#95 壁際
「いたぞ!」
夜明けまもなく、兵士の叫び声がする。それは、我が第8軍の兵士ではない。
追手である第5軍の兵が、我々のこの隠れ家を見つけた。すぐに我らは森の木々に紛れ込み、北へと向かう。
「リーナ様!ここは、我らが!」
そう言って、4人の兵士らがその場にとどまる。彼らは銃をとり、火薬と弾を詰め始める。そして、火縄を取り出し、着火する。
「……ではいずれ、天国で!」
覚悟を決めた兵士らに、私はそう応える。銃を構える兵士らは、こちらに手を振って私に応える。それを見届けた私は唇を噛み締めつつ、テイヨとともに森の奥へと向かう。
「この先は確か、川岸です」
「川……ということは、その先は……」
「はい、瘴気の森です」
とうとう人と魔物の境界にまでたどり着いてしまった。川の流れのおかげか、瘴気の流入がそこでさえぎられているが、その川を越えれば、昼間でも薄暗い、真っ黒な霧に覆われた大地となる。
無論、その中には一つ目の巨人サイクロプスや、残虐ですばしっこいゴブリンなど、多くの魔物であふれている。
前面の瘴気、後方の追っ手。どちらに向かえど、我が命の危機は免れまい。となれば、少しでも生き残る術のある方を選ぶしかない。
すなわち、瘴気に紛れてその淵を歩み、川沿いに迂回して隣国のスデーデン王国へと落ち延びる。そこで兄上の、インマヌエル殿下の非道を陛下に進言する。それが、私の盾となり、死んでいった者たちへの手向けとなる。
と、その川岸が見えた頃、後ろからババババッという炸裂音が響く。あれはおそらく、我が兵士達の放った決死の銃声であろう。が、その直後に、それを上回る数の炸裂音が響き渡る。
それは、私に付き添った4人の兵士らの終わりを意味する音だ。だが、私は振り返ることなく前へと進む。彼らが稼いだこのわずかな時間を、無駄にすることはできない。
「リーナ様、川です」
「うむ、テイヨよ、行くぞ」
「はっ!」
ちょうどそこは川幅も狭く、浅瀬の広がる場所だった。私とテイヨはためらうことなく、川の中へと飛び込む。鎧のまま飛び込んだため、その流れに流されそうになるも、どうにか向こう岸まで渡り切る。
と、その直後に、私に目掛けて銃声が鳴り響く。対岸から第5軍の銃士隊数人と思われる兵士達が、白煙上がる銃口をこちらに向けている。
幸いにも、弾は逸れた。そして私とテイヨはその向こうの、濃い霧の中にその身を投じる。
……これほど濃い瘴気の中を進むのは初めてだ。まだ日が昇ってまもなくだというのに、雷雨の直前のような薄暗さだ。しかし幸いにも、魔物はいない。
森の木々の合間を抜けて、川沿いに瘴気の淵を進む。
それからしばらくは、何事もなく前に進む。森の木々の間は足場も悪く、思うように前に進めないものの、その木々が2人の身を魔物から隠してくれるため、この瘴気の中を無事に進むことができる。
これならば、隣国へ落ち延びることも容易にかなうのではないか……
だが突然、私は目の前が開けるのに気づく。その身を画すべき木々が、まったくない。
まずい。そう思った私は、辺りを見る。だが、川沿いを歩いていたはずだというのに、川の音がしない。いつのまにか我々は、川から離れてしまったらしい。
「テイヨ、どうやら道に迷ったようだな」
「はっ、リーナ様、これは一度引き返した方が……」
と、私がテイヨと話していたその時だ。まさに引き返そうとしたその木々の合間から、子供くらいの緑色の何かがわらわらと現れる。それを見て私は気づく。
ゴブリンだ。このずる賢い小鬼どもが、我らを追って現れた。
「テイヨ!」
「こっちです、リーナ様!」
すぐさま我々は、薄暗い平原へと飛び出す。ゴブリンを1匹見たら、その背後に30匹いると思え、とは、我らが常識だ。ましてや数匹ものゴブリンが現れたということは、その後ろには無数の小鬼どもが控えていることになる。
そのゴブリンが1匹、私の腕につかみかかる。私はそれを払いのける。が、さらにうえから2匹ほど、飛び込んでくる。私は短刀を抜き、その首筋目掛けて切りつけた。
血しぶきを上げながら、ゴブリンどもは落ちていく。が、次々とその後ろから襲い掛かるゴブリンども。
「くそっ!きりがないぞ!」
「リーナ様、あれを使います!」
腕にとりついたゴブリンを払いのけながら、テイヨが叫ぶ。私は短刀でしがみついてきたゴブリンの首筋を切りつけると、その場でしゃがみつつ耳をふさぐ。
バーンという音が響き渡る。テイヨが、火薬を詰めた手筒に火をつけて、それをゴブリンの群れが潜む黒い霧の中へと投げつけたのだ。炸裂した火薬の音で、臆病なゴブリンどもはたちまち逃げ出す。
「助かった……のか?」
