#54 パトロール
「抜錨!駆逐艦0001号艦、発進する!」
機関音が高鳴り、駆逐艦0001号艦はペリアテーノ宇宙港を発進する。雲がほとんどない晴天の中、真っ白な石造りの街を見下ろしながら、我が艦は上昇する。
「ま、やっぱり我がイタリーのローマの街並みの方が、遥かに重厚で優美ですわよねぇ」
などとペリアテーノを見下ろしながらマウントをとっているのは、マリカ中尉だ。珍しくこいつが、この船に乗り込んできた。
「で、なぜここにいるのですか、あのカトンボさんは?」
それをやや不快そうに見つめるのは、ダニエラだ。ペリアテーノをディスられたことを察知し、それが気に入らない様子だ。
「まあ、いいじゃねえか。どうせこの後、ぶっ倒れる予定だからよ。今のうちに、好きに言わせてやれ」
と応えるのはレティシアだ。レティシアの言う通り、重力圏脱出時の全開時の機関音で倒れることもあるからな、こいつは。
向かう先は、いつもの白色矮星域。今回の任務は、パトロールだ。あの戦闘以来、すっかり静まり返ったこの星域を監視するのが目的だ。
すでに時は、西暦2490年3月1日となっていた。故郷ではそろそろ、春の訪れを感じる頃だ。しかしこのペリアテーノではこれから秋を迎え、徐々に寒くなろうとしているところだ。季節がちょうど、半年分ずれている。
それにしても……ここの暦は、実に分かりづらい。今日は帝国歴で910年7月33日だそうだ。1年は地球001と同じ365日だが、月は10か月で、ひと月の日数は偶数月が36日、奇数月が37日と定められている。これはこの星の衛星の公転周期が、36日間であることに起因する。
さらにややこしいことに、この星の1日は24時間よりも少し短く、ちょうど1年で1日短くなる計算だ。だから1年後には、我々の暦に対して1日ずれが生ずる。
しかもこの暦は、ペリアテーノ独自のものだ。サンレードにはまた別の暦があって、そこでは……いや、どっちにしてもこの星の暦は、僕の感覚に合わない。
というわけで僕は常に、ナゴヤの暦、時間を基準に動いている。
で、そのナゴヤ時間であり、我が第8艦隊の標準時で2490年3月1日、16時30分に、駆逐艦0001号艦は発進する。同日、22時頃には、第6惑星軌道上にて第8艦隊298隻は集結し、白色矮星域へと向かうことになっている。
艦隊の時間的には夕方だが、ここ帝都はまだ朝を迎えたばかり。年月日はともかく、時間まではナゴヤ時間に合わせられないなぁ……ともかく、そんな朝日に照らされた帝都を横目に、0001号艦は上昇を続ける。
で、一度周回軌道上に乗った後、いつものように全開運転にて、重力圏脱出を行う。
「マリカ中尉が、倒れましたぁ!」
けたたましい機関音ごときで目を回すマリカ中尉。口だけは勇ましいくせに、この虚弱すぎる体質。この体質のおかげで駆逐艦には滅多に乗ることはないのだが、今回、乗艦したのにはわけがある。
パトロール終了後に、この艦は第1艦隊に立ち寄る。その際にマリカ中尉は、賜物についての状況報告をすることになっている。大した進展はないが、地球1010に降りてから一度も報告に来ていないから、ついにコールリッジ大将から催促されてしまった。
そういえばその第1艦隊にも、賜物を持つ者が3人、すでに配属されているはずだ。フタバが名付けた「オニワバン・スリー」と呼ぶあの3人だが、あれから彼女らはどうなっているのだろうか?
などと考えていると、いつものように機関が熱暴走する。通常運転に戻ったばかりで静けさを取り戻した機関から、フォーンという唸り音が響く。
『おらおらぁ!』
気絶したマリカ中尉とは真逆に、絶賛活躍中なのはレティシアだ。我がポンコツ機関の冷却のため、雄叫びを上げながら出動する。モニターの向こう側は、あっという間に蒸気で包まれる。
さて、目を回してぶっ倒れたマリカ中尉だが、それを医務室に運ぶために艦橋にやってきたのは、人型重機パイロットのデネット中尉だ。長椅子の上で寝かされていたあの技術士官を両手で抱えたデネット中尉が、僕に向かってこんなことを言い出す。
「提督、一つお尋ねしてもよろしいですか?」
「ああ、なんだ?」
「この士官、お持ち帰りしてもよろしいです?」
「は?」
デネット中尉とは、どちらかと言えばこの艦内でも良識派の部類の人間だと思っていた。そんな重機パイロットから、思いがけない一言が飛び出す。
「……いや、それよりもまずは医務室だろう。第一、そういうことは本人に確認してくれ」
「はっ、了解しました! ではデネット中尉、この士官を医務室に輸送いたします!」
といいつつ、デネット中尉は艦橋を出る。それにしても今の一言、まさかとは思うが、あの士官に一目惚れしてしまったというのか?
