太平洋クルーズ<1>
明和5年1月9日 相良城下
私が江戸と相良を行ったり来たりしていたことで銀行設立と両替商の説得と出資は城代家老、国元家老の二人が代行してお膳立てをしてくれたのであった。その甲斐もあって11月中には設立が出来た。だが、丁度その頃は意次様と幕閣と三井家の結託という予定外の出来事に見舞われて、銀行創立式典には出られなかった。
だが、これで銀目手形というナイスでゴーイングなウキウキカードを手に入れたこともあって次の一手に出ることが出来た。
造船所の開設、海運会社の創設、そして海上保険の創設だ。これらは全部連動している。
言うまでもないが、樽廻船、菱垣廻船といった海上交通がこの時代の日本ではメインの物流である。そして、これらの和船、弁財船というのは一般的に波に弱い船である。つまり、嵐でなくても一定の波高がある場合、難破する可能性がぐっと高まるのだ。難破せずとも貨物の荷崩れによって積み荷が喪失するということもあった。
そこで、波に強く、船足も速く、風待ちしなくて済む船が必要なのだ。
特に、これから取り扱うのは石炭や鉄と言った重量貨物である。それらを安全に速く、そして定期的に運べるようにするには和船では駄目なのだ。それらをクリアするために相良においてクリッパー船を建造しようと考えているのである。
そして、船が出来ても運用する企業が必要なのだ。そこで海運会社の登場だ。既存の菱垣廻船や樽廻船の枠組みでは運行の定時制が維持出来ず、また安全に荷が運べないのだから、それをクリアするために独自の海運会社を必要としているのである。
最後に海上保険だが……これは海運会社と連動している集金システムである。
船主や廻船問屋が、荷主に対して運賃見合いで貨物の損害に対する補償を行う運送契約の形態を取った、保険契約とは異なるもの「海上請負」と呼ばれる貨物保険制度が既にこの時代にも存在していた。
だが、よく考えて欲しいのだが、難破しやすい、定時制が確約出来ないこの時代で、定時制と安全性が高い海運会社が登場し、その海運会社が輸送する貨物への保険が掛けられるならば、どうだろうか?
そう、掛け捨て保険であろうが、莫大な損失を受ける可能性が減るわけで、そうなれば海上保険の契約と輸送契約とが右肩上がりになろうことは容易に想像出来るわけだ。更に蒸気機関を積んだ蒸気船が投入されれば更にその傾向は強まると言えるだろう。
一種の罠とも言えるそれだが、海上保険の掛け捨てのそれは確実に利益へつながり、また海上保険による補償と定時制の確保は信用へと繋がるわけだから、これを利用しない手はないのだ。
「江戸-大坂を2日、大坂-長崎も3日、江戸-長崎は5日、江戸-箱館も5日、新潟-博多は5日、酒田-新潟は1日、酒田-箱館は2日……これらの行程で運行出来る船便を開設することで海路の独占を狙いまする」
打ち立てた計画を実際に証明するように、幕末に建造された君沢形スクーナーに準拠した形であるが、帆装をポーラッカ・スタイルに変更したものを試作建造していたのである。
無論、これは本格的なクリッパー船の建造を行うための練習とも言えるそれだったが、相良金属工業を設立した直後に相良の船大工に概念図を見せ、入念な打ち合わせの上で建造したのだ。
これが完成したのが12月の末であった。年末から年始にかけて慣熟航行をしてやっとお披露目出来る状態になったことで経済安定本部においてぶち上げたのだ。
「これから家老のお二方のいずれかに乗船いただき、江戸まで出向いていただきます。その後、大坂まで行き、そして戻っていただきます。所用行程4日を予定しております」
そう言うと家老の二人は目を回した。
「その様に急なことを言われても困る。そなたが乗って参れば良かろう」
「左様、我らも藩政で忙しい。その様なことは前もって言ってくれねば……」
「それでは信じていただけませぬ。家老職であるお二方が実際に体験なさるのが他の者への説得を行う際に力となります故……」
渋る二人に職責を盾に迫る。
「では、井上殿、そなたが参られよ、儂は城代家老、この地を離れるわけには行かぬ故」
三好殿がそう言うと井上殿は「お前、そこで裏切るのか!」という表情でいるが、理屈は通っているため反論出来ない。なんとか言い訳を考えるが、どうも分が悪い。
「……相分かった……致し方なかろう」
渋々頷くとその表情には諦めに似たそれがあった。
「では、井上殿、参りましょう……」
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