#86 逆転
なんということだ……あの第1艦隊が、コールリッジ大将の艦隊が、これほどまで脆く、崩されている光景を見るなんて。
陣形図には、コールリッジ大将率いる第1艦隊しか映っていない。つまり、味方はまだ1万隻。一方の敵は2万。察するに、いきなり現れた倍の艦隊に急襲されて、陣形を保てなくなったようだ。
だが、第1艦隊がこれほどあっさりと負かされるとはどういうことだ?考えられるのは、始めに敵は星間物質層の中から攻撃を加えて第1艦隊を圧倒し、後退したところを一気に攻めた。そんなところだろうか。
しかし、後方にいる第4艦隊、および第5艦隊は何をしているんだ?味方がやられているというのに、まだ駆けつけられないのか?
「提督!」
唖然としている僕に、ジラティワット少佐が叫ぶ。
「な、なんだ!」
「特殊砲撃を、行いましょう! あれだけの数の敵を相手に援護するには、500隻程度の通常砲撃では、埒が明きません!」
「そうだな……だが、距離は27万キロ、敵の射程内だ。それこそ、反撃を受けるぞ」
「一旦、後退するのです! 星間物質内にて待機し、発射直前に前進、指向性レーダーで敵を捉えて撃沈! それしか手はありません!」
確かに、我々の特殊砲撃を上手く当てれば、千隻単位の敵が撃沈する。となれば、敵は後退せざるを得なくなるだろう。僕は決断する。
「よし、全艦後退! 星間物質層に潜る!」
第8艦隊は、すぐに後退する。すると、気の短いやつが怒鳴り込んできた。
『おい! 味方が瓦解しかかっていると言うのに、なんで後退するんだ!』
頼むから、こういう時くらい黙って従ってくれないかなぁ。僕は、怒鳴り込んできたエルナンデス大佐に応える。
「今は作戦行動中だ。直接通信ではなく、暗号電文にて行え」
『そんな悠長なこと言ってられるか! 味方が、やられているんだぞ!』
「だからこそだ。これから、特殊砲撃を行う」
『はぁ!?特殊砲撃!? 1分半もかかる悠長な砲撃を、ここでやるのか!?』
「当たれば、50隻の戦隊長艦だけでも1千隻は沈められる。2万隻の大艦隊に致命傷を与え、退却に持ち込むには、これしかないだろう」
『……分かった。なら、さっさと装填指示を出せ!』
お前が不用意にでしゃばらなければ、もう装填開始をしている頃だったはずだ。まったく、作戦行動中にはそういう余計なことをしないで欲しいものだな。
そして、496隻が後退を終えて、再びレーダー不感宙域に入る。僕は下令する。
「特殊砲撃艦、装填開始!」
この旗艦以外の特殊砲を搭載した戦隊長艦は、一斉に砲撃準備に入る。やがて、50隻の艦の先端には、青白い光が灯る。
こちらはレーダーが届かない場所ではあるが、高エネルギー反応を受けて、敵もこちらの動きを察知したようだ。敵の一部の艦艇が、砲撃を開始する。
「敵艦隊、砲撃を開始!」
「各艦、防御陣形!」
とはいえ、レーダーで捉えられない我々を、正確には当てられないようだ。青白い光は、我々の脇を外れていく。とはいえ、まぐれあたりもあるかもしれない。一応、各戦隊長艦の前に、4隻の船を並べて攻撃を防ぐ。
「装填完了まで、あと20秒!」
「よし、ではそろそろ、前進開始だ!」
僕は、特殊砲撃艦に向けて、前進を指示する。彼らは今、化学スラスターしか使うことができない。このため、この星間物質層を抜け出し、レーダーを有効にするには、少し早めに動き出さないといけない。
が、ここで誤算が生じる。
「提督! 戦隊長艦、全く前進しません!」
「なんだと!?」
ジラティワット少佐の叫び声に、僕は陣形図を見る。窓の外を見ると、スラスターを目一杯噴かす艦が見えるのだが、陣形図の上では、全く進んでいない。これでは、象を引っ張る亀のようだ。
