蒸気機関
明和5年4月25日 相良城下
江戸の意次様から妻を娶れと矢の催促が届く。だが、その一切を敢えて無視して政務に励む。そう、私にはするべきことがある。反射炉が完成してからまともな鉄がやっと出来たのが4月も半ばにさしかかってのことのことだった。
出来た鉄材を使って蒸気機関を試作する。無論、これは蒸気船に用いるためだが、大型蒸気船などすぐに出来るわけがなく、まずは蒸気タグボートから始める。
船形は単純である。平甲板式で船体中央の両舷側に外輪を装着している。これも技術的な難易度の低減を狙ったもので動軸に減速装置を組み込みやすいことから採用したのである。無論、その機構を考えたのは源ちゃんである。早速、平賀式自転車の乙型と丙型が技術的に応用発展した形になった。
水力ハンマーによるプレス加工が可能になったこともあり、ボイラーの成型が容易になったのだが、その肝心要のボイラーはスコッチボイラーという構造を採用している。
まぁ、わかりやすく言えば五右衛門風呂の応用である。竈に相当する燃焼室から煙管と言われる燃焼ガスを通過させる管を五右衛門風呂の中に配管し、これによって水を沸騰させる。燃焼ガスは煙管を伝って排ガスとして煙突へ排出される。そして沸騰した水蒸気をシリンダーへと送り込むことでこれを運動エネルギーへと変換するのだ。
構造が平易なこともありたたら製鉄や反射炉を作り上げた源ちゃんやその弟子たちにとっては朝飯前の工作であった。タグボートに積む前に陸上でも実験用に一つ作ってそれを利用した蒸気ハンマーを試作したことで成型機の強力化が実行出来たのは望外の収穫であったが、そのうち3トンとか5トンの蒸気ハンマーを揃えることを考えると思わず顔がにやけてしまった。
「しかし、総さん、この蒸気機関ってのは手間が掛かるもんだな」
源ちゃんが写楽の浮世絵を思わせるような顔で語りかけてくる。まぁ、言わんとすることはよく分かるだけにこちらも微妙な返事になる。
「動かすためにはボイラー……罐を暖めないといけないし、蒸気が出来ないとどうにもならんからね」
「それに火を落とすと最初からになるだろう?」
「そうだよ。だから保火をする外に方法がないんだ」
「笑えない駄洒落だぜ、まったく」
源ちゃんが冷めた視線でそう言うが、駄洒落ではないだけにこっちも笑えない。
「だが、蒸気槌と水力槌の力の差を考えると、確かにこれは侮れない力を秘めていることはよく分かったぜ」
納得してくれているようでありがたいが、これからが本番なのだ。
なにせ、蒸気船の建造に際しては、このスコッチボイラーをいくつも搭載する必要がある。効率の良い水管ボイラーが作れたら良いけれど、これって20世紀の技術なんだよな。いや、理屈は分かっているから説明は出来るんだけれど……。
「総さん?」
「あぁ、これが量産化出来たら風待ちも要らないし、風によって船足が上下することもなくなるんだよなぁと思ったら感慨深くてね……」
「なに言っているんでぇい、量産して普及させるんだろう? じゃあ、立ち止まっていたらいけぇねよ、さあ、総さん、次の仕事に掛かるぜ!」
逆に源ちゃんに発破をかけられてしまった。
確かにそうだ。立ち止まってなどいられない。ここまで来たら、蒸気船という圧倒的なアドバンテージを確立する必要がある。クリッパー船やスクーナ船など所詮は帆船の技術の到達点でしかない。これらは構造さえ把握出来れば諸藩の船大工によっていくらでも再現出来る。それは幕末期に幕府や雄藩が独自建造したことで明白だ。
「三井が力を付ける前に出し抜かないといけない! 源ちゃん、これからも突っ走って貰うよ、頼むぜ!」
「おうよ!」
クリエイター支援サイト Ci-en
有坂総一郎支援サイト作りました。
https://ci-en.dlsite.com/creator/10425