3 暴漢事件 (イヴリン、十六歳)
侯爵家では少しづつ人が入れ替わり、二年もすると父がいた頃の使用人は料理人と私の侍女を除いてみんないなくなっていた。
いとことして仲がいいと思っていたミラベルに
「どうしてイヴリンお姉さまはずっと私の家にいるの?」
と聞かれた時、ああ、この家はもう私の家ではなくなったのだ、と思い知らされた。
私がこの家にいることは望まれていない。私はもう十六になるけれど、ラルフはまだ九歳。結婚して家を出るのも難しいことはわかっていた。
学校に行っていれば、つてを探して就職先を見つけることもできたかもしれない。それも王子の婚約者のままでは難しい。どうすればいいのかわからなかった。
王都に新しい劇場が完成し、そのお披露目に三人の王子が呼ばれ、私も婚約者として同席することになった。
第一王子のシリル殿下と、その婚約者のチェルシー様。第二王子のクライヴ殿下にはまだ婚約者がおらず、公爵家のアマンダ様が同席していた。アマンダ様は私と同じ年で、王立学校で同じクラスだったこともあった。私が学校に通えなくなった理由はご存じないようで、さりげなく聞かれたけれどあいまいにごまかし、少しだけ懐かしいお友達のことをお話しした。
上演された劇は人気の作家の脚本で、幼い頃に離れ離れになった恋人が運命の再会を果たし、苦難の末に愛を勝ち取る物語だった。チェルシー様は涙ぐみながら拍手を送っていた。
劇場を出ると、いつもならすぐ乗れるはずの馬車がまだ来ていなかった。王家の馬車が着く前に呼び出されるなんて滅多にないことなので不思議に思っていたら、人ごみの中から男の人が数人飛び出してきた。
周りの警護の人がすぐに対応した直後、反対側からも二人突進してきた。
その手に刃物を見つけ、気が付いたら目の前にいたラルフに抱きついていた。
どうしてそんなことができたのか、とっさで自分でもわからなかった。
背中がかっと熱くなり、自分が刺されたことを悟った。
激しい痛みと、響く悲鳴。
「イヴ! イヴ! しっかりしろ、イヴ!」
ラルフの声が耳の横で響いた。
脇腹を切りつけられていたけれど、幸い内臓にまで達してはいなかった。それでも十五センチに及ぶ切り傷は痛々しい見た目を体に刻みつけてしまった。服で隠れるので気にすることはないけれど、私の夫になる人はこの傷を見ることになる。それがラルフになるなら、この傷を見る度に心を痛めるかもしれない。
劇場に近い病院で治療を受け、ラルフは毎日お見舞いに来てくれたけれど、少し怖い顔をして何も言わず、持ってきてくれた花を差し出した。
出血が止まりある程度傷が塞がると、家で療養することになった。
叔父夫婦は、私が戻ると
「いやあ、大変な目に遭ったな」
と上機嫌に言っただけで、以後部屋を訪れることはなかった。
上機嫌だったのは、王家から王子を守った褒賞と治療費として高額が支給されたからだった。
お医者様は経過を確認して塗り薬を出し、後は家で大人しくして傷が完全に塞がるのを待つだけだった。二度目に来た時は完治を告げた。
完治には時間がかかったけれど、傷が癒えると再び離宮に出向いた。
久々に会ったラルフは口をきいてはくれなかった。怒りながらも私を心配しているのはわかった。
程なく王に謁見の間に呼ばれ、ラルフと共に出向くと、王直々にお礼の言葉をいただいた。
「よくぞ王子を守ってくれた。礼を言う」
私たちの他、第二王子のクライヴ殿下も王に呼ばれていた。クライヴ殿下も腕を切りつけられていて、巻かれた包帯が痛々しかった。
「君のおかげで敵に備えることができたからね、この程度で済んだ。君もよく動けたものだ」
私が一人目に反応し、ラルフを守ったことでクライヴ殿下も焦ることなく二人目に対峙することができた、ということだった。クライヴ殿下は自身で向かってくる男をなぎ倒し、捕らえたと聞いた。王家の皆様は幾分かは護身術を学んでいるけれど、そこまでできるとは思わなかった。
私がラルフに抱きつく形で庇ったのが正しかったのか、それはわからない。けれど、
「あの時は必死で、勝手に体が動いてしまいました。もし同じことが起きても同じように動けるかわかりませんが、ラルフ殿下がご無事だったことが何よりです。同じことが起こらないことを願うばかりです」
私がそう言うと、王とクライヴ殿下は深く頷いた。
ラルフは王に対しても何も言わず、その後も離宮に戻るまでの間、話しかけてはくれなかった。
「ごめんなさい」
私から謝ると、顔をしかめたまま低く荒々しい声で
「何故君が謝るんだ」
と怒りを顕わにした。
「ラルフが怒ってるから…」
「当たり前だ。君が怪我をして…僕が平気でいられるとでも思ってたのか」
ラルフは正面から私を睨み付け、拳をぎゅっと握りしめていた。
「君まで僕の前からいなくなるなんて、許さない。僕をかばう必要なんてないんだ。…僕を一人にするなっ」
激しく怒りをぶつけながら涙を流しているラルフを見て、私はそれまで彼を守れた自分を誇りに思っていたけれど、自分のしたことがラルフをまた一人にしてしまうところだったことを、それをラルフが何よりも恐れていたことを知った。
「ごめんなさい…」
ただ謝るしかなかった。ラルフを恐がらせたのは、私なのだから。
「それでも、私はラルフを守りたかった。私はラルフを守れたことを、後悔していないわ」
ラルフを両手でそっと包み込んで、頭に頬を寄せ、父を亡くした私を慰めてくれたようにゆっくりと頭を撫でた。
ラルフはまだ私の肩より小さくて、腕の中にすっぽりと埋もれてしまう。胸に当たる額が小刻みに揺れていた。私の服を掴み、
「イヴ…。僕を一人にしたら、許さないからな」
そう懇願するラルフに
「はい」
と答えると、ラルフは声を抑えながらしばらく泣いていた。