#55 撤退
「レーダーに感! 艦影多数、数、およそ……計測不能! 距離、およそ100万キロ!」
「おい、計測不能とはどういうことだ!?」
「指向性レーダーの索敵範囲内に、びっしりと艦影が映ってます! おそらくこの範囲外にも、艦艇がいる模様!」
指向性レーダーとは、分解能が高い代わりに、索敵範囲が狭い。そのレーダー範囲で捉えられないほどの数の艦艇がいる。
だが、通常のレーダーにはまったく映らない。ということは敵はいわゆる「ニンジャ」を使っていることになる。だが、これまでの最大数は1千隻。今回はそれを上回る、2千隻以上が確認された。さらにその範囲外にも潜んでいると言っている。
「指向性レーダーを持つ全艦艇に連絡! 一斉に索敵を行う! 直ちに、指向性レーダーを照射せよ!」
「はっ!」
ジラティワット大尉が、艦隊に向けて僕の命令を発信する。大尉が電文を打つ音が鳴り響く。その直後から、データリンクにより相手の全貌が明らかになる。
「馬鹿な……まさか、これほど大規模とは……」
僕だけじゃない。この艦橋内のすべての乗員、いや、データリンクしている298隻の艦橋内でもおそらく、同じ光景が広がっていることだろう。
そこにあるのは、一個艦隊、1万隻の陣形図だ。何と敵は、一個艦隊丸ごと「ニンジャ」状態でこの宙域に突入してきた。まったく想定外の大規模艦隊の出現に、わずか300隻ほどの小艦隊は、狼狽するほかにない。
いつもならば、これほどの大艦隊の接近を哨戒艦が探知し、その周辺星域に知らされる。が、艦隊を丸ごとレーダーから消して現れたこの敵に対する警戒警報は、もちろん発令されていない。
何ということだ。敵の接近を、我々は許してしまった。だが、相手が多過ぎる。敵1万隻に対し、こちらはその30分の1以下。ぶつかり合えば、戦闘などなりようがない。
「直ちに第1艦隊に連絡! 我、敵一個艦隊と遭遇せり、白色矮星基準座標で……」
僕はすぐに味方へ第一報を送る。ともかく、あれだけの艦隊の接近に今からでも備えるしかない。このままではこの宙域が、連盟軍に蹂躙されてしまいかねない。
さて、味方への通報は終えた。だが、このまま撤退というのも忍びない。なんらかの時間稼ぎができないものか?
「いえ、すぐにでも撤退すべきでしょう。機雷敷設などの工作を仕掛けようにも、当艦隊は工作部隊がおりません」
「それはそうだが……しかし、このままではあのレーダー基地を失うぞ」
「やむを得ません。元々、あまり軍事上の有効性のある基地ではありませんし、この際、放棄すべきでしょう」
ジラティワット大尉の言い分は確かに正論だが、かといって僕は納得できない。
敵を壊滅しようと言ってるのではない。ただその場に、足止めしようと言っているのだ。
「例えば、ゲリラ戦法に頼るという方法も、考えられないか?」
「それをやるには、ここはあまりにも開けすぎた宙域です。せめて、小惑星帯ぐらいはないと不可能かと」
僕の提案を、ことごとく却下するジラティワット大尉。これじゃどっちが指揮官だか分からないな。それだけ、僕の提案に説得力がないということでもある。だが、ジラティワット大尉の言うことくらい、僕も承知している。
しかし、そうは言っても、敵を前にして何もせず撤退とは……しかも、ザハラーの力を使って築いたあの基地を、むざむざ敵の手によって破壊されるのをただ眺めることになろうとは、僕の矜持が許さない。
