#61 喧嘩
「……で、なんでここに、お前がいるんだ?」
さっきの喫茶店に、今度はダニエラを連れて現れる。店のオーナーは、再び現れた我々を、怪訝な表情で眺める。また何か騒ぐんじゃないのか、この客は。どうせそう思っているんだろうな。
なにせ、今度連れ込んだ相手は、さっき連れてきた男よりも、明らかに機嫌が悪そうな顔をしている。
そんな感情を隠しきれないダニエラ。原因は、聞くまでもないだろう。本来、ダニエラと一緒にいるはずの相手がこの場にいないことが、それを物語る。
「なんだぁ! もう夫婦喧嘩したのかぁ!?」
オブラートに包むことなく、ストレートに捲し立てるレティシアのこの態度に、ダニエラはテーブルを叩いて応える。こんな激しいダニエラも、珍しいな。そしてダニエラは叫ぶ。
「夫婦などでは、ありませんわ!」
頼むからダニエラよ、テーブルを叩くのはやめてくれ。さっきから、オーナーの視線が痛い。これ以上、何かをやれば、いよいよこの店を追い出されてしまう。
「……で、タナベ中尉とは、何があったんだ?」
確かにダニエラとタナベ中尉とは、まだ夫婦というわけではない。が、事実上、夫婦のような関係だ。それがどうして、ハカタからはるばるナゴヤまで飛んでくるとは、尋常ではない。
「……豚骨ラーメンというものを、頂いたんです」
「豚骨ラーメン?」
「はい……なんでも、ハカタの名物だというので」
「確かに、そうだな。で、それがどうして、ダニエラがここに来ることと繋がるんだ?」
「私、そのラーメンを見て、ナゴヤのあのラーメンのようですわ、と申し上げたのです。するとタナベ様、まるで烈火の如く、お怒りになり……」
と言ったところで、急に涙ぐむダニエラ。よほどショックだったのだろう。だがダニエラよ、さすがにハカタの豚骨ラーメンと、ナゴヤのあのラーメンを一緒にしてはいけない。ナゴヤ人がハカタ人の前でそれを言った途端、戦争が勃発するくらいのナーバスな話だ。
が、そんな事情など知るはずもないダニエラだ。どうしてあの一言が、タナベ中尉の逆鱗に触れたのか、理解できていない。
異文化ゆえのすれ違いだな。が、これはどう考えても、タナベ中尉が悪い。赤味噌より白味噌の方が至高、と言われた時のナゴヤ人の反応にも似たようなものがあるが、だからと言って、その事情を知らない者に当たり散らすのはダメだ。
「なんでえ、そんなしょうもないことで、喧嘩したのか」
「しょ、しょうもないっていわれても……」
「タイワンラーメンの事をタイワンのラーメンだと言い張るのと比べりゃ、大した違いはねえだろう。そんな些細なことを気にするような男なんて、ほっときゃいいんだよ」
「うう……そ、そうなのでしょうか?」
涙が止まらないダニエラを、宥めるレティシア。確かに、些細なことには違いないが、お前だって、うどんの方がきしめんより美味いと言っていた0001号艦のある乗員に向かって、ブチ切れたことがあっただろう。人のことは言えないと思うが。
ともかく、ダニエラは今、帰るところがない。仕方がないから、宿舎を手配する。元々、ひと月後にはここに来る予定だったからそれを早めたのだが、それはともかく、タナベ中尉が心配しているかもしれない、一応、ダニエラがここにいることを知らせておいた。
すると夕方になって、今度はタナベ中尉がすっ飛んできた。
で、今度は4人で対面する。場所はやはり、あの喫茶店。またしても、この面子か……といわんばかりのオーナーの視線が痛い。
だが、何かを話すなら、ここが一番いいから来てしまう。他に、この辺には静かな場所がない。
しばらく両者は目を逸らしたまま、なかなか口を開こうとしない。が、痺れを切らすかのように、タナベ中尉が呟くように言い出す。
「……ごめん……」
それを聞いたダニエラは、突然、叫び出す。
「謝るくらいでしたら、どうしてあのようなことを仰るのです!?」
またオーナーが、こっちをちらちら見てるぞ。そろそろこの店、出禁かな。どうしてこの客は、さっきから叫ぶやつばかりを呼んでくるのか、と。
もうすっかり、日も暮れる。だが、この2人の間には、7000光年以上の隔たりがある。一向に、歩み寄る気配がない。
「おい、ダニエラよ」
と、そこで口を開くのは、レティシアだ。
「……なんです?」
「その辺で勘弁してやれ。たかが豚骨ラーメンごときのことで、喧嘩なんてするもんじゃねえ」
「たかがって……」
レティシアのこの一言に、タナベ中尉が思わず、身を乗り出す。が、さすがにこういう状況だ。それ以上は、食ってかかろうとしない。
「タナベよ、考えてもみろ。おめえだって、モリグチ漬とナラ漬は一緒、きしめんとうどんに大差はねえ、そう思ってんだろう?」
「ま、まあ、そうですが……」
「たった数百キロ離れてるだけで、こんだけ感性がズレるんだ。なら、7000光年も彼方から来たダニエラに、豚骨ラーメンの違いなんて分かるわけがねえ。違うか?」
「……」
このレティシアの正論に、すっかり黙り込むタナベ中尉。すると、ダニエラが口を開く。
「そうですわ。私、タナベ様の故郷のことなんて、全然知らなかったのです。私だって、ペリアテーノのワインよりもポンペーノ産の方が美味しいなどと言われれば、文句も言いたくなります。ですが、それを知らぬタナベ様に、いきなり怒ったりは致しません!」
