福者
征服者
前回からの続き
南蛮人にコケにされ、怒り心頭に発する商人は何とか交易所を通さず利益を得ようと画策する。
商人
となると・・個人的に取引するしか無いなぁ
現地の人々は南蛮人にビビってもうてるし、漢字文化圏や無いから筆談も無理・・ここは台湾の香花ちゃんに習って誰か雇いたい所やけど、どないしたもんやろな
辺りを見渡すと交易所から港への間には畑が有り、数人の男が耕していた。
商人の丁髷、和服の見た目が珍しいのかチラチラと見ている。
商人はその中の一人の年配の男に目が向く
「ん、みんな浅黒い肌やのに一人だけ東洋人っぽい肌の人がおるやん」
商人は思い切って近付いて見るとその年配の男は「日の本の方ですか?」と日本語で声を掛けてきた。
商人
え!日本人でっか?
老人
如何にも両親共に日の本の者である。
商人
話し方からすると武士の方で?
老人
既に二本差しは遠の昔にしておらぬがの
貴公は上方の商人か?海外交易が「お許し」になったのか?
商人
あ、立ち話も何ですし、私の船でお話など、どうでっしゃろ?
さ、さ、こちらに
商人は船に老人を迎え入れると鹿児島で入手した緑茶を勧める。
老人
おお、緑茶か・・懐かしいのう
一口、二口と口を付けると美味いと小さく声を溢す。
話を聞くと国外追放になった者に使えていた者達の末席の子との事だった。
老人本人はマニラの産まれだそうだ。
商人
そのお方のお名前を伺っても?
老人
ジャスト様・・高山右近様じゃ
父上がジャスト様に茶を馳走になったと申してはよく茶を立ててくれたものじゃ
緑茶が懐かしいのうw
商人
戦国武将の高山右近様って、わてでも知ってまっせ
高山右近とはキリシタン大名で三好家、松永久秀、荒木村重、織田信長、豊臣秀吉、前田利家等にも使えた武将で有り、江戸時代の1614年、慶長19年に前田家に害にならぬ様にキリシタン追放令に従いマニラに渡ったのである。因みに元禄は1688年〜1704年
歓迎されたが高齢と長旅からか翌年には没したとの事であった。
2009年、高山右近の死は「殉教者扱いである」とのバチカンが見解を出し、2012年夏、殉教者として申請された。
また2016年に「福者」に認定された。「福者」とは聖人の前段階として、その聖性が認められた人に与えられる称号で、列福された人を指す。また列聖調査を経て聖人に列せられることもあります。
商人
なるほど、ご両親がマニラ(ここ)に来たから御生れになったんでんな
老人
日本語も今の今まで忘れておったわw
商人
良かったら今晩、食事に招待したいのですが?どうでっしゃろ?
和食を作らせますんで、はい。
老人
和食とな!
いや、しかし、会ったばかりの者に・・
商人
同じ日本人やおまへんか!
色々と話したい事も有りますし、あ、日本酒も有りまっせ!
老人
お、そうであるか
そこまでの申し出、断るのも不躾
商人
ご家族総出でどうぞ!
老人
忝い
夕暮れに息子夫婦と孫夫婦を連れてくるとの事で話を取りまとめ、雑談後に老人は船を降りて行った。
商人は料理長と船長に事情を伝え歓迎の準備に取り掛かるのであった。
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