などと時間ばかりが過ぎてしまい、すでにそのレーダー基地が敵の艦隊を捉え始めるところまで接近していた。だが、その基地に急速接近する敵の艦艇が数百隻。このまま防衛に出向きたいところだが、大艦隊を前に動けない。結局、僕らの前で、そのレーダー基地はあっけなく破壊されてしまった。
だがこれで、僕がここに固守する理由がなくなった。
「やむを得ない、基地が破壊された今、ここに長居する理由はない。我が第8艦隊は、これより撤退する」
「はっ、了解しました! では、全艦に伝達します!」
僕がジラティワット大尉に告げる。その言葉を待ち構えていたかのように、ジラティワット大尉は応える。
が、それに異を唱える者がいる。
「お待ち下さい!」
意外にもそれは、ダニエラだった。僕はダニエラに問う。
「なんだ、何か秘策でもあるのか?」
僕はダニエラにそれほど期待していたわけではない。何せ神の目を持つ以外には、軍事的なことは素人な元皇女だ。だが、そのお嬢様は、こんなことを言い出す。
「オケハザマ、ですわ!」
「は? オケハザマ?」
一瞬、何を言っているのか分からなかった。聞き違いかと思ったが、確かに今、オケハザマと言ったな。しばらくして僕は、ダニエラに尋ねる。
「それはつまり……少数で大軍に勝った、あの戦いを再現しろと?」
「そうですわ、ヤブミ様!」
「いや、あの戦いとは、敵の数も状況も、まるで異なるのだが」
「敵の大将の首を取れれば勝てる、それはここでも、変わりないのでございましょう!?」
ああ、そういうことか。確かにもし、あの中から敵の旗艦を割り出し、そこを撃つことができれば、敵艦隊の指揮命令系統が停滞して、上手く行けば撤退まで追い込むことも可能かもしれない。
「ジラティワット大尉、全艦に伝達、撤退を始める」
「はっ!」
「ヤブミ様!」
「ただし、一気には後退しない。まずは40万キロ後退し、その後は敵艦隊の進軍ペースに合わせて移動させるんだ」
「了解しました! が、何ゆえ、敵の動きに合わせるのですか?」
「一気に撤退すれば、あの艦隊を見失ってしまう。第1艦隊がたどり着くまで、あの敵艦隊を監視し続ける意味もある」
「はっ!」
ジラティワット大尉が、全艦に後退命令を伝達する。その間に僕は、ダニエラに応える。
「ダニエラの先ほどの提案だが、大きな問題がある」
「何でしょうか?」
「簡単なことだ。敵の指揮官の乗る旗艦がどこにあるのか、まったく見分けがつかない」
僕はダニエラに、光学観測によって得られた映像をモニターに映しダニエラに見せる。その映像に並ぶのは、敵の艦影。赤褐色の駆逐艦の先端部が、ずらりと並んでいる。
「こんなものが、1万隻も並んだ艦隊だ。この中からどうやって、敵の指揮官の乗る船を見つけ出すというのか?」
連盟艦隊、特にこの「ニンジャ」を使う艦隊は、駆逐艦のみで構成されている。我々のように、後方に4、5千メートル級の戦艦を連れている場合はほとんどない。
これはつまり、駆逐艦のどれかが、旗艦としての役割を持っていることになる。この点は我が艦隊とよく似ている。しかしその旗艦が率いている数が、1万もある。これは、あまりにも多過ぎる。
艦影では識別ができないうえに、1万隻もあれば中、小艦隊司令の乗る分艦隊旗艦も存在する。その中から、どうやって総旗艦を識別するというのか?
