白銀の少女は魚介を好む
投稿テストを兼ねています。
時間と心に余裕のある方だけ先へお進みください。
透き通る水の底、少女は目を覚ました。
いくつかの泡がぷかぷかと音を立ててどこかへと昇っていく。
少女の白い髪はふわふわと乱れ、浮かんでいる。
水底は、しんと冷たい。
「何をしていたんだっけ」
少女は誰に言うでもなく呟いた。
ふわふわ漂う邪魔な髪の毛を指先でくるくると巻き取り、しばし考えた。
雪の降る街でガラス職人の娘として生まれた少女は、確か昨日まで地元の魔法学校に通っていたのだった。
水をふぅっと吐いた所で少女は気付く。
息が出来ている。水の底でのんびりと思考を巡らせていると場合ではなかったはずなのに、水の中で息ができないことを忘れていたのだ。
まるでいつものように泳いでいる気がして。
周りをぐるりと見回すと、そこは楽園といった展望だった。銀に光る魚の群れと、鮮やかなサンゴ礁。どこまでも続く水面は少し行った所で海の中を映している。
「少し泳いでみようかな」
少女の体はふわりと浮かび、すいすいと泳いだ。
やはり慣れ親しんだ快適な動きだ。
「なんで私ここにいるんだろう…?」
ふと、視界の端にカニを見つけた。白い砂を少し被って隠れているようだった。
少女は簡単そうにカニを手で掴み、口へ放り込んだ。
「おいしい…」
慣れだけでカニを拾い食いしてしまったことに少し戸惑ったが、それよりもカニが美味しいのでどうでも良くなってしまった。
「カニ…もっとカニ食べたい…」
泳ぎながらカニを探していると、今度はタコに出会った。気持ちの悪い見た目をしている。
変に刺激しないように横をゆっくりと通り過ぎようとする、が。
「そこのお前…」
「ひゃい…!」
声を掛けられてしまった。事案である。
「お前は人間だろ。こんな海の底で何をしているんだ?」
タコは口をちゅうちゅう動かしながら、当然の質問をした。少女はカニの足を飲み込みながら少し考えて、分かりきった答えを返した。
「よく分からないんです。気がついたら海の底にいて困ってるんです。」
「困ってる奴がカニを食べるか…?」
「むぅ…それもそっか…。困ってないのかな…?」
「お前のことはお前がいちばんよく知ってる筈だが?」
「そうですよねぇ」
タコは、少し考えてから、触手で砂にスラスラと何かを描き始めた。
「いいか、ここが俺のナワバリ、今いるのがここ。ここから北にずーっと進むと、大陸棚の端がある。ここから先はずっと深い海で、お前のような素人には危ないから近付くなよ。」
「いえっさ」
「そうだな…行く宛てがないのなら、浜に近付いてみるといいんじゃないか?お前は人間なんだし、きっと息もできるだろう。」
「浜ってどっちですか」
「大陸棚の反対に決まってるだろ。南だ南。お前は頭の悪い人間だな」
「む…!」
少女は腹が立ったので、タコを握り締めて口を開けた。
「ま、まてまてまて!おかしいだろ!親切にしてやったのに食べようとするなんて狂ってるだろ!」
「別に親切にしてなんて頼んでないんですけど。」
「い、いやほら!浜まで連れて行ってやるから離してくれ!」
タコは墨を吐きまくりながらそう言った。
「じゃあ足一本で勘弁してあげる」
少女はもぐりとタコの足を噛みちぎり、タコを逃がした。
「い、いてぇ!なにしやがるこの…!!まぁいい…クソ…こっちだ付いてこい!」
タコの足から何か白いモヤが立っているが、少女の頭はタコの美味しさでいっぱいのようだった。
「キミ、旨みがすごいねぇ……!!」
「お前、マジで頭おかしいのか!?」
タコと美少女は少し岩っぽい海底を歩いている。岩肌にビッシリと生えた貝に鳥肌を立てながらも、すいすいと進んでいく。
「足もう一本くらい食べてもいい?っていうか私の方が強いんだから抗えないよね。食べるね」
がしっ!ぶちっ!もぐもぐ…。
「おいやめろ!!足を食うな!!俺がおかしいのかこれ!?」
「おいしいね…」
少女は微笑んだ。
二人は仲睦まじく海を進んでいく。
タコの足が5本になった辺りで、小さな魚の群れに出会った。
「おぉ…さかなだ…」
「……あ!!!!おいお前!!この魚達は美味いぞ!!しばらく歩くから、ここらで腹ごしらえしておくといいんじゃないかなぁ!!!!」
