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太平洋クルーズ<2>

明和5年(1768年)1月9日~11日 太平洋上


 国元家老(井上殿)を文字通り連行した形で航海は始まる。


 出たは良いのだが、出港直後から海が荒れていた。これが理由で早々に船に慣れていない同行者が揃って船酔いとなってしまった。


「有坂殿、斯様に揺れるなど聞いておらぬぞ」


 井上殿は船酔い集団の筆頭とも言えた。一番最初にうずくまってしまっただけにその恨み言も息絶え絶えである。


「仕方ありませぬな……」


 船酔いは結局は慣れによるものだから薬でなんとかなるものではないが、いくらかマシになるのも確か。仕方なく百草丸(胃薬)を渡して呑ませる。


 井上殿だけでなく他の同行者にも呑ませると皆一様に死にかけていた表情がいくらかは和らいだようだった。


 まぁ、それなりに効くわな。なんせ、胃の中空っぽで出すもの出した後なんだから。左手には雪を戴いた富士山が見えていて絶景であるのにこれを楽しめないというのは全く惜しいことだよ。


 そうこうしているうちに駿河湾を抜けて伊豆半島先端の石廊崎で変針し、直に下田の湊が見えてきた。この頃には波が落ち着き始めていた。揺れが少なくなれば船酔いも少しはマシになるだろう。


 相良-江戸(品川湊)までは概ね216kmであるから54里ということになる。国際慣習では会場の距離計算は一般に海里でのそれだから116海里だ。


 下田までは約80km、43海里だ。概ね8ノットでの航海であるため5時間の行程であった。昼過ぎに相良を発っているため下田を抜けたのは18時頃である。残り73海里であるから8ノット平均で概ね9時間後の午前3時頃の到着である。実際にはもう少し早く到着している。


 文字通り、宣言通り1日で江戸に着くというそれを達したわけだ。


 下田を抜けた後は相模灘を一気に走り抜け、浦賀水道にさしかかるが水道中央を突っ切って品川まで走り抜ける。真夜中の入港であることから沖合に停泊し、夜明けまで休憩とした。流石に揺れる外海で寝ているよりも内海で寝ている方が船酔い集団にとってはマシであろう。


 江戸(品川湊)-大坂までは674km、364海里である。8ノット平均で45時間半である。10ノット平均では36時間半であるから風の強弱を考慮しても西行きで8ノット平均、東行きで10ノット平均と考えれば良いわけだ。


 ちなみに弁財船の船足は大坂→江戸は7ノット平均、西宮→江戸は6.5ノット平均というそれを叩き出しているが、新綿番船や新酒番船といった新物レースにおける記録である。一般的には江戸-大坂は3~4日程度掛かっているのが普通である。


 この速度の違いは弁財船(菱垣廻船・樽廻船・北前船)と違い、三角帆を装備していることで逆風時でも速度を極端に落とすことなく航行出来るということなのだ。


「速い、速いぞ! 富士の峰もあっという間に小さくなりおった」


 井上殿は船酔いになれてしまったのか、江戸から大坂へ向かう航路上で駿河湾を突っ切っている途中に航路右手に見える富士山のそれを見てはしゃいでいた。なんかハイになっておられる。


「有坂殿、西洋の船とはこれほど船足が速いものなのだな、そなたの言うことがよく分かったわい」


 分かってくれたのは良いけれど、余りはしゃぐと海に落ちるよ、また船酔いになるよ、井上殿……。


 品川湊を朝早くに出港して再び浦賀水道を抜けて相模灘へ出ると、速度を上げつつ石廊崎を目指す。石廊崎を抜ければ駿河湾に達するが、この頃には昼を過ぎて夕方になろうという時刻だ。ここからは沿岸航海ではなく、外海を突っ走り一路紀伊半島潮岬沖を目指して速度を上げていく。


 昏くなり段々と陸地が見えなく成りつつあるが、それでも富士山はまだなんとなく見えている。海上からだと割と遠くからでも見えるのだ。


 潮岬を通過予定は空けて午前2時頃、大阪湾に入るのは正午頃となろう。風の都合が悪くても夕刻までには入港出来るだろう。


 船の上での夜も二回目となると流石に慣れてきたのかある程度揺れていても普通に寝ることが出来るようになったようだ。前夜は其処彼処に吐瀉物が吐き散らかされていたが、今はそれらも片付けられているし、うずくまっているのもいない……あ、いた……。


「大丈夫でござろうか?」


 声をかけて気付いた。あーあ言わんこっちゃない。


「かたじけない……」


「井上殿、夕餉は控えられたいと申しましたのに、斯様に食されたのですかな」


 酔うから余分に食うなと言ったのに……。まぁ、良い教訓になるだろう。再び仕方なく百草丸(胃薬)を渡して呑ませる。


「良薬口に苦しでござるよ」


 彼はかたじけないと一言呟いて薬を吞み込むとそのままフラフラと船室へ歩いて行った。井上殿はその後、ぐっすり眠れたようで大坂入港まで船室から出てくることはなかった。


 それからの航海はそれほど大きな出来事はなく、予定していた正午よりも些か遅れたが14時頃までには大坂へ入港し、面目を保った。


 井上殿は大坂の蔵屋敷に用があると言うことでいったん下船したが翌日に拾うと約束して、西宮へ向けて出港させた。西宮で灘の銘酒を仕入れて江戸に売るためだ。新酒の時期であるから船倉を満載にして江戸に出荷するのである。


 銘柄、酒蔵問わずに買い占めを行うことで供給不足を敢えて起こすことで江戸における酒の価格高騰を煽るのである。実際に、船倉に入りきらない分であっても、それはそれで構わなかった。在庫を抑えていることでいつでも運べる様にしておくこと、場合によっては上方でも高値で売ることが出来るからだ。


 買い付けに必要な資金は相良銀行からの借り入れであり、当然銀目手形である。


 灘の銘酒を買い占めて、積めるだけ積んだ後、大坂へ寄港し井上殿を拾ってすぐに出港したのであった。あとは相良に寄港し、降り立つだけ。貨物はそのまま江戸へ向かわせ、時期を見て放出させるだけだ。

クリエイター支援サイト Ci-en

有坂総一郎支援サイト作りました。

https://ci-en.dlsite.com/creator/10425

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― 新着の感想 ―
[一言] 有坂殿...孤軍奮闘ですなぁ 作中には描かれていませんが、船旅の途中1人夜空を見上げる事もあるのでしょうか 「浮気は許さないわよ」 ビクッとかあるのかなぁ 別次元だから関係ないとは思うけど、…
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