「あの、敵の大将という者はおそらく、こちらに対して並々ならぬ恨みや怒りを振りまいているはずですわ」
「それは、そうだろうな……連盟軍とはまさに、我々に対する恨みを糧に、我々に仇為す存在だからな」
「なら、カテリーナさんならその気配を感じ取れるのではありませんか! その、敵の大将の気配が!」
その発想はなかった。そうか、カテリーナならば、敵の大将の位置を割り出せるかもしれない。
「……カテリーナに、確認してみるか」
僕のこの何気なく呟いた一言に、ジラティワット大尉が反論する。
「閣下! そのような不確定な要素で艦隊を動かすなど、もってのほかです!」
「だが、ジラティワット大尉、撤退行動は継続中だ。それを止めろと言っているわけではない」
「はい、ですが……」
「その範疇での確認だ。何の問題はないだろう」
僕が撤退と足止めのいずれかでふらついていることに、唯一の幕僚として気掛かりなのだろう。だが、艦隊行動に変更はない。であれば、大尉も同意せざるを得ない。
「はっ、それならば……承知しました」
「では、ダニエラ。砲撃管制室に向かう。そこでカテリーナがどう感じるか、それで今後の行動を決める。それでどうだ?」
「はい、分かりました、ヤブミ様」
しかし、まさかここでカテリーナを担ぎ出すことになろうとは思わなかったな。僕とダニエラは、砲撃管制室に向かう。
と、その途中で、マリカ中尉とすれ違う。
「あら、准将閣下、ダニエラさんを連れて、不倫中ですかぁ?」
いきなり人聞きの悪いことを言い出すやつだな。なんだこいつ、ちっとも毒が抜けてないじゃないか。僕とダニエラが、この不愉快な生き物を睨みつける。
「そういう貴官は、こんなところで何をしている?」
「格納庫に行ってきたのですよ。愛しのデネット様に、私の想いを伝えてきたのでございますわ」
ついさっきまで、一緒にいたんじゃないにのか?デネット依存症はまだ続いているようだ。だが、どういう魔術を使ったら、こんなやつがこれほど惚れ込むほどの何かが与えられるのか……もしかすると、デネット中尉も特殊な賜物でも持っているのかもしれないな。不可思議な現象は、全部賜物のおかげ。ダメな発想だ。
「で、そんな閣下はこの準戦闘態勢時に、何をほっつき歩いていらっしゃるのですか?」
「まるで油を売ってるような物言いだな。そんなわけないだろう。これからダニエラと共に、砲撃管制室へ向かうのだ」
「ほう? 閣下はともかく、何ゆえダニエラさんが砲撃管制室などに向かうので?」
「カテリーナに、旗艦の位置が特定できないか、ちょっと尋ねてみるだけだ」
「ほう?」
僕が何気なく放ったこの一言に、この技術士官が食いついた。
「なぜ、カテリーナさんにそんなことが?」
「貴官も知っての通り、カテリーナは殺気や憎悪を感知できる。それを使って、もし敵の旗艦を識別できるなら、あの艦隊を足止めできるかもしれないということだ」
「ああ、なるほど、それはいいアイデアですわ」
「と、いうことだ。別にやましい理由などない。ではな」
「お待ち下さい、閣下」
「なんだ! まだ何か、あるのか!?」
「私も参ります」
「は? 貴官には、関係ないだろう」
「いえ、ちょっと、興味があるので」
なんとこの技術士官もついてくると言い出した。
「……構わないが、カテリーナに排除されぬよう、気をつけよ」
「了解ですわ、閣下」
といいつつ、エレベーターに乗り込むマリカ中尉。そんな彼女を、疎ましそうに睨みつけるダニエラ。誰彼と罵るマリカ中尉に、そんな中尉を虫けら呼ばわりするダニエラ。この2人の仲は最悪だからな。
「はっ!? 閣下、どうされたので!?」
そういえば、またアポ無しで砲撃管制室に来てしまったな。慌てて飛び出してきた砲撃長のヨウ大尉が敬礼しつつ、僕を出迎える。
「確認したいことがある。カテリーナ兵曹長!」
僕の声に応え、こちらを向いてうなずくカテリーナ。
「貴官に尋ねる。敵の艦隊に、いつもの殺気を特に強く感じる場所はないか?」
