4 王立学校 (ラルフ、十三歳から十四歳)
十三歳になり、僕は王立学校に行くことになった。
ようやくイヴと同じくらいの身長になったのに、それでもまだ子ども扱いされるのが悔しかった。少し前までは褒められ、頭を撫でられれば嬉しかったのに、
「制服、似合ってるわよ」
と言われても、
「ん」
とついそっけない返事を返してしまう。
タイの歪みを直され、イヴの髪が頬をくすぐった。それだけで顔が熱くなり、自分の心臓の音が気になった。
同じ年代の者が集まる王立学校は、僕にとっても新鮮な場所だった。
はじめは王子として少し距離を置いて接してきた学友も、やがて何人かは気安く話せるようになった。王家での僕の立場を知っている者の中には敬遠したり、少し皮肉交じりに接してくる者もいたけれど、気にしないようにした。
イヴのことを言われると、我慢しているつもりでも僕の表情に出ているらしい。
「殿下の婚約者ってかなり年上なんでしょ? 小さい時からずっとそばにいたらもう女に見えないでしょう?」
軽く言われたことに、僕はむっとしながらも我慢していたつもりだったのに、
「す、すみません!」
と慌てて謝り、顔を青くしていた。
後で周りから、どこから切り殺そうかと狙っているような目で睨んでいた、と言われた。そんなに怖かったんだろうか。
それから僕に面と向かって婚約者の悪口を言う者はいなくなった。
昼休みに軽く運動した後、外していた僕のタイが誰かのタイと入れ替わり、自分のタイの裏にある銀色の鳥の刺繍がみんなについているデザインじゃないことを知った。
無事戻ってきた自分のタイの裏側を見ていると、友人のアッシュが
「殿下も隅に置けないな。それ、おまじないですよ、好きな人のタイに刺繍を入れていろいろ祈願するらしいですよ」
そう言われて、この刺繍をしたのはイヴだと察した。
「そうなのか…」
他にも刺繍が入っているタイを見せてもらい、イヴの刺繍がなかなか上出来なのがわかった。ちょっと鼻が高かった。
何を願いながら針を刺していったんだろう。僕は刺繍を指で撫で、自然に沸いてくる笑みを消せなかった。
王立学校では学業の他、武芸を習う機会もあった。
中でも年に一回の剣術大会は各学年から選ばれた十六人が戦い、学年毎の順位を決め、さらに学年一位・二位の者から学年を超えた優勝者を選び抜く、人気の行事だった。
全学年で優勝するのはほぼ最高学年の五年生だったけれど、時に下級生が優勝すると大騒ぎだった。
僕も一年次から出場枠の十六人には選ばれたけれど、自分がその中で特に強いとは思えなかった。
「かなり年上」としか情報のないイヴのことはみんな興味津々で、ただ興味を持っているだけならいいけれど、心ない言葉も漏れ聞こえていた。だから、本当は試合を見に来て欲しかったのに、積極的に声をかけられなかった。
それでもイヴは見に来てくれた。
僕のことを一生懸命応援してくれたのに、僕は二回戦で負けてしまい、恥ずかしかった。
「あれがラルフ殿下の婚約者かぁ」
品定めするかのようにイヴを見る友人の視線も不愉快で、つい、来てくれたお礼よりも先に
「来なくてもよかったのに…」
と言ってしまった。だけどイヴは
「私が行きたかったの。勝っても、負けても、ラルフが頑張るところを見たかったのよ。頑張ってた。素敵だったわ」
そう言ってくれた。あれで素敵だと言ってもらえるなら、次はもっと頑張って、かっこいいところを見せよう。
イヴは自身が学校に行っていた時も剣術大会を見に行っていたと言った。贔屓にしていた人はいなかったけれど、友人の解説を聞きながら、あまり交流のない上の学年の人の事を教えてもらったり、そこからいろんな噂話を聞くこともあったようだ。
王立学校は小さな社交界だ。そこからも遠ざけられ、イヴはどれだけ悲しい思いをしただろう。それなのに思い出を笑顔で語ってくれた。
早朝の鍛錬を続け、学校でも剣や槍を学び、少しづつ筋力もついてきたおかげで、学校に行くようになってから僕の剣の腕は着実に上がっていった。
その分家に戻るのが遅くなることもあったけれど、夕食はできるだけ一緒に取るようにしていた。
遅い時間に公務として回されていた仕事をこなす事も多かったけれど、あらかじめ書類は整理されていて、おかげでいつも仕事が片付くのは早かった。執事と一緒にイヴが僕が仕事をしやすいように気を配ってくれていると聞いて、ありがたかった。用意してくれるお茶も僕の好みをよく知っていた。
僕が学校に行っている間、不都合はないだろうか。
家を出たがっていたイヴを離宮に引き取り、幾分かでも居心地良く暮らしてくれているなら嬉しいけれど、王城とは離れていても城壁の中だ。出かけるには許可がいり、自由は制限される。
僕のような立場ではどうしても交流も少ない。年に三度ほど開かれる王主催の夜会には出席するけれど、形だけ参加して、ある程度過ごしたら早々に帰る。そうしても誰も引き止めないのが僕らだった。
早く離宮を出て暮らしたい。例え王の夜会があっても欠席できるくらい離れた場所、そんなところにが僕には合っているのかもしれない。
離宮を出る時には、イヴは婚約者ではなく僕の妻になっているだろう。イヴはずっと僕を弟のように接している。イヴにとって今でも僕は頼りなく弱々しいままなんだろうか。いつか僕を夫として見てくれる日が来るのだろうか。
次兄のクライヴが、僕が学校に行っている間に何度かイヴを呼び出していると聞いた。それは王子だろうと礼を欠いた行為だ。
「僕のいない間にイヴを呼びつけるようなことはしないでほしい」
僕が訴えると、クライヴは苦笑いをしながら、
「自分は離宮に閉じ込めて放っておいて、ずいぶんな言い様だ」
と返し、僕の反応を伺うように見ていた。
「閉じ込めてなんていない」
「婚約者という足かせをつけなければ、おまえみたいなお子様に大人の女性が侍る訳がないだろう?」
クライヴは周りには好青年を演じる癖に、僕には何かと突っかかってくる。
クライヴはイヴが僕の婚約者なのが気に入らないようだ。王妃の持ってくる縁談をのらりくらりとかわし、未だ婚約者を決めかねている。もしかしたらイヴを狙っているのかもしれない。だけど、王妃は許さないだろう。イヴは僕の婚約者であり、有益な後ろ盾はない「無害」な令嬢だ。王妃がクライヴの婚約者に見立てた令嬢たちは地位か、金か、もしくは両方を備えている家の者だ。
「くだらない言い訳はいらない。人の婚約者に手を出すなと言っているんだ。…これ以上続くなら、父に相談させてもらう」
父を出すと、クライヴは面白くなさそうな顔をしながらも、
「…わかったよ」
と言った。
それからは呼び出してまで会うことはなくなったものの、王城内で会うことは妨げられなかった。
幸い、呼び出されたことを僕に伝えてくれる程度には、イヴは僕の方を選んでくれていると思っている。だけど、正直に言えば自信はなかった。イヴより一つ上のクライヴは、年齢的には僕よりも釣り合う。暴漢を捕らえるだけの力を持ち、友人も、支持する貴族も多く、王の家族として安定した地位を得ている。
もし婚約の前提がなく、今の僕とクライヴのどちらかを選べと言われたなら、七つも年下の頼りない僕を選ぶことはないだろう。
それでもイヴの婚約者は僕だ。あんな奴に渡すつもりなどない。