どこにでもあるんだな、こういう文化論争って。正直、ペリアテーノ産とポンペーノ産の違いなんて、僕には分からなかった。
と、そこに、コーヒーカップ4つ、運ばれてくる。空になったカップを引き上げつつ、新しいカップを置くオーナー。
「あの、コーヒーは頼んではいないが……」
「こういう時は、香りの良いコーヒーをいただくのが一番でございます。このコロンビア産は、とても落ち着く良い香りですよ」
と言いながら僕らの前に、オーナーは香ばしい香りのそれを一つ一つ置く。で、最後に請求書をポンと、僕の前に置く。なんだ、奢りじゃないのか。
しかし、そのコーヒーの香りの効果だろうか?その場は一気に和み、4人の顔から笑みが溢れる。
「ほんと、良い香りですわ」
「うん、コーヒーはよく分からないけど、これは確かにいいものだって分かるよ」
7000光年の隔たりは、このコーヒーが埋め合わせてくれた。再び、穏やかな店内に戻る。きっかけが、他人から見ればしょうもない……と言っては怒られるだろうが、人間関係を破壊するほどの慣習、思想でないものに、この2人は危うく振り回されてしまうところだった。
してみると、7000光年離れたごときでは、人なんて大した違いはない。こうやって、分かり合うことができる。
が、振り返って、我々の属する連合と、敵方である連盟とは、どうなのだろうか。この地球001から最も近い連盟側の星は、およそ600光年離れている。ダニエラのいる地球1010よりはずっと近い。が、僕らはそこに辿り着くことは叶わない。まさに、近くて遠い星だ。
実際に会って話せば、きっと気の合うやつだっているのだろうけど、そんなことすら叶わず、互いに撃ち合っている。いつか、そんな彼らとも互いに顔を合わせられる日が来るというのだろうか。僕はダニエラとタナベ中尉を見ながら、そんなことに想いを馳せる。
すっかり日が暮れたオオスの街を、4人は歩く。向かう先は、同じ宿舎だ。
20階建の標準的な高層アパートである宿舎に着くと、エレベーターへと向かう。そこで僕は、またもやどこかで見たような人物に出会う。
「あれぇ!? ヤブミ准将に、レティシアちゃん、それに……なんでダニエラちゃんまでいるの!?」
「いや、 こっちが聞きたいくらいだが……どうしてグエン准尉が、ここに?」
まさかこいつも、喧嘩した口では……いや、こいつにはまだ、喧嘩すべき伴侶がいない。
「暇なんですよ、あっちは。することもないし。だから早めに、こっちに来たんです」
暇だから来たというが、だったら、のんびりしてればよかったのでは。意外にこいつ、仕事好きなのか?
で、エレベーターを待っていると、さらに別の人物まで現れた。とんがり帽子に、黒っぽいマント姿。明らかにそれは、やつだ。
「……あ」
驚きの声を、密かにあげるカテリーナ。だが、驚いたのはこっちだ。僕は、尋ねる。
「どうしてカテリーナが、ここに……?」
まさかこいつまで、喧嘩別れ組か。グエン准尉と違い、こいつには相手がいる。まさか、ナイン中尉と拗れたというのか?
と思ったら、そこにナイン中尉も現れる。
「あ、提督」
「ナイン中尉か……って、貴官は確か、ミャンマーのヤンゴンに帰ったんじゃないのか?」
「ええ、そうですが、カテリーナが味噌カツを食べたいというので、それじゃあ少し早めにナゴヤへ行こうということになってですね」
なんだ、喧嘩じゃないのか。つまり、カテリーナのナゴヤ飯への愛が、この2人をここに向かわせただけらしい。だがナイン中尉も、カテリーナに優しすぎではないか?
このままでは、もう1人の戦乙女まで現れそうだ。そうなる前に、さっさと部屋に戻ろう。
多分、僕がそう思ったことが、フラグだったのだろうか。
僕とレティシアが、ダニエラやカテリーナらと別れて、14階の通路を歩いていた。と、ある部屋の扉が、バンと開く。
一瞬、カテリーナに見えたその人物は、もちろん、カテリーナではない。頭にはターバンを巻いた、褐色の肌のその人物。
そして、その後ろから出てきた、筋肉質で背の高い、まさに戦闘に特化した体格の男。
そんなペアが、よりにもよって僕の前に現れた。
「あ! 閣下ではないですか!」
ドーソン中尉が、僕に気づく。
「ドーソン中尉か……って、貴官は確か、テキサスにいるんじゃなかったのか?」
「昨日、こっちにきたんですよ。ザハラーが、ナゴヤを見たいというので」
なぜだ。なぜ皆、ナゴヤに集結する?
「……で、なんでザハラーが、ナゴヤを見たいと言うんだ?」
「ああ、それはですね……」
ドーソン中尉が応えようとするが、すかさずザハラーが応える。
「テバサキ!」
ああ、そういうことか。つまり、手羽先が食べたくなったのか……って、テキサスにだって、チキン料理の一つや二つあるだろう。なぜわざわざ、ナゴヤなんだ?
「おう! ザハラー、それじゃ行くか!」
「おう! マイク、テバサキ、食う! イェーイ!」
「イェーイ!」
ザハラーとドーソン中尉が、奇妙な掛け声を掛け合いながら、ハイタッチする。で、そのまま2人は手を繋いでエレベーターへと向かう。その様子を、呆気に取られつつ見守る僕とレティシア。
「なんてやつだ……今から、手羽先かよ」
レティシアの驚くポイントが、少しずれている気がするが、いずれにせよ我が旗艦の戦乙女が、ここナゴヤに集結した。
だが、そのきっかけが、豚骨ラーメンに味噌カツ、そして手羽先か……どうしてこいつらは、食い物の元に団結しているんだ?