#26 平穏
翌週、あのとんかつ屋を訪れると、満面の笑みの店主に迎えられる。
「いらっしゃい!よ、大将、元気にしていたか!?」
いや、それはこっちのセリフだ。結局、あの社交界はどうだったのか?しかし、この表情を見るに、聞くまでもないようだ。
「いらっしゃいませ」
と、店の奥からもう一人、声を掛ける人物がいる。この小さな店に、店員がもう一人加わる。
実はこの店、給仕は全てロボット任せだった。というのも、店主が一人でこの店をこなしていたからだ。とんかつは店主自らが作るが、キャベツの千切りやご飯、味噌汁などは全てロボットアーム、テーブルまで運ぶのもロボット、そして食器洗いもロボットである。戦艦ノースカロライナで店をやっていた時から、ずっとそうしていた。
が、ここにきて突然、信じがたいほどの美人の店員が出迎える店となった。
突如現れた、謎の店員。お客さんの目を、引かないはずはない。おかげで、手前のテーブル席はほぼ満席状態。こんなの、見たことがない。ここはとんかつ屋だぞ?
「なんだか、急に繁盛し出したな」
「そりゃあもう、ロレッタさんのおかげですよ」
「だろうな。だが、あまりとんかつ屋には似つかわしいとは言い難い店員だろう」
「でしょうね。俺もそう思いやすぜ」
これまで一人でやってきたこの店主が、ここにきて初めて雇った店員を見ながら、僕に応える。似つかわしくないとは認めながらも、雇って良かったと思っているようだ。彼女を見る店主の顔の表情が、それを示している。
「おう、ロレッタ、お前すっかりとんかつ屋の店員だなぁ」
「はい、レティシアさん。おかげさまで」
「で、この間の社交界はどうだったんだ?」
「ええ、店主様には調理に専念していただき、私が皆様のお相手を致しました。陛下やマルツィオ様は、この異国の味にとても満足していらっしゃいましたよ」
まさかそのマルツィオ皇子によって、自身の人生を狂わされたことなど知る由もないロレッタだが、結果オーライ、と言ったところか。
「で、ご注文はいかがなさいますか?」
「ああ、いつもの……じゃ、分からないな。味噌カツ定食を3つ」
「はい、味噌カツ定食3つですね」
注文を受けるロレッタ。白い割烹着姿の彼女からは、ネレーロ皇子の後を追うだけの受け身な侍女の面影はない。
とんかつ屋を出て、しばらく雑貨屋で時間を潰すため向かう。とんかつの後にいきなりパフェはきつい。このまま帰りたいところだが、それを許してくれそうにないとんがり帽子の娘が、僕のすぐ後ろにいる。
その雑貨屋に、どこかで見たような男がいる。ああ、あれは砲撃科のナイン中尉だ。真剣な表情で、置物を見比べている。
「ナイン中尉」
僕が声をかけると、僕に気づいた中尉はこちらを振り向き、敬礼する。思わず僕も返礼する。
「……あ、いや、軍務中ではないのだから、敬礼はいらないぞ。」
「はっ、ですが、癖で……」
真面目な男だからな、ナイン中尉は。たかが置物を選ぶのに、あれだけ真に迫った顔ができることに、その性格の一端を垣間見ることができる。
「ところで閣下、このような場所で、何を?」
「ああ、いつもの巡回コースを辿っているだけだ」
「巡回コース?」
「いや、あまり深く考えなくていい」
訝しげな顔で僕を見るナイン中尉。だが、彼は僕の後ろにいる、痛い格好の娘を見つける。
「あれ、閣下、後ろにいるのは……もしかして、カテリーナ兵曹長ですか?」
深々と帽子を被り、顔を隠すカテリーナだが、すでにその格好自体がカテリーナ本人であることを喧伝している。今さら、隠しようがない。
カテリーナの存在に気づいたナイン中尉は、おそらく僕とレティシアと行動を共にしていることに違和感を覚えていることだろう。それは、僕も同感だ。
だが、ちょうどいい。こんな機会、滅多にあるものじゃない。僕はナイン中尉に命じる。
「ナイン中尉!」
「はっ!」
「貴官に命じる。カテリーナ兵曹長と行動を共にし、作戦を遂行せよ」
「は? さ、作戦……でありますか?」
「その内容は、兵曹長が心得ている。彼女の指示に従い、行動するように」
