10 終焉 (イヴリン、二十三歳)
夜の王城が光り輝き、遠くから音楽が聞こえてくる。
夜会の日を離宮で過ごすことはあまり多くなかった。
仕立てていただいていたドレスを着ることも、髪をまとめることもなく、いつも通り一人で夕食を食べ、自室に戻り東の辺境周辺に関する本を読んでいた。
そこへ、急な来客があった。それも、私に。
私を訪ねてくる人に心当たりはなく、少し警戒したけれど、セザール前公爵と言われてすぐに応接室に向かった。
セザール前公爵。私の母方の祖父に当たる人。
母はおじいさまの反対を押し切って父と結婚していて、記憶にあるのは幼い頃に一、二度会ったことがある程度。母が亡くなってからは交流は途絶えていた。それなのに、どうして今頃…。
「イヴリンでござい…」
「どうしておまえはここにいる」
挨拶も途中にして、おじいさまは怒りを隠さなかった。
「おまえは王子に乞われてこの離宮に住んでいるのではないのか。一体何がどうなっている」
「何がって…。あの、何を怒っていらっしゃるのですか?」
「知らんのか。…今日の夜会、あの王子はおまえの代わりに別の女を連れていたのだぞ」
ああ、やはり、どなたかをエスコートする必要があったのだ。
「今日はエスコートできないと伺ってましたので」
「相手を知っておるのか」
「いえ…」
「ミラベル・アディンセル。おまえを家から追い出したあの男の娘だ」
ミラベル…。
他国の貴賓でもなく、ミラベルをエスコートするために。
私に学校を退学させたあの叔父が、ミラベルを学校に行かせているのは知っていた。ラルフと学校で出会っていてもおかしくない。
ミラベルはラルフより二歳年下で、年回りもちょうどいい。
そもそもこの婚約はアディンセル侯爵家の娘だったから私に回って来たもの。ミラベルとの入れ替えは一度は王に反対されたけれど、それも随分前の話。ミラベルが王子を気に入り、叔父がミラベルを推せば、王の許しさえ得られればアディンセル侯爵の名の元、入れ替えることもできるだろう。元々叔父はそうしたがっていたのだから。
「婚約者がいながら、他の女を連れて王家の夜会に出席するなど、あの王子は何を考えて…」
「しかたが…、ないのでしょう。私は、家族に…、過ぎませんから」
ラルフは、新しい恋を見つけたのかしら。
それが、ミラベルだった?
あまりにも急なことで、頭が回らなかった。
「十一年だ。おまえは十一年もあの王子の婚約者でありながら、このような仕打ちを受けるのか。そこまでおまえを軽んじられるいわれはなかろう」
おじいさまは、私のことを心配してここまで訪ねて来てくださった…? 数えるほどしか会ったことのない私を?
「こんなところにいる必要はない。…うちに来い」
うちに…。それは、どれくらい久しぶりに聞いた言葉だろう。
長い間つながりを絶っていたおじいさまが、私のことを心配し、私のために怒ってくださっている。公爵を引退し、領地でゆっくり過ごされていると聞いていたのに、久々に夜会に参加して私がラルフの隣にいなくて驚かれたのだろう。私が離宮に住んでいることもご存知だった。私のことを気にかけてくださる方がまだいたなんて。
「もう少しだけ、お時間をいただけますか? ラルフ殿下に伺いたいのです。ラルフ殿下の意思を確認して、もし殿下が決意されているのなら、私は…」
おじいさまはしばらく王都の屋敷に滞在する、と告げ、ラルフが戻る前に帰って行った。
ディーンには前公爵は母方の祖父であり、夜会に来たついでに会いに来てくれただけなので、ラルフに報告しなくてもいいと言った。
いつもなら王城の夜会は早めに引き上げるのに、その日のラルフの帰りは遅かった。翌朝はいつものように早くから出かけ、話をすることはできなかった。
借りていた辞書を返すため書斎に入ると、机の引き出しが少し開いていた。
何かの書類が挟まりかけていたので少し引き出すと、目に入ったのは私とラルフの婚約解消の書類だった。すでに叔父のサインがしてあり、二枚目にはミラベルとの新たな婚約の書類が…。
そういうこと、だったのね。
もう、ラルフに聞くまでもなかった。
その週末に、ずっと「来なくていい」と言われていた剣術大会があった。
深くフードをかぶり、遠くからそっと見守った試合は、ラルフは学年で一位、全学年でも準優勝だった。
ずいぶん強くなっていた。
勝者と握手を交わし、戻るラルフに集まる友人達。拍手を受け、伸ばされた手に手を合わせる。その中にはミラベルもいて、ラルフに後ろから抱きついていた。みんな本当に嬉しそうだった。
おめでとう。優勝じゃないから悔しい?
でも、あなたはとても頑張っていた。本当に強くなって、とてもかっこよかったわ。さすが私のラルフ。そう言いたいけれど、もう、私の、じゃない。
目と目が合ったような気がしたけれど、それは気のせいだった。すぐに視線は外れ、表彰式へと向かう背中を見送り、その場を離れた。表彰式を見られなくてごめんなさい。
離宮に戻ると、引き出しに入ったままになっていた婚約解消の書類に私のサインを入れた。王が認めれば、このまま解消となる。これでラルフは私に遠慮することなく思いを遂げられる。私より侯爵家で大切にされているミラベルの方が、きっとラルフの力になるだろう。
長い、…長い婚約だった。
いままでありがとう。お幸せに。
トランク一つに収まるだけの服を入れ、ディーンに
「セザール公爵邸に行きたいのだけど。おじいさまに呼ばれているの。馬車を用意してくれる?」
とお願いすると、少し遅めの時間だったけれどすぐに手配してくれた。
公爵家には先触れも出していなかったけれど、おじいさまが手はずを整えてくれていたようで、私の名を告げるとすぐに門が開かれ、中に通してもらえた。
帰りは公爵家に送ってもらえるから、と迎えを断り、ディーンに最後のお礼を言った。
「ありがとう」
いままで、ありがとう。
さようなら。
そして私はおじいさまと共にその日のうちに王都を離れ、公爵領へと旅立った。
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