だが、ゴブリンの逃げ方があまりにも手際が良すぎる。火薬というより、まるで何かにおびえたような、そんな退散の仕方だ。その直後、ずしんという音と共に、地面の揺れを感じる。
私は、ゴブリンらの逃げる方角とは真逆の報を向く。
そして私とテイヨは、まさに絶望の淵へといざなわれる。
それは、空から舞い降りてきた。てっきりサイクロプスでも現れたのかと思いきや、それをはるかに上回る巨大な魔物が、我が前へ現れる。
まるでコウモリのような羽根を持ち、十人分の太さの胴体を持つ、深い緑色のトカゲのようなうろこ状の皮膚の魔物は、明らかに龍族の類いだ。
が、ワイバーンではない。さらに大きなそれは、その赤い目でこちらを睨みつける。
私もテイヨも、とっさに左脇の剣を抜く。が、我々の剣など、その龍族の前では、風になびくススキも同じ。剣を握る腕の震えが、止まらない。
その巨大な龍族は、いきなり我らに向かってその羽根を仰いだ。
猛烈な風と共に、私とテイヨはまるで野草の綿毛のごとく舞い上げられる。そして後ろの木々に、私もテイヨもたたきつけられる。
「ぐはっ!」
腹の底から、これまで出したことのない不気味な音が吐き出される。と同時に、胃の中の物がこみあげ、それを一気に吐き出す。ぼたぼたとだらしなく流れ出るその嘔吐物を前に、私は膝まづく。
テイヨが、すぐそばに見える。が、すでにその意識もなく木の根元で力尽きている。私は何とか顔を上げて、私とテイヨに死をもたらすその生き物の姿を捉える。
恐ろしい、実に恐ろしい形相の龍族の顔が、私を睨みつける。彼らから見れば虫けら同然なこのひ弱な人間に睨みつけられて、その不快感をあらわにするかのように、眉を顰める。そして、その大きな足を振り上げた。
ああ、これで私も終わりか……私に「死」をもたらすその巨大魔物を見上げながら、すでに選択の余地のない我が命の行く末を覚悟する。
が、その時だ。再び何かが、空から舞い降りる。
ちょうどあの龍族が振り上げた足の前に、それは降り立つ。背丈はサイクロプスよりも大きいながら、寸胴な人型の大きな魔物。
それは、うわさに聞くゴーレムそっくりな魔物だが、しかしよく見ればそれは、鎧のような金属で覆われている。そしてそれはウィーンという聞いたこともない甲高い奇妙な音を立てながら、腕を振り上げる。
しかし、目の前の龍族から見れば儚い存在。その龍族の振り上げたその足によって、まさに踏みつぶされようとしていた。
が、そこで異変が起こる。そのゴーレムと思しき魔物の数倍もの大きさの龍族の方が、後ろに弾き飛ばされたのだ。火花を散らし、バチバチと音を立てながら吹き飛ばされる龍族の身体は、やがて地面へとたたきつけられる。
なんなのだ、あのゴーレムは……薄れゆく意識の中で、そのゴーレムが何倍もの魔物に立ち向かっていく姿を、私は見た……
◇◇◇
「なんだと!?どういうことだ!」
「はっ!おそらくウイロウに、ザハラー上等兵曹も同乗している模様!」
発進した2機の人型重機が、ドラゴンと思われる巨大生物と遭遇したとの報が入った直後に、レーダーにあの半径1.5キロほど巨大な半円が現れた。その中心は、まさにドーソン大尉操る人型重機がいる。
あんなものを作り出せる奴は、2人しかいない。ザハラーとバルサム殿だ。が、バルサム殿は今、この艦橋にいる。ということは、あれを作り出せる奴は、残る一人だ。
まったく、なんだってドーソン大尉はザハラーを乗せたがるのか……そういえば以前にも、似たようなことがあった。が、あのときは偶然にも、門の周囲から湧き上がるゴーレムの動きを封じることが分かった。
が、今回は得体のしれない化け物と、奇妙な黒い霧があるだけの場所。特に何かが起こっているわけではない。しかし今、その地上には人型重機の何倍もの大きさのドラゴンがいる。
そしてそれは、人型重機を踏みつけようとし、逆にバリアによって吹き飛ばされた。
『ドーソン!ビーム砲で攻撃だ!急げ!』
『何を言うか!素手で闘う相手に飛び道具など、無粋すぎる!』
『そんなこと言ってる場合か!人がいるんだぞ!人命優先、急げ!』
たかが巨大トカゲ相手に、肉弾戦を挑むことにこだわるドーソン大尉を、デネット大尉が諫める。その直後に、ドーソン大尉機の放ったビーム砲の筋が、モニター上に現れる。
さすがの巨大トカゲも、人型重機の持つビームの破壊力の前に燃え尽きる。まるでワニの丸焼きをスケールアップしたような物体が、モニター一面に広がる。
『こちらテバサキ!ターゲット沈黙!これより、人命救助に移行!』
『こちらミソカツ!怪我人確保のため、これより当地点への降下を開始する!』
ダニエラが探知した場所を目掛けて降りてみれば、2人の人物と、それらを襲う巨大な羽根トカゲがいた。一体ここに、何があるというのか……訳も分からぬまま、ともかく我々は2人の人物を救助に全力を注ぐ。