「えっ!? あ、はい! ですが、閣下はどうされるのですか?」
「我々には、明後日からのパトロール任務に備えての業務がある」
「はっ! 了解しました!ではナイン中尉、作戦行動に入ります!」
互いに敬礼した後、僕はそのまま横にずれて、後ろに隠れているカテリーナをナイン中尉の前に晒す。カテリーナは、僕の方を見上げ、帽子の影からその困った表情を見せる。突然訪れた事態に、頬は赤く、もうどうしたらいいか分からないと言った表情だ。だが、お前だっていつまでもこのままというわけにはいかないだろう。乗るしかない、この機会に。
そういえば、この姿でナイン中尉の前に出るのは初めてだ。気にしているんだろうな、自分が痛い格好をして休日にうろついているのを、ナイン中尉に知られることを。だったらなぜ、この格好にこだわるのか?などと、思わなくもない。
ナイン中尉もカテリーナも、真面目な性格だ。だから敢えてここは「作戦」と称して委任すれば、そうせざるを得なくなる。以前から封印していた司令官としての強権発動を、僕はついにやらかしてしまった。カテリーナをナイン中尉に押しつ……いや、託した後に、僕はレティシアと共に歩き出す。
「うまく、押し付けたな」
僕の横で黙って様子を見ているだけだったレティシアが、あの2人が見えなくなったところでようやく口を開く。
「失礼な。カテリーナの今後を考えての行動だ」
「ふうん、そうなのかねぇ。そんなこと言いながら、俺と2人きりになりたかったんじゃねえのか?」
ニヤニヤしながら、僕の顔を見つめるレティシア。言われてみれば、久しぶりに夫婦だけでこういうところを歩くな。意図したわけではないが、悪くない。
「まあなんだ、せっかく2人きりになったんだ。行ったことのない店に行こうぜ」
「ああ……って、どこに行くんだ?」
「そうだなぁ……そうだ、あそこに行こうぜ」
「あそこって……」
レティシアが指差す先に見えたのは、アイスクリームの店だ。ああ、言われてみれば、ここにきてパフェの上に乗るアイス以外は口にしていないな。
そこは、いわゆるジェラートの店だった。確かにこの食材、ローマっぽさはある。ここがローマっぽい場所だと聞いて進出してきたようなことが、店頭の看板に書かれている。
もっともそれは、現代ローマの話だ。古代ローマには当然、ジェラートなどというものはない。
が、そんな事情はともかく、その独特の食感を求めて集まる人々で賑わっている。そこに地球001からやってきた夫婦が加わる。
で、バニラ味系のジェラートを手に、席を探す。するとその中に、どこかで見た2人がいる。
「あ、閣下」
そのうちの一人が、僕に気づく。立ち上がり、敬礼するその士官。僕も返礼するが……いや、休日にそんなことしなくても、いいというのに。
その人物は、タナベ中尉だ。そしてその向かい側にもう1人、女性がいる。
カクテルドレスに身を包む、金髪のその人物。恐る恐るこちらを振り返り、なんだかバツに悪そうな表情でこちらを見る。
「……おかしいですわね。ここはヤブミ様の巡回コースからは大きく外れた場所のはずでは?」
チョコレート・ジェラートを手に、怪訝な顔で僕とレティシアを見るダニエラ。どうやら、僕らがここにいることは、想定外だったらしい。
「なんでぇ、ダニエラ。お前、こんなところで何してるんだぁ?」
「見れば分かるでしょう、ジェラートというものを食しているのですわ」
「じゃあどうして、タナベのやつが一緒なんだ?」
「付き添いです。私、ここではまだ未成年ですから」
「へぇ〜、未成年じゃダメなことでもやってたのかねぇ?」
「お、大人のすることに、いちいち首を突っ込まないでください!」
なんだか、いつものダニエラらしさがないな。かわし方が雑だ。
「と、ところで、カテリーナさんはどうされたのです?」
「ああ、ナイン中尉に押し……いや、中尉と行動を共にしている」
「ふうん、なんだ、そういうことでしたか。どおりで、珍しく二人きりなんですね」
いやらしい言い方だな。夫婦だから、別に普通だろう。
「そういえばヤブミ様、ネレーロ様の件、ご覧になりましたか?」
