石炭調達交渉
明和4年11月上旬 江戸
意知様から拝領した親展を携えて一橋家に赴き、一橋家家老の田沼意誠殿へ取り次いで貰うと思いのほか歓待された。
「そちのことは兄上からよく聞いておる。兄上の所領で成果を上げておると言うではないか、兄上が用いておるそちが儂を頼ってくるのであれば、それに応えてやるのが兄弟の絆というもの……治済公に裁可をいただく故、少し待っておるがよい……」
殆ど二つ返事同然の形で仲介の口添えをしてくれたのだが、これは意誠殿が意次様の実弟であるという理由もあるが、家治公直属の側用人という重職にあることから一橋家においても意次様の意向は大きく影響力を発揮していることを意味している。
暫く待たされた後、意誠殿が一橋治済様の名が記された書状を携えてやってくると満面の笑みでそれを手渡してくれた。
「兄上に宜しく伝えて欲しい。しかし、燃える石とはそれほどカネになるのか?」
「石炭はそれ単体ではそれほど価値があるものではありませぬ。用途によってその価値は何倍にも膨れ上がりまする。その例が製塩でございます。塩を作るのに石炭は必需品と言っても良いのです。ただし、我らはそれ以外の用途にこれを用いようと考えております」
「左様か……話がうまく纏まった折は……分かっておろうな?」
意誠殿は暗に賄賂を要求してきた。まぁ、兄弟のパイプを利用したとは言えども付け届けはどうしたって必要だ。一橋家だからと言っても財政が豊かであるわけではない。
実際、一橋家は治済様は未だ元服したばかり。数えで18歳になったかどうかだ。家内政治は意誠殿が取り仕切っている。家内財政を少しでも潤そうと考えれば、諸大名への取り次ぎや仲介といった手数料収入が大きな助けになるのは間違いないのだ。
「ことが成った暁には……必ずや……」
「その言葉忘れるでないぞ」
それから意次様に報告をすると満足そうにうなずき、その後の交渉も任せるとの言葉をいただいた。
日を改めて、西国譜代大名の筆頭として九州の玄関口を抑える、いわば「九州探題」の役割を果たす小笠原家に出向く。ここには意次様の書状を携えていった。
小倉藩小笠原家はこの時期、藩財政が破綻状態に陥っていたこともあり、なんとしてでも財政再建を為さねばならない状態であった。特に農産品・石炭・焼物などの主要産品を藩が管理することで財政再建を為そうと必死になっていた時期でもある。
ある意味では渡りに船というもの。こちらは大量の石炭が欲しく、相手は大量の石炭を売りたい。 製鉄が軌道に乗ればその分だけ両者の関係は深まり小倉藩は相良藩を、小笠原家は田沼家を裏切れない関係へと深化する。
田沼体制の一翼を担う存在になると同時に老中など幕閣の要職に就ける家柄だけにその付随する価値は何倍にも膨れ上がるのだ。
「小笠原家の石炭を売っていただきたい、大量に、継続的に……これは田沼意次様の紹介状。田沼様は小笠原家の譜代としてのその役割と重責をよくご存じでございますれば、そのお手伝いをと考えておられます……」
小倉藩江戸家老に対面してすぐに本題を切り出すが、同時に小笠原家の内情を知っているぞと暗に仄めかすことで悪い取引ではないと伝える。
「我々が必要とする石炭を供給出来るのは小笠原家の炭田若しくは隣国黒田家の炭田のみでございまして、外様の黒田家と手を携えれば十分にその欲する分量を得ることは出来ますが、小笠原家は譜代の名門、田沼様は側用人であり、同じ幕府の重責を担う存在であります故、小笠原家を優遇したいと考えております」
ヨイショすると同時に福岡藩からでも手に入ると仄めかす、実際は数が必要だから両方から手に入れるのだが、少しでも条件を良くする為に値引きを暗に要求しているのだ。
「そして……こちらは山吹色の饅頭でございます」
付け届けをタイミングを見て取り出して囁く。
「小笠原家が頷いていただけるのであれば、猟官運動に際して田沼様を通じてお力添えすることをお約束致します……何かと御入用でありましょう」
それが決定打となった。小笠原家の家格では幕閣の要職と言えば老中職が適当である。それには莫大な賄賂が必要となる。それを肩代わりするという存在、しかも家治公直属の側用人であり、御側御用取次の頃から老中の提出した政策を事実上拒否したなど幕閣に強い影響力を持つ意次様の口添えは大きな助けになるのは間違いないからだ。
「その時はよしなに頼む」
江戸家老が頷いたことで小倉藩内における事務方の調整があるとは言っても、筑豊炭の調達の目処が立った。
あとは、福岡藩黒田家だが……一橋家と意次様の書状で小倉藩小笠原家以上に簡単に話は進んだ。御三卿当主である兄の命と飛ぶ鳥を落とす勢いの側用人の影響力はよく効いた。とんでもない効き目だった。
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