いや、中尉よ、やめておいた方がいいぞ。気絶しているからこそまだましだが、口を開けば不愉快極まりない、邪悪なる士官だ。とてもあの紳士な雰囲気のデネット中尉に釣り合う相手とは思えない。
さて、そんなトラブルもあったが、その後は順当に第6惑星軌道上にて艦隊集結し、そのまま白色矮星域へと向かう。それを見届けた僕は、食堂へと向かう。
「ああ、もう! しつこい!」
声を張り上げているのは、あのマリカ中尉だ。
「えー、いいじゃないか」
「才色兼備な私を誘うには、あなたはあまりに、不釣り合いではなくって?」
「私は容姿端麗だと言われてるよ、とてもお似合いだと思わないか?」
「思わないわよ! 私を誰だと思ってるのよ、プーリア州ガルガーノの秘宝、アドリア海の賢者と言われた私に、なんてこと言い出すのよ!」
「私も、カリフォルニアでは人型重機の貴公子と言われていたよ。とてもお似合いじゃないか」
「はぁ!? あんな武骨なロボット兵器に乗ってて、どこが貴公子なのよ! 頭おかしいんじゃないの!?」
「分かってないなぁ、姿形じゃないよ、心の問題だよ」
そのマリカ中尉が罵っている相手は、デネット中尉だ。状況から判断するに、どうやらデネット中尉がマリカ中尉を口説いているところらしい。
いや、あれは口説いているというのか?誰が見ても思いっきり、フラれているところだぞ。しかし、デネット中尉はあきらめてはいない。
だが、デネット中尉があんなやつに興味を持つとは思わなかったな。気絶しているときの姿で一目惚れしたようだが、あれだけ罵られていて、よくめげないものだ。
しかもこの場には、規律にうるさいはずのグエン准尉もいる。にもかかわらず、あの騒ぎには我関せずな態度だ。珍しいこともあるものだな、どうしたというのか?
食堂にはたいていはいつも、10~20人くらいがいる。ここは食事の場であると同時に、非番の乗員の憩いの場でもある。他に会話が楽しめそうな場所もないので、結局ここに集まることとなる。
そんな20人ほどのいるこの場で始まったこの騒ぎ、誰か止めに入らなくていいのか?
「と、言うわけだ、どう? 私の部屋に来ないか?」
「……さっきから言ってるけど、あなた、この乙女の誘い方が、雑過ぎるんじゃないのかしら?」
「まあ、いいから」
「あ、ちょっと! 離して!」
……おい、強引に連れ去ってしまったぞ。あれでも、陸戦隊員だからな。虚弱なマリカ中尉では、抗いようがない。嫌がるマリカ中尉を抱えて、食堂を出るデネット中尉。だが、あれでは拉致同然じゃないか。いくら何でも、まずくないか?なぜここで、グエン准尉は黙っている?
