被疑者田沼意次と幕閣の思惑
明和4年11月30日 江戸城 神田橋門内 田沼意次邸
アイシャルリターン! じゃなかったアイハブリターンド! だったか? どこぞのコーンパイプ加えた鬼畜外道の言葉だ。また江戸に戻ってくる羽目になった。なんだって、こうも未来のビジネスマンみたいに江戸と相良を毎月往復しなきゃならんのか……。あぁ、分かっているさ。歴史を弄った報いさ。あぁそうさ。わかってるさ。
江戸にいらっしゃる被疑者をとっ捕まえて、三井三池の件を詰問せにゃならんわけだが、まったく、なんだってなんの相談もなくあんな真似してくれたのか。
「殿、三井三池の件ですが、なんであんな真似をなさったのでしょうか? 包み隠さず、お話くだされ」
「あー、うー、それはだな」
あーうーって大平総理じゃないんだから……。あの人は「あー」で考え、「うー」で纏め、それから答えたとか言ってたな。
「正直申しまして、非常に困っております。あんなことされますと、折角纏まった筑豊炭田の独占契約が価値を損ないます。いえ、越後屋、三井が三池炭田を開発すること、そのものは大変結構です。先見の明そのものです。ですが、こちらの相良5社の事業が軌道に乗ってもいないのに斯様なことをされますと筑豊炭田が大赤字になります。実際、消費する当てがあるとは言えど、独占契約だけでも供給過剰。そこに三池炭田を本格稼働なんてされましたら石炭の価値そのものも下落し、福岡藩と小倉藩も巻き込んで破滅しかねません」
私はまずは苦情と状況をまとめて言ってやった。被疑者には、相談もなく三井を巻き込んだことを反省してもらわないといけない。
だが、被疑者はこう返してきた。
「そなたの苦情はよくわかった。相済まぬ。じゃが、先日の約定は幕府にとっても逼迫する財政を好転させる好機と幕閣、まぁ、老中の阿部正右殿が主張してのぅ。ゆえに御用商人である越後屋に上納金と引き換えに炭田の情報を与えたわけじゃ」
老中連が噛んできたか。まぁ、そうだろうな。この時期の幕府の財政は悪化の一途を辿っている。それを田沼時代になって150万両積立まで回復させたというが、東照大権現が600万両積立たというそれから考えればなぁ。恐らく、今現在50万両もないんだろうな。
「幕府も無い袖は振れない。上様のご趣味の散財も逼迫の原因であるが、大火に弱い江戸の復興や飢饉に備えると……」
あぁ、そうだろうな。これから約20年後には天明の大飢饉と浅間山噴火が待ってるしなぁ。って、それを教えたの私だしなぁ。
「わかりました。それは仕方がありません。で、越後屋からいくらせしめたのですか? まさか万両程度は有りますまいな?」
「まずは10万両程上納させた。毎年3万両、それと収益の1割を追加上納とさせた」
「適正とは思えませんが、運営当初は赤字確定なので、まぁ良しとしましょうか。こちらも過剰に上納させられては利益が出ませんからな」
ったく、三井三池の価値をなんだと思ってやがるのか。10万両? そんなレベルじゃないぞ。最低でも100万両単位だ。だが、そこまで巻き上げたら巨大資本越後屋でも潰れるからなぁ。
「ところで、別子銅山を牛耳る住友を用いなかったのは……いえ、なんでもありません。聞かなかったことにしてください。今は余所に競合されたくないですからな。また後日、住友を用いた鉱山開発については献策致します」
要らんこと言ってしまったな。でも、住友の鉱山運営は今後他の鉱山にも適用させ、蝦夷地開発にも参画させる必要がある。いずれ、どこかで活躍させて幕府に上納してもらえるように育てないと……。
「そう言えば、源内が秩父に鉄があると申しておったが、そなたは知っておるのか?」
あぁ、そう言えば明和3年、つまり去年だが、源ちゃんは当時の川越藩主で老中でもあった秋元凉朝……この人、意次様の政敵だったな……の依頼で秩父山中を探索して鉄を発見したんだった。まぁ、そこの開発は昭和に入ってからだったんだが。
「存じております。元は武田信玄の隠し金山があったとか。鉄だけでなく、亜鉛、銅、鉛なども産出するかと思われます。また、青梅から秩父に掛けての山中は良質の石灰が取れます故、今後はこちらも開発すべき要所でありまする。石灰は肥料として農地に撒けば土質を改良してくれるものですから干鰯とともに重視したい資源といえましょう」
「秩父の鉄は先の住友にやらせてみてはどうか? そして三井同様とし産出した資源は我らが買い付ける。我らは石炭が不足していたが、今では余っている。しかし、鉄が今度は足りぬであろう? ならば、これで供給の均衡が図れるであろう?」
「そうですな。では、殿にはその便宜を図っていただきましょう。私はこれより越後屋に出向きまする。三池の石炭をどうするのか伺ってまいります」
幕末といい、今世といい、福山藩主にして老中を歴任する阿部家はやっぱり幕政の主導権を握っている。だが、阿部正右、彼の寿命はもう尽きる。世子の正倫は田沼派であるし彼は恐らく自領福山藩の財政状況を把握させれば泣きついてくるはず。利用する手駒には丁度良いかもしれない。
「殿、もう一つ、お願いがございます。老中阿部正右殿、並びに世子の正倫殿と懇意になさいますよう。正倫殿には我らの手駒となっていただきたく……」
「お主、悪い顔で笑っておるな。良かろう、そちの利益から付け届けをせよ」
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