんってめっちゃ身体エロいでしょ? たまりませんよねー!」
「幻聴じゃなかった……」
「もうね、しゃぶりたい!」
「あの、まず声落としてくれます?」
「おっと。ぶっちゃけめちゃくちゃエッチしたいです」
「言い直してなお酷くなることあるんですね」
ショックだ。
あの子犬みたいで、末っ子ポジだったスズさんがこんな性欲大魔神だったとは。
ああ、いやでもそうか、食欲睡眠欲と来たら残りも旺盛なのは確定事項だったのか。
信じたくない……。
「スズさんがそんなこと言うなんて思いませんでした……」
「ごめんなさい。抑えきれなくて、この、純粋な気持ちを」
「純粋な性欲じゃないですか」
「でもあたし、デビュー前は彼女いましたしエッチもしてましたよ。別れましたけど」
「いや赤裸々すぎる」
私の中のスズさんのイメージがガラガラと音を立てて壊れていく。
数日は立ち直れないかもしれない。
……いや、こういう幻想を押し付けるのも良くないか。
スズさんも人間なのだし、何もおかしいことではない。
そう思おう。そう思わないとやってられない。
「……とりあえず今日は持ち帰らせてもらっていいですか? あの、キャパがもうきつくて」
「あ、はい! 聞いてくれてありがとうございます、マネちゃんさんっ!」
「返事だけは天真爛漫なんだよなぁ……」
その日はスズさんと別れたあと、這う這うの体で事務所に戻り、グロッキー状態で事務仕事をこなした。
その間、私の頭を巡っていたのは、『いかにスズさんからティアさんを守るか』だった。
マネージャーには重すぎる問題だ。
しかし、私は思い知ることになる。
『この程度で済んでいればどれほど良かっただろう』――と。
そう考えるに至ったのは、スズの想い人……桃笠ティアから受けた『相談』が原因だった。
・現在の相関図
S→T