「あのさ、グエン准尉よ……いいのか、あれを放っておいて」
「あ、閣下。いいんです。あんなやつ、少しは痛い目にあった方が、今後のためになるでしょうから」
うん、いつになく冷たいな、グエン准尉よ。だがこれは、マリカ中尉の日頃の態度が招いた結果でもある。他の乗員も同様の態度だ。やつはあまりにも、全方位に敵を作り過ぎた。そして食堂内は、いつもの静けさを取り戻す。
やや心配な状況だったが、それから2日ほど経った白色矮星域のパトロール宙域到達時には、そんな2人が手をつないで歩いている姿を目にする。
いや、手をつないでいるというレベルではない。マリカ中尉が、デネット中尉の腕にしがみついている。あれほどにこやかで、べったりなマリカ中尉など、見たことがない。そんなデネット中尉は、いつものような常識的で紳士的な士官に戻っている。
「なんだあの2人……なんかすげえ、気持ち悪いな」
と漏らすのはレティシアだ。こいつ自身はあの食堂でのやり取りを目撃したわけではないが、ついさっき聞いたデネット中尉とマリカ中尉との間に流れる噂を話してくれる。
「んでよ、俺が聞いたのは、あの2人が食堂から立ち去った後の話だよ」
「デネット様が、あの極悪カトンボを連れ去ったという、あの話のことですか?」
「おうよ。んでその後、デネット中尉の部屋からは、ものすごい悲鳴が聞こえてきたらしいぜ。機関科の一人がその声を聞いたんだが、それが女の声だったと言ってたぜ」
「なんだおい、レティシア、それってつまり、マリカ中尉の声じゃないのか?」
「そうなんだけど、その数時間後かららしいんだよ。ああなっちまったのは」
食堂で、僕とダニエラがその噂話をレティシアから聞き出す。悲鳴の後に、それまでとはまるで違う、マリカ中尉の態度……この艦内でも、デネット中尉はまともな部類の人間だと思っていたが、どうやら闇が深そうな人物だな。この話を聞いて僕は、そう悟る。
「あーら、皆様、ご機嫌よう」
と、そこに現れたのはマリカ中尉だ。
「おう、マリカじゃねえか。お前、デネット中尉と一緒じゃねえのか?」
「んふーっ! デネット様と一緒だなんて! こんな怪力魔女からもそんな一言が出るだなんて、やっぱり私たち、もうすっかり噂になってるのかしら!?」
なんだこいつ、すっかり舞い上がっているな。その方法と手順は分からないが、どうやらデネット中尉による洗脳が完了しているらしい。だが、いくらなんでもちょっと変わり過ぎてないか?ぶっ壊れすぎて、肝心な技術士官としての任務を忘れてはいないだろうな?
「……で、マリカ中尉よ、貴官はこのパトロール後に控えた、コールリッジ大将閣下への報告任務のこと、忘れてはいないだろうな?」
「モチのロンでございますわ、閣下。ダニエラさんとザハラーさんの賜物のシナジー効果に関する仮説と、それに関するカワマタ研究員の見解、そして第1艦隊に配備されたというあの3人の神の目の持ち主に関する身辺調査など、コンテンツは盛りだくさんですわよ」
なんだこいつ、案外まともじゃないか。てっきり、デネット中尉によって壊されたのかと思ったぞ。
「ですが、実はもう一つ、これらの事実から導き出される仮説があるのですが……」
「なんだ、その仮説とは?」
意味深に僕に、妙なことを言い出すマリカ中尉。にしてもこいつ、仮説が好きだな。
「それはですねぇ……っと、今はまだ、言えませんわ! デネット様にご報告してからでないと! では閣下、また後ほど!」
と言いながら、手を振って立ち去るマリカ中尉。何があったのかは分からないが、あれは一種の依存症だな。しかし、艦隊司令官よりも人型重機パイロットに先に報告するとか、何を考えている?まあ、いいか。どうせたいしたことではないのだろう。
「……やっぱり、気持ち悪いですわね」
「だろう? あそこまで毒が抜けちまうと、かえって気色が悪いぜ。おい、カズキ、どうするよ?」
「……別にいいだろう、迷惑をかけているわけでもなし、いやむしろ、以前よりは迷惑な存在ではなくなったわけだ。歓迎すべきではないか?」
たしかに気持ち悪いが、むしろ今までの方がヤバかった。毒抜きされた方が、むしろ望ましい。あとは周囲が慣れるだけの話だ。
パトロール宙域も、いよいよ折り返し地点に達しようとしている。最前線に設置されたレーダー基地を超えて、連盟領域に入ったところだ。ここは敵地、今回の航海では、最も緊張する場所に差し掛かる。
とはいえ、ここ最近は接敵の報告もない。補給船団の喪失が相当痛手だったのか、前回の戦闘以降、敵はすっかり姿を現さなくなってしまった。
だから、今回も敵は現れないかな……いや、そう考えた途端に現れるのが、あの敵艦隊だ。しかもこの第8艦隊は、その遭遇率が異常に高い。
多分、僕がそう考えたことが、フラグだったのではないか。
まさにその時、ダニエラが叫ぶ。
「正面、何かいます!」
平穏無事に終わるかと思われたパトロール任務が、一転して臨戦態勢に追い込まれる。