「……おかしいですね」
と、急にジラティワット少佐さ呟く。
「おかしいって、どうみてもここは、おかしいものだらけだろう」
「いや、そうなんですが、それにしても……あのドラゴンらしき生物がいた場所って、確か、濃い黒い霧が漂ってましたよね?」
「ああ、そうだな。あれは一体、なんなのだろうな?」
「でもほら、モニターを見てください」
「モニター?モニターが、どうかしたのか?」
「このとおり、その黒い霧が今、ないんですよ」
「……確かに、今は晴れているな。だが、あれだろう。さっきドーソン機が放ったビーム砲の衝撃で、吹き飛ばされただけじゃないのか?」
「いや、それにしては広範囲にその霧が消えてしまったんです」
確かに、言われてみれば先ほどまで漂っていた、あの薄黒いすすのような霧が、まったく見られない。あとには、広い平原が見える。長いことここは、あのどす黒い霧に覆われていたらしく、草木の生えないむき出しの大地が広がっている。
ジラティワット少佐には奇妙に映るようだが、僕にとってはそんな不自然な霧が晴れている方が当たり前だと思っているから、たいして気に留めなかった。
そして、0001号艦は、その日の光が降り注ぐ不毛な平原に向かって、まさに降り立とうとしていた。
◇◇◇
……白い。目の前が、真っ白に輝いている。
天国という場所は、真っ白な光に満ちたところだと言われている。つまり私の感じているこの光は、まさにここがその場所だという証左でもある。
ああ、とうとう私は、フィルディランド皇国の行く末を見届けることなく、死後の世界へと辿り着いてしまった。かようも早くに天国に来てしまうとは、先に旅立った兵達にどう顔向けすれば良いのか?
が、不思議と心穏やかだ。もはや、兄上からの理不尽も、あの魔物からの恐怖も、何も感じなくなっていた。天国とは、かくも心穏やかになれる場所であったのか。
しかし、目を開くと、そこはあまり天国らしからぬものが見える。
白い漆喰で作られた天井が見える。白い光は、その白い天井に埋め込まれた細い長い棒のようなものが放っていた。そして、私はベッドのようなところに寝かされていることが分かる。
しかしこのベッド、何もかもが白い。かけられたシーツに枕、そしてこのベッドを囲むカーテン、それら全てが真っ白だ。
あらゆるものが白いのかと思いきや、白くないものも飛び込んでくる。脇に置かれた、白と薄緑の、緑色の文字の書かれた不思議な箱。いや待て、この文字、今動いたぞ?その光る不可思議な文字が書かれた奇妙な箱から、透明な細い管がスーッと伸びており、それは私の左腕に繋がっている。
何なのだろうか、これは?おぼろげな頭で、私はこの状況を必死に考える。
天国と呼ぶには、どうにもおかしい。天国というところは、穏やかな陽の光が差し込み、春の陽気の中、あちこちには桃やリンゴがたわわに実った果樹が並び、その合間に人々が談笑し合い、空には天使が舞う場所だと聞いている。だが、ここにはとても天使が舞えるほどの高さはない。おまけに、どうにも身体が重い。
と、その時だ。カーテンが開き、人が顔を出す。それは、真っ白な服を着ている男だった。
「あ、お目覚めになりましたか!?」
その男が言うので、私はうなずく。すると男は私に尋ねる。
「あの、もしかして私の言葉、分かりますか?」
それに対して、私はまたうなずいて応える。そして私は、この男に尋ねる。
「……ここは、どこなのか?」
「ああ、ここは駆逐艦の医務室ですよ」
男は応えるが、何を言っているのかが分からない。クチクカン?何だそれは。聞いたことがない名だが、ここは天国ではないと言うのか?
と、その時、私の脳裏にはあることが浮かぶ。私はその男に尋ねた。
「おい!もう一人、私の他にいなかったか!?」
「えっ!?あ、ああ、いますよ。この奥のベッドで寝ておられます」
それはおそらく、副官のテイヨであろう。私は身体を起こして、テイヨの無事を確認しようと立ち上がる。
「ああ、お待ち下さい!だめですよ、まだ立ちあがっちゃ!」
「テイヨの、我が副官の無事を確認せねば……」
だが、身体を起こすのもままならず、足にも力が入らない。なんということか。私は、これほどまでに脆弱な身体だったと言うのか?
「はぁい、お見舞いに来ました〜。まだ寝てますぅ?」
と、そこに別の人物がやってくる。声からして、女だ。白衣の男は応える。
「あ、フタバさん。今、こちらの方が目覚めたのですが、急に起きると言い出しまして……」
「えっ!?てことは、言葉通じるの!?こんなところでも、統一語が使えるんだ!ラッキー!」
困り顔の男の言葉に対し、えらく楽観的な女が現れた。こやつ一体、何者なのか。
そして、ここは一体、どこなのか?