僕の問いに、カテリーナはしばらく考え、そして照準器を覗き込む。そして、こう言い放つ。
「……ない」
あっさりと答えが出てしまった。僕はダニエラに言う。
「やはり、さすがのカテリーナでも、あの中から殺気の強いところを探るなど、無理なようだ」
「は、はい……」
ダニエラの提案でもしかしたらと思って僕も少し期待したが、さすがに殺気そのものを感じ取れるカテリーナであっても、その強さまでを測ることはできない。
だが、それを聞いていたマリカ中尉が、こう言い出す。
「そりゃあ閣下、このままじゃダメですよ」
得意げにこう言い放つマリカ中尉に、僕は反論する。
「なんだ、その言い草では、もっといい方法があるとでも?」
「もちろんですわ、閣下」
「……随分と自信満々だな。ならば聞かせてもらおうか、その方法とやらを」
「簡単です、ザハラーさんを使うんですよ」
このいきなりの提案に、僕は聞き返す。
「……言っている意味が、よく分からないな。なぜここに、ザハラーが出てくる?」
「ザハラーさんは確か、ダニエラさんの神の目の力を、増幅なさることに成功したのですよね?」
「ああ、そうだ」
「で、あるならば、それと同じ理由で、カテリーナさんの力も増幅できるんじゃないか、と私はその話から思いついたのですよ」
「お前……それがお前のこの間言っていた、もう一つの仮説、というやつか?」
「その通りです、閣下」
中尉のドヤ顔が、かえって嫌悪感を撒き散らす。特にダニエラにとっては、それがたまらなく嫌だということは、その表情からよく伝わってくる。だがこいつ、あの短い話から、そんなことまで発想していたのか。僕はむしろ、その発想力に驚く。
「だが、それは本当なのか?」
「確証はありません。なんせ、まったく試したことがないのですから。ですから、可能性はあるとだけ申し上げます」
「なぜ、そう思うのか?その理屈というか、根拠はあるのか?」
「根拠と呼べるものはありません。ですが、ダニエラさんの力の増幅の話から推察するに、ザハラーさんの力はもしかすると、第5の力、『内なる力』を増幅しているのではないかと考えたのですよ。もっとも、これは仮説ですけど」
なるほど、それがカテリーナのあの力を強化できるかもしれない、ということの理屈か。確かに、試してみる価値はありそうだ。
「ならば、ここにザハラー二等兵を呼ぶとしよう」
僕がそう提案すると、このマッドな技術士官の口元には、不敵な笑みが浮かぶ。それを見たダニエラが、不快感をあらわにする。
「……言っていることは、確かに正しいのでしょうけど……私はどうにもこの方が、気に入りませんわ」
と、ダニエラの憎悪に包まれ、一触即発な雰囲気の砲撃管制室にザハラーが来たのは、それから3分後のことだ。
「なぜ閣下は、こんなところに奥さん以外の女性ばかり集めてるんですか!」
いきなりグエン准尉に怒鳴られるが、別に好きで集めているわけじゃない。僕はザハラーに伝える。
「ザハラー、貴官が呼ばれた理由は、分かるな?」
ザハラーが僕に呼ばれるなんて理由は、一つしかない。ザハラーはうなずく。
「よし。では、いつものあの力を使ってくれ」
もう慣れたもので、彼女はこくりとうなずくと、右手を伸ばして力を込める。すると艦橋からの声が、ここ管制室に伝えられる。
『艦橋より砲撃管制室! レーダー、使用不能!』
ダニエラとマリカ中尉が睨み合っている間に、あらかじめザハラーの力発揮のことを伝えておいたから、別に焦っている様子ではない。どちらかと言うと、ザハラーの力が無事に発動していることを知らせるための報告だ。
しかし、またしても似たもの同士が並んでいるな。片や右手を伸ばし、片や照準器を覗き込んではいるものの、真剣な眼差しで、それぞれの賜物を発揮している。そんな2人を眺める一同。
だがそのとき、カテリーナが叫んだ。
「いた! 感じる!」
これはザハラーとカテリーナの力が、初めて共鳴した瞬間だった。