人生至る所に落とし穴
明和5年1月13日 相良城下 有坂邸
今朝突然のことだが相良陣屋から呼び出された。
こちとら遅くなった正月休みに入っとるんじゃ呼び出すな……年末年始の忙しさの疲れが抜けてないから休みを取ったというのに……と言うわけにもいかないので陣屋に向かった。
呼び出したのは城代家老。もっとも、彼はあくまでメッセンジャーでしかないらしい。つまり、江戸からの用件だそうだ。その内容は三好殿も知らないらしく、書状を渡すなり帰って良しということだった。
だったら最初から呼ぶな。書状くらい使番に渡してしまえば良いだろうに……と文句を垂れながら自邸に戻ってきた。とは言っても、屋敷ではなく、実質長屋であるが……。
「なんなのだ、なんなのだ」
どこぞのツインテールのちびっこの口癖が出てしまった。そういう気分なんだから仕方がない。きっとあのちびっ子も不当な抑圧にこんな気分だったに違いない。いや、あれは自分で無茶ぶりをメイドと執事に押しつけていた側だったな。
そうそう、書状の開封と未開封を一発でわかる様に封蝋を田沼家では採用させた。コレのお陰で誰が発行したかも特定出来る。偽造なんてしたら一発でバレるから非常に重宝している。もちろん、これのおかげで相良の蝋燭問屋と懇意になった。なんせ、ガンガン蝋燭を買うことになったもんだから彼らの売り上げのシェアがえげつないことになっている。7割方が相良藩の購入なんだから笑いが止まらないだろう。
というわけで、封蝋を剥がして書状を開いてみた。以下要約である。
「宛:有坂総一郎、発:田沼意次」
「今度、養女を迎える。そいつをお前にやる。娶れ。以上」
「追伸、苦情や異議申し立ては認めぬ」
ということらしい。
あのオッサン、何考えてるんだろうか。なんかの嫌がらせか? この間の詰問の仕返しだろうか。というか、こんな内容なら態々陣屋や三好殿を通す意味が無いだろうが何考えてるんだ、畜生め。
嫁?
今、このクソ忙しい時期にそんな暇ないだろう? アンタが要らん真似したせいでただでさえ三井だの住友だのが史実にない動きを見せてるのに何を企んでるんだか。全く余計な仕事を増やしてくれるモノだ。
知らん知らん。無視しよう。無視だ。
「総さんいるかい!」
なんか来た……。
「只今、留守にしております。御用のある方は、一昨日来やがれ、畜生め!」
相手が源ちゃんだと分かっているから思いっきり八つ当たり気味の悪態を吐いてやる。
「荒れてるねぇ、総さん、どうしたい?」
「意次様が寝言を抜かしてる。あの親父、何企んでるんだか。畜生め」
「寝言? あぁ、縁談の話か」
なんで源ちゃんが知ってるんだ? 封蝋して陣屋経由で来た書状だってのに……。
「この間、ここの豪農のところに顔出したら、面白い娘が居てねぇ、それをオレっちが田沼様にお知らせしたんだよ。いや、本当に面白い娘だったよ」
「面白いって、どんな?」
「どんなって、総さんと同じ知識を持ってる娘ってことさ」
なんだって!?
源ちゃんの話を纏めるとこういうことになるそうだ……。
時は約2ヶ月遡る明和4年10月30日、相良領内。丁度、私、有坂総一郎が江戸で福岡藩と小倉藩に周旋活動をしていた頃である。相良藩領内でも有数の豪農……まぁ、庄屋・名主だね……である神庭家に源ちゃんが領内の地質調査の途中に立ち寄ったそうだ。
縁側で休憩することにした源ちゃんがたまたま近くに放り投げてあった書籍をめくってみると最近特に目にすることが多い楷書で書かれたものだったそうだ。この時代の書籍にしても書状にしても基本草書体だから、楷書は極めて珍しい。源ちゃんの周囲で楷書でものを書くのはぶっちゃけ私だけだ。尤も、私宛の書状や報告書は皆楷書で書かれているけれど。なんせ、草書なんて読めねぇからな!
というわけで、源ちゃんは非常に興味を持ったそうだ。楷書でものを書く人物に会わせて欲しいと神庭家の家人に言ったそうな。まぁ、源ちゃんは、楷書だけに注目したわけじゃない。その書籍は農業技術に関するものであった。たまたま目にしたところが丁度稲作のページだったそうだが、源ちゃんの話を真に受けるならば、それは現代の保温折衷苗代そのものだった。
これ、戦後の技術なんだわ。驚いた。そんなオーパーツがなんでそんなところにあるのか不思議であるが、あるんだから仕方ない。まぁ、源ちゃんはその真の価値をその場では理解していなかったようだ。彼は山師・技師の類だから、農業に詳しいわけじゃない。わからなくて当然だろう。
だが、価値を理解していなくても、その時代の技術ではないのは源ちゃんでもわかることだし、そもそも楷書なんて使う人間は現代人くらいなものだから、真っ先に私の「お仲間」、つまり、「未来人」を疑ったそうだ。
そんで、源ちゃんはその書籍を夢中になって読んでいたそうだが、半分くらい読んだ頃に呼びつけた相手がやってきたそうな。二度目の驚きは、それが女だったこと。しかも、着ていた服は彼の話から想像するにジャージだった……。
そう、彼の推測は当たっていた。
源ちゃんはいくつか現代の話題を出し、彼女の反応を伺ったそうだ。尽く彼女はそれに適切な反応を示したらしい。そして、源ちゃんは彼女に核心を突く質問を二つしたそうだ。
「貴女はいつの時代、西暦で言えば何年までの記憶があるのか?」
「貴女は有坂総一郎という人物を知っているか?」
答えは、私と同じ21世紀初頭の記憶があり、源ちゃんの話す有坂総一郎という人物は同一人物かは分からないが、知っている人物と似ている……というものだったそうだ。
なるほど、私のけっして広いとは言えない交友関係の中にいた人物の可能性があると……。一体誰だよ、こんなトンデモ世界に飛ばされるような奴は……。きっと悪巧みが大好きなロクデナシに違いない。あぁ、確信を持って言うよ、異世界へ飛ばされる奴が善人な訳がない。己の欲望全開のロクデナシさ。この私が言うのだから間違いない。
彼女の名までは聞かなかった。現代にいた彼女と今の彼女では名が同一ではないだろうから、どうせ聞いたところで意味がない。それに変な思い込みとかしたら判断を間違えることになる。判断材料が少ない方が正しい判断を出来るときだってある。
ことの本質、現時点で発生した問題はそんな瑣末な事じゃない。
この世界には転生者が他にも複数いる可能性があるということだ。特に雄藩と結びつくと危険だ。薩長みたいなテロリスト集団に転生者が居たりしたら、それこそ倒幕決起しかねん。奴らと結ぶ様な奴がまともな神経をしているはずがない。一応は官軍という扱いだが、その実態は奸軍なのだからな。
この世界、思った以上に現代とリンクしていない可能性が高いと考えた方が良いかもしれない。褌を締め直して掛からないとこっちが殺られる。
クリエイター支援サイト Ci-en
有坂総一郎支援サイト作りました。
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