北九州周旋活動
明和4年10月10日 江戸城神田橋門 田沼意次邸 有坂御用部屋
用は済んだとばかりに相良に取って返して事業を進展させるつもりだったが……。
「有坂殿! 有坂殿! お待ちくだされ!」
田沼邸を出た直後に田沼家家人にとっ捕まった。私個人としては、今すぐにでも相良に戻り造船を基幹とする相良重工業設立させ、それをもって洋式船の設計と並行し造船所の建造を進める予定だったのだが、意次様は石炭を産出する諸藩を周旋せよと命じてきたのである。
石炭を算出する藩で有力候補は、御三家水戸藩の常磐炭田、譜代大名である小倉藩小笠原家の筑豊炭田、外様大名である福岡藩黒田家の筑豊炭田、同じく柳川藩立花家の三池炭田だ。もっとも、現状で稼働していることが確実なのは小倉・福岡両藩にまたがる筑豊炭田だ。
特に小倉藩領では室町時代に発見され、木炭よりも効率の良い燃料として扱われてきた。また、時代が下って18世紀に入ると製塩用の燃料として用いられるようになった。
これを契機に小倉・福岡両藩において採掘、輸送、販売が統制され炭鉱開発が推進されるようになったのである。史実においても、明治維新を経て日清戦争の賠償金で建設された八幡製鐵所における原料炭の供給地としてその真価を発揮、日本最大の炭田として隆盛を極めるのである。
距離だけを考えれば水戸藩及び磐城平藩の領内にまたがって存在する常磐炭田の方が近いのだが、ここは明治維新後に発見開発された炭田であるのだ。また、1トンの石炭を採掘するのに4トン程度の地下水が湧き出すと言われるほど採掘コストが高い炭田であるが故にこの時代での開発は適切とは言えない。更に言えば、鉱石の品位が低く、品位の高い石炭を得るには地下深く探鉱しないといけないという不利な条件が重なっている。
しかし、常磐炭田を開発するメリットもまた存在することも私は知っているだけに候補から落とすのは勿体ない気がしてならない。
「やはり、本命は小倉藩か……いや、福岡藩か……」
外様大名である長州藩毛利家に眠っている大嶺炭田は未だ発見されていないし、そもそも、幕府にとって薩摩藩島津家とともに仮想敵国である以上、利益を与えるなど論外である。だが、無煙炭を産するので惜しいと言えば惜しい。
そう唸っているときである。不意に部屋の襖が開き、意知様が入ってこられた。
「福岡藩黒田家の当代、黒田治之殿は一橋家から養子に入っておられる。また、一橋家の家老に我が叔父田沼意誠殿がおられる。仲介を頼むなら一橋家を通すと良いと思うが如何?」
渡りに綱とはこの事。思わず膝を打ってしまった。
「そうそう、小倉藩小笠原家は譜代の鑑と称される程に幕府への貢献が大きい。しかし、藩内の事情はその分だけ芳しくはないようだ。一つ小笠原家にも恩を売るのも良いと思う。一橋家の叔父へ宛てて父上に一筆いただいておく故、改めて取りに来るが良い」
意知様の配慮が頼もしく思える。御三卿の一角である一橋家という存在は非常に大きい。
「では、私は倉見殿と共に小笠原家に話を通してまいります。」
思いもよらぬところに縁があるものだ。この縁を活かして黒田家の懐柔が出来れば小笠原家抜きでも十分に石炭が供給可能となる。そして、両方を懐柔できれば、収益を狙い競って出荷することになるだろう。そうなればコストダウンも図れるし、大規模運営になる分だけ効率化出来る。
しかし、こうもトントン拍子に何もかもが動くと何故か気味が悪い……。いや、思いもしない方向にドミノが勝手に倒れて連鎖していく……そんな気がしてならない。
一抹の不安はあれども、意知様からの助け船を活かす形で北九州の雄を取り込むべく手を打っていかねばなるまい。
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