化学スラスターというのは、これほどまでに無力だったのか……ジラティワット少佐の提案で、星間物質の中に潜り込んでしまったが、これは失敗だったようだ。だが、まもなく特殊砲撃の発射準備が整ってしまう。
どうしようか?どうにかして、僚艦に敵艦の位置を伝えなければ……
そこで僕はようやく思い立つ。僕は砲撃管制室に連絡する。
『砲撃管制室! カテリーナに、敵艦隊のロックオンを!』
「……了解! カテリーナ兵曹長、ロックオン作業に入ります!」
「ジラティワット少佐! ロックオン情報のデータリンクを!」
「了解!」
すでに砲撃科ではこの事態を想定していたようで、意外と早く、ロックオン作業に入る。そしてそれを、ジラティワット少佐が全艦に伝達する。
モニター上には、次々と目標が現れる。考えてみれば、敵は正面には腐るほどいる。ロックオンし放題だ。その点の数は、20秒の間に2千を超えた。
「特殊砲撃艦、全艦、砲撃準備よし!」
「特殊砲撃、開始!」
「了解、特殊砲撃、開始!」
僕の号令と、ジラティワット少佐による復唱の後、青白い閃光が一気に放たれる。僅か4秒間の砲撃が終わると、戦果報告を待たずに僕は号令をかける。
「これより、敵艦隊主力に向けて進撃する! 全艦、全速前進! レーダーにて敵を捕捉でき次第、順次砲撃を開始せよ!」
まだ特殊戦態勢から切り替えが終わっていない戦隊長艦以外の艦が、一気に機関を振り絞り、前進を始める。
すると、またルール違反を覚悟で、直接通信をしてくるやつがいる。
『おい! 戦隊長艦を置いて前進する奴があるか!』
「仕方がないだろう! 敵が混乱する今がチャンスなんだ! 通常回路接続ができ次第すぐに、戦隊長艦も前進せよ!」
まったく、エルナンデス大佐め、攻撃しろだの、置いていくなだのとうるさい奴だ。僕はこの直後、ジラティワット少佐に、エルナンデス大佐からの直接通信を受けないよう伝える。
しかし、全部で2万の艦隊だ。どれくらいやったのかは知らないが、まだその大半が残っていることには変わりない。レーダー観測から、先ほどの特殊砲撃の戦果が伝えられる。
「提督! 先ほどの特殊砲撃による敵への損害、推定で900!」
「そうか、了解」
900隻か……やはり、星間物質内からの砲撃では、命中率が下がらざるを得ないな。しかし、もうちょっと期待したのだがな。
とはいえ、2万隻の内の900隻。これでもかなりの損害だ。しかも、後方からの強力な砲撃。これで敵も撤退を決意するのでは……
と思ったが、甘かった。
敵は、攻勢を緩めようとはしない。というのも、総崩れとなった第1艦隊が目の前にいながら、撤退をしようなどとは考えないようだ。ますます、前進を続ける敵の大艦隊。
まずいな……これは困ったぞ。これでは、第1艦隊に大損害が出てしまう。すでに5つに分断された第1艦隊は、散り散りになりつつ後退を続けている。もはや、艦隊の体をなしていない。
もう一度、特殊砲撃を仕掛けるか?
そう思った矢先のことだった。ジラティワット少佐が突然、叫ぶ。
「提督! 第1艦隊、コールリッジ大将から入電!」
「電文だと? こんな時に、なんだ? 読んでみろ」
「はっ! 読み上げます!」
僕はジラティワット少佐に電文を読み上げるように言う。
「『全艦隊に告ぐ! 肉を切らせて、骨を断つ』、以上です!」
「……なんだって? 肉を切らせて……それだけか」
「はっ! それだけです!」
意味の分からない電文が、第1艦隊から送られてきた。なんだこれは、暗号電文か?いや、そんな符丁など、事前の打ち合わせで申し合わせていなかったぞ。これは一体、どういう意味なんだ?
しかし僕は次の瞬間、その電文の意味を悟る。
間違いない。これは、反撃開始の合図だ。