タコは足を失いたくないという思いでいっぱいらしい。
少女は少し考えてから、タコより美味しいはずがないと踏んでまたタコの足を食べた。残り4本だ。
「よし分かった。諦めよう。俺は運がなかったんだ。きっと浜に着いた頃にはタダの柔らかい丸になってるだろうな…。」
「そうかもね」
「出来ればやめてくれないか…?」
「うん……」
少女はタコの美味しさに脳が働いていないようだった。
少しずつ海面が近付いてきたころ、少女は大きな船が沈んでいるのを見つけた。
そこら中に木の破片や帆の一部と思われる布がヒラヒラ浮いていた。
それも一隻ではない。たくさんの船が同じ場所で沈んでいる。
まるで、船の墓場のようだった。
「かわいそう…」
「おうガキ、お前にも心があったか」
「タコさんの足、4本しかない…」
「お前が食ったんだろうが。頭おかしいのか?」
「わたし、なんでタコを生で食べてたんだろう…タコの足先にはバクテリアが住んでて食べると食中毒になるのに…」
「物知りだなお前。その知能があってどうして今まで狂人の立ち回りしてたんだ」
「まぁいっか」
少女はタコの足を食べた。
「こわいよーーーーー」
少女達は船の墓場を超え、深さが数メートルのところまで来ていた。しかし、タコの歩みはどんどん遅くなっていた。
「くぅ…俺はもう限界だ…」
「タコさん!!!!」
そう言ってタコは砂に転がった。
「嘘、嘘…タコさんどうして…!」
「お前が足5本も食うからだろ!!!!!!」
「それもそっか」
タコは圧倒的な理不尽を前にして、何故か清々しい気分だった。
「俺は…今まで静かな海の中で生きてきて、なんとなく退屈な毎日を過ごしていたんだ…いい女にも会えず、美味い餌もなく、ただ淡々と生きてきたんだ…。だが、だがな。幸せな日々だった。今日まで生というものを満喫し、そして今、死のうとしている。はは…これが生きるってことなんだよな…。」
「タコさん…!」
少女はタコの足を食みながら目に涙を浮かべている。
「俺は最後にお前みたいな混沌に出会って、生きるってことの意味を知ることが出来たよ…。結局、なんでもない日常ってのは奇跡の連続だったんだ…。正しいか間違ってるかなんて些細な問題だった、結局は力だったんだ…。今まで殺されてなかったのは、運が良かっただけなんだってなぁ!」
「うっ…タコさん…!」
タコの足はもう残り一本になろうとしていた。
少女はぼろぼろと涙を流しながらタコを貪っている。
「ガキ…お前に出会えてよかった…。俺はあのままじゃ、何のために生まれてきたのか分からないまま死んでたよ。でも今は分かる。生きることに意味なんてなかったんだ。全ては偶然で、そこに秩序なんてなかったんだ…。」
「ごめんね…でもおいひぃ…おいひぃよぉ…」
タコは割とハイペースで減っていく。
もはや原型を留めていなかった。
「俺は…グフッ…それが分かっただけで十分だ…生を全うできた気がするんだ…。ガキ…どうせなら俺を最後まで食ってくれ…それが俺の幸せな人生の幸せな最後だって思えるんだ…。ガキ…俺が最後に出会ったのが…お前で…よかっ……た」
「タコさんが…タコさんが…………!!」
少女は悔いていた。
自分に声を掛け、道を教え、腹を満たしてくれた友が居なくなってしまったのだ。
彼は最後まで、少女の理不尽な食欲を前にして、逃げも隠れもせず、ただ足が減っていくことを見過ごしてくれていたのだ。
右も左もわからなかった彼女を、最後まで導いてくれた。
彼は確かに、最後まで友でいてくれたのだ。
「タコさんがなくなっちゃったよぉぉぉぉ!!!うわぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
少女は食べ歩き用のホットスナックを消費しきってしまったことを心から悔やんだ。これから先、小食なしにどうやって生きていけばいいのかと嘆いた。それはタコの望んだ涙ではなかったかもしれないが、少女は悲しんでいた。
心は、確かにそこにあったのだ。
「あ、もう着いたや」
少女は海面から顔を出した。そこは見知らぬビーチリゾートだった。
少女の陸での冒険が、幕を開けようとしていた。
次回、ビーチ編です。
ごく短編になると思います。