平賀式自転車甲型
明和4年7月末
Another view side 平賀源内 江戸 深川 平賀邸
源内は有坂総一郎に出会ったあの日から「じてんしゃ」なるものを試作する日々が続いていた。そして時折田沼邸へ訪れては総一郎と技術的な話のすりあわせを行いつつ構想を練っていく。
何度かやりとりを行っては自分の自宅兼工房での試作を行っていたが、これでは埒が明かないと悟ってからは具体的な方向性が出来るまで田沼邸に泊まりそして納得がいくそれになってからは自宅工房に籠もって「じてんしゃ」造りを行っていた。
――有坂さんの言う話だとこういう感じになる……。だが、これでは乗り心地が悪い。江戸の街中なら兎も角、街道なんかで走ればふらつくだろう。
源内は自転車の構造上の欠点をすぐに把握する。そう、問題はタイヤなのだ。この時代にゴムなんぞはないも同然である。総一郎も敢えてそれには触れず、車輪としか言わなかったのだ。出来るはずがないものを教えたところで余分な知識、問題を起こすだけだと思っていたからだ。
ふと工房の床に転がっていた竹細工が目についた、源内その時何か感じ取るモノがあったのか、暫くその竹細工を見つめてから拾ってから舐めるように見回すとその瞬間閃いたのであった。
――そうだ、車輪にこの竹細工を編み込めば良い。あとは何かを詰めて緩衝材にすれば良い。なんだったら竹細工の管でも作って中に詰めれば良いだろう。
思い立ったら後は門人に命じてひたすら竹を編ませる。編ませた竹をその日のうちに車輪を包むように編み込ませると源内はうんうんと頷く。思っていた通りの出来のようだ。
――あとは車体だが、こりゃ大工の仕事だな。人間一人乗っても大丈夫な頑丈さが必要だろう。
翌日に大工に指示を出してその日のうちに組み上がった車体を受け取ると持ち込んだ車輪を組み込んでみると、源内は満面の笑みを浮かべて帰宅したのである。
この時点ではサドルがついていないことから乗用に適していないものだったがそれでもまたがって地面を蹴って走らせることは出来る。
この時点で源内は自転車の原点ドライジーネとほぼ同様の構造のそれを開発することに成功したのである。
――こりゃあ速いぜ。大工の仕事場から工房まであっという間じゃねぇか。明日はこれで_神田橋まで乗っていこう。有坂さん、きっと腰抜かすぜ!
上機嫌である。
だが、この時はまだペダルを開発出来ていない。理由はゴムと同様である。チェーンを造る必要があるからだ。今の段階ではそこまで一気に出来るとは思っていない総一郎から伝えられていないのだ。
しかし、実際にはペダル式自転車は既にこの世に存在していたのである。それを総一郎が知らなかっただけなのである。けれど、源内は心当たりがあったのだ。
――前輪を足踏み式にすれば地面を蹴って走らせる必要がないのではないか?
源内の頭の中でどう改造すべきか脳裏で構想が練られていく。それがどういう風に組み上がっていくのか、彼の中では試行錯誤が繰り返されていくことになる。その課程が源内の表情を緩めていく。
――これは面白いモノが出来そうだ! やってやらぁ!
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