「ああ、読ませてもらった。地球042に旅立ったのだったよな」
僕は先日、ダニエラから送ってもらった報告のことを思い出していた。ネレーロ皇子はまだ地球042にいるが、その出発の報と、その直前の写真が添付されていたが……そういえば、まさにその報告を読んでいる時に、なにやら元侍女によるアブナイ出来事が、すぐそばで起きていたような気が……
「あれ、どうされたんですか? 顔が真っ赤ですよ」
「あ、いや、なんでもない……」
ともかく、難局を乗り切って、ネレーロ皇子とその侍女は、新たな生活を歩み始めた。そしてついさっき、カテリーナを新たな生活スタイルに改めるべく、放り投げてきた。
一方、ダニエラは僕のフォローなどなくとも、立派に自身の生活スタイルを変えつつある。現にこうして、パートナーを見つけ出すことに成功している。タナベ中尉はどう思っているのかは不明だが。
そこでしばらくレティシアとダニエラらと話し込んだ後、ジェラート店を後にする。そして、3階にあるゲームコーナーのそばを通る。
そこでまた、どこかでみたような人物に会う。
「おっしゃぁー!」
奇声が上がり、僕は思わず振り返る。周囲には大勢の人が集まっている。その中心には、筋肉質な男が腕を振り上げ嬉しそうにポーズをとっている。
あれは、ドーソン中尉じゃないか。何をしているんだ?また妙なことをしていなければいいが……と思いつつ、ドーソン中尉の前にある機械に目が止まる。
上には、3桁の数値が表示されている。すぐ下にあるランキングよりも大きな数値。そして中尉の前には、ロボットアームがある。
ああ、あれはアームレスリング・マシンだな。おそらくは腕力チャレンジで最高値を叩き出したのだろう。いかにも筋肉質な男のやりそうなことだ。
「筋肉は、正義ぃ!」
発する言葉の意味は分かるような、分からないような……それはともかく、カテリーナとの失恋ショックからは立ち直っているようだ。それにしても、こいつ案外、人気者だな。大勢の人々から喝さいを受けている。すぐそばには、デネット中尉もいる。
そのデネット中尉は、こちらに気付いたようだ。にこやかな顔で僕の方を向き、軽く敬礼をする。僕も、軽く返礼する。
それにしても、今日はよく身内に出会うな……まさか、オオシマ艦長と出会うことにはならないだろうな。別に何かある訳ではないが、僕はあの人が苦手だ。
などと考えながら歩いていると、ある意味で苦手な人物と出会う。ただしそれは、オオシマ艦長ではない。
それは、食品売り場横の大きなパン屋の前だった。
「なんだい、この『焼きそばメロンパン』ってのは……」
「分からんな。大体、合うのか、この二つは?」
「おい、フランコ。そもそも、ヤキソバってなんだ?」
「ほら、このパスタみたいなやつだよ」
「なんじゃこりゃあ、えらい茶色いパスタだなぁ」
「ソースってやつで味付けするから、ちょっと辛いんだよ。そんなものが甘いメロンパンに合うとは思えないがなぁ……」
「まあいいや、買ってみようぜ」
「えっ!? おい、こんなもの買うのか!?」
「売り物にするくれえだ。きっと美味いんだろうぜ」
「いやぁ、さすがにこれは……この間『辛子クリームパン』で悲劇を味わったばかりじゃ……」
「よっしゃ、それじゃいつものアンパンとカレーパンも、一緒に買ってくぞ!」
「おい、サマンタ、ちょっと待て!」
ああ、あれは斜めお向かいの軍人夫婦だ。そういえばここしばらく、ポルツァーノ中佐の顔を見てなかったな。同じ艦隊という訳ではないし、当然か。
そういえば地球042では、このサマンタのおかげでかなり救われていると聞く。あの白色矮星域で、100隻単位の艦隊を同時に7つ発見したこともあったらしい。話を聞く限りでは、ダニエラよりもサマンタの方が索敵能力は高い。
それにしても、この宇宙港の街ができたからというのもあるが、ここにも馴染みが出てきた。ようやくここが「家」だという気持ちが定着しつつあるな。
だが、そんな「家」を離れなければならない事態が、この直後に起きてしまうことになろうとは、この時はまだ知らない。




