有坂邸での夫婦謀議
明和5年5月20日 相良城下
Another View 結奈
彼が帰ってきた。なんか頭抱えてる。彼と暮らし始めて暫く経つ。こんな表情を見たのは現代以来だ。もっとも、あの時とは困惑とか憂鬱という感じだが、今回は割りと深刻な感じである。現代での付き合いでもこういう表情はあまり見たことがない。現代では悩みがあれば割りと素直に相談してくれたのだけれど、今回はどうなんだろうか?
「おかえり。ひどい顔だね。どうしたの?」
「あぁ、結奈か。ただいま。なんでもないよ……ふぅ……。風呂沸いてる? 沸いてるなら入るけど」
「沸いてるよ。まずはその酷い顔をお風呂で癒やしてきたら? それから相談乗るけれど話してくれるのかしら?」
「ん……あぁ、もう少し考えてみるよ」
どうやら、相談するつもりがない……というわけでもないらしい。話せない内容というわけではないけれど、彼の中では考えをまとめるまでには至ってないようだ。
なら今、私が彼に掛ける言葉はこれだろう。
「考え過ぎで湯あたりしないでね」
「あぁ、注意するよ」
そう言って彼は風呂に向かっていった。
さて、どうしようか。風呂を上がるまでに彼は考えをまとめているだろうか? まぁ、無理だよね。あの調子だと今日一日中頭抱えていたんだろうし、そもそも、彼があんなふうになるってことは想定外の事態が起きていて、しかも自分があずかり知らぬことであるのに当事者になっているということなのだろう。
なんで分かるかって? 長い付き合いだしねぇ。
Another View End.
「正座!」
何故か、私は結奈に床の間で正座させられている。彼女の不興を買うような真似をした記憶はない。うん、私は何も悪くない。
「なんで、正座させられているか、理解できていないようだね?」
「心当たりが全くない」
そう、やましいことなんて何一つない。浮気なんぞしていないし、そもそも、モテるわけでもない。というか、そんな暇もない。仮にモテていたならここに結奈はいない。
「はぁ~」
「なんで溜息ついてるのかな?」
「ねぇ、旦那様? 私が、旦那様が帰宅したときに、旦那様になんて言ったか覚えてるかしら?」
なんか、よくわからんが、旦那様連呼し始めた、普段はこんなこと言わないのに……。益々わけがわからない。
「私、旦那様に、相談してくれたら話を聞くって言ったわよね?」
「あぁ、なんかそんなことを言われた記憶があるね……」
そんなことが逆鱗に触れたのか? こいつ、こんなキレやすかったっけ? きっとアレの日だったんだな。面倒なことだ。
「よくないこと考えてる顔だね」
「ソンナコトハナイ」
触らぬ神に祟りなしだ。
「で、相談してくれないの? それとも内容は相談出来ないことだったのかしら?」
「相談ってもなぁ……」
「浮気とか側室とかそういう話なのかしら?」
目がつり上がっている。ヤバいキレかけている!?
「いやいや、そんな話ではないよ」
うん、なんかヤバい方向に話がいきそうだ。たまに結奈の考えていることがわからない。こいつは私にぞっこんとかそんなこと無かっただろうし。
「じゃあ、話せるよね?」
「わかりました、話します。なので、正座しんどいので胡座をかかせください」
結奈が怖いので何故か敬語になってしまった。
「よろしい」
「まだ、頭の中整理出来ているわけじゃないから、考えもまとまってないよ?」
「そうでしょうね。旦那様の表情見ていればわかるよ」
どうやら今日は旦那様で通すらしい。律儀なんだか、嫌味なんだか、よくわからん……。
「江戸の殿様から書状が届いた。三井がこっちに来るから、一緒に福山まで出張れって内容だった」
その後、執務室で考えていたこと、それぞれの思惑やメリットデメリットなどを結奈に話した。捕捉で三井三池と三井の備中利権、住友の状況なども説明した。そしたら、こんなことを言いやがった。
「要するに、旦那様が、旦那様の都合で、旦那様の思うようにやったら、殿様が殿様の都合で殿様の好きなようにそれに乗っかった。そしたら、歴史が想像以上に動いてしまって、手を付けられない」
「そうだね」
「で、ゆいえもん、なんとかしてー。ってことだね?」
「そうだね」
「なんて言って欲しい?」
「なんて言うつもりなんだい?」
「馬鹿」
「ストレートで無駄のない爽快な言葉の刃だね……切れ味抜群でビックリだわ」
「自業自得じゃん。そこまでやらかしてるとか、こっちの方が想定外だよ。相良の明治村状態だけかと思ってたら、100年も歴史をブーストさせるとか、何やってんのよ」
「田沼意次と組んだのが失敗だった」
「違うわよ、旦那様の頭の中が失敗だったのよ。まさかここまで酷いとは思わなかったわ」
酷くないか、それ。
だが、結奈の言ってることが本質的には正解だろう。
「で、対応策なんだけれど……」
「そうね、今のままでは動き出した歴史の歯車は止まらない。これは旦那様も理解出来ている。そうよね?」
「そうだね。だから、三井や住友のこれ以上の拡大を防がないと明和が明治になりかねない」
「そうしたのは、旦那様だけれどね。それで、明治~昭和の財閥の均衡は三菱という存在があってはじめて成り立つわけだから、結局、三菱相当の存在が必要なのも同意するわ」
「だけど、そんな存在は今のところ存在しない」
「存在していない? 本気でそう思っているの? 違うよ。存在していないものが、既に存在しているじゃない?」
「どこにそんなものがあるんだい?」
「旦那様の率いる相良の重工業、造船、製鉄、金属加工と一通り揃っているじゃない? 蒸気船が実用化出来れば、日本郵船に相当する海運企業も出来るじゃない? そして、金融は……銀行まででっち上げてしまっている……これのどこが存在していないって言えるのかしら?」
「確かに、基礎としては揃ってるね。でも、三井・越後屋ほどの資本はないよ? 現状でも、資金繰りが結構限界に近づいている。相良の両替商連中もこれ以上はカネを出せないと言ってるし。さすがに蒸気鉄道どころか馬車鉄道があんなにカネ食うと思わなかった」
「でも、旦那様の方針は正しかった。いえ、歴史を学んだチートを使えば簡単なことなのだけれど、インフラ強化したお陰で、相良はこのあたりの一大交易拠点になりつつあるわけじゃない?」
「そうだね、このあたりの東海道沿線から貨物が相良港に流入している。そのお陰で相良港の取扱量は増えているし、荷役手数料でボロ儲けだ」
「だったら、現行の体制を利用して海運で儲けるのが資本蓄積の早道よ。どうせ、旦那様のことだから、蒸気船にもクレーンもどきを搭載してこの時代の原始的な港湾設備でも効率化出来るように企んでるんでしょう?」
「ご明察。クレーンもどきを全国に造れれば各地の港湾機能は強化できるけれど、それでは三井とかに出し抜かれるからね」
「それじゃあ、方針は決まったじゃない? 歴史が加速していくのは現状では止められない。なら、基本、こっちが手を打てるようになるまで受け身でいくしかないわ。優先すべきは歴史じゃなく、対三井・住友の方策。それに大坂の商人達も流れに乗るでしょうから、それへの牽制も必要ね」
「歴史は後回しで良いのか?」
「誰のせいよ?」
「……わかった。結奈の言う通りにしよう。実際、それくらいしか出来ることないしな」
「少しは自重してちょうだい」
「出来るだけ、前向きに、善処することを、検討致します」
「だめだこいつ、はやくなんとかしないと……」
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