#212 成立
「クレイオス」の襲撃から、ひと月ほどが経つ。今日は西暦2491年4月29日。これがナゴヤならば、ちょうど連休の始まりの日だというのに、僕らは遠く7000光年以上離れたこの中性子星域で、あの得体の知れない敵に備えている。
幸か不幸か、あれから黒色艦隊はほとんど現れない。3度ほど、100か200隻程度の黒色艦隊が出現するも、第1艦隊の一部がこれを迎撃したくらいだ。前回のコイオス級の大型艦が現れたという報告もない。
かつて激戦宙域だったこの中性子星域は、むしろ静まりかえっている。連合と連盟双方が互いにこの宙域での戦闘を避けているためだ。
そして本日、歴史的な戦時条約が、成立する。
「……3、2、1、今!現時刻を持って、中立条約が発行されました!」
ジラティワット少佐が、時計を見ながらその歴史的瞬間を告げる。
第8艦隊標準時の4月29日、午後1時3分42秒。たった今、この中性子星域周辺20光年以内を、連合と連盟の中立非戦闘宙域とする条約が、発行された。
あの中性子星を基準に、20光年以内を連合、連盟側双方が戦闘を行わない宙域にするというものだ。270年もの長い戦闘の歴史において、ほんの一部の宙域とはいえ、これは画期的なことである。
ただ、皮肉にもそれは、未知の敵出現という事態によってもたらされたものではあるが。
「レーダーに感!2時方向、距離300万キロ!艦影多数、約500隻!」
「艦色視認、赤褐色!連盟艦隊です!」
と、第8艦隊のすぐ脇を悠々と接近してくるのは、おそらくビスカイーノ提督の小艦隊だろう。条約発行の有効性を確認するため、早々に現れた、といったところか。
「条約発行のおかげで、あれを気にする必要がなくなったのは大きいですね。これでいつイアぺトスが現れても、我々はそちらに専念できるというものです」
などと、嫌なことを言うのはジラティワット少佐だ。僕としては、まだ連盟軍を相手にする方が気が楽だ。
「にしてもあの連盟艦隊、邪魔くさいですね。あれではブルンベルヘン大尉殿の補給艦隊の航行の妨げになりかねません。いっそ、特殊砲撃で沈めて差し上げましょうか?」
「いやあ、いきなり条約違反しなくったって大丈夫だよ、アウグスト。そもそも、補給艦隊が向かうのは、あの艦隊のいる宙域とは逆だし」
さらに物騒なことを口走るのは、ヴァルモーテン少尉だ。こんなやつの相手も大変だな、ブルンベルヘン大尉も。
「それにしても、作戦は3日後のはずだが……ビスカイーノ艦隊め、もう出てきたのか」
「そうですね。別に明後日に来ても間に合ったのに、気が早いですね」
ジラティワット少佐にそう話すが、あそこに連盟艦隊が現れるのには理由がある。それは条約発行直後に、ある作戦が実行されることになっているからだ。
その作戦準備のため、我々もここに展開している。
「クロノス・ポイント付近に、艦影は?」
「ありません。今のところ、レーダーに感なし」
「そうか……監視を続けよ」
「はっ!」
といっても、ここにいるのは我々だけではない。すでに第1艦隊、第4艦隊もこの宙域に展開しており、クロノス・ポイントと命名された、あの黒い艦隊が現れる場所を2万隻以上で監視しているところだ。
そしてここに、もう一つの艦隊が集結する。
いや、正確に言えばそれは、「艦」ではあるが。
それはちょうど、条約発行から10分後に、ワープアウトする。
「大型の、空間変異を探知!」
タナベ大尉が叫ぶ。それは、大型の艦がワープアウト時に発する空間の歪みを探知したという知らせだ。ここから300万キロ離れた場所にある、白色矮星域とつながるワームホール帯から、それは発せられる。
「レーダーに感!大型艦1!」
来たな。僕は、確信する。念の為、光学観測も行われるが、その前にIFF信号を受信する。
「IFF受信!艦識別、戦艦ゴンドワナです!」
レーダーに、くっきりと映るほどの大型艦だ。わざわざ光学観測など不要だった。あれはゴンドワナ以外にはありえない。
そして、この大戦艦こそが、今回の作戦の「柱」でもある。
「来ましたね、超大型艦が」
「ああ、おそらくビスカイーノ提督もビビっているところだろう」
「でしょうね。あれほどの大型艦は、連盟にはありませんからね」
要塞としても大きすぎるあの戦艦は、あちらではなんと思われていることだろう。無駄な船、叡智の結晶、褒めようと思えば褒められるし、貶そうと思えばいくらでも貶せる、そんな船だ。連盟軍が連合側のものを讃えることなどありえないから、おそらくは後者だろうな。
◇◇◇
「まったく、なんて馬鹿げた艦だ、あれは」
自室にて、先ほど現れたという大型艦の艦影を映し出して、私は思わず悪態を吐く。噂には聞いていたが、まさかあれほど大きな艦とは思わなかった。が、あれだけ大きいと、機動力も皆無で、もはや戦闘など不可能だ。維持費ばかりがかかるお荷物でしかない。
「うわぁ、おっきいーっ!乗ってみたーい!」
ところが、あれを見て乗りたいなどというやつが、ここにいる。
「おいカルロータ、いくらなんでも、我々は乗せてもらえるわけがないだろう」
「そうなの?でもアレハンドラ、打ち合わせとか何とか言って、うまく乗り込めないかなぁ」
何を言い出すんだ、この女は。お前はただ、あそこに遊びに行きたいだけじゃないのか?
「まったく……連盟軍人ともあろう者が、連合の堕落した文化に毒されてどうする」
「よく言うわよ。自室のベッドに女士官を侍らせる艦隊指揮官が、堕落していないとでも?」
痛いところを突くやつだな。だが、私を堕落させているのは、お前が原因だぞ?
「あら、じーっと見つめてきちゃって、そんなに私のことが気になるの?」
「何を今さら、だいたいお前はちょっと楽観的すぎ……うわっ!」
「そんな硬いことばっかり言ってると、部下からも彼女からも見放されるわよ!」
カルロータのやつ、いきなり私にしがみついてきた。そして、まるでアリ地獄のようにベッドに引き摺り込んでくる。
まったく、こいつめ、私が上官であることを忘れているのではないか?仕方がない。少し思い知らせてやろうか。
と思い、カルロータに掴みかかろうとした矢先、部屋の電話が鳴り出す。誰だ、この楽しい……いや、忙しい時に、電話など寄越してくるやつは?
「ビスカイーノだ」
『ソロサバル中佐です。お休みのところ、申し訳ありません、提督。つい先ほど、後方より新たな艦隊の出現を確認しましたので、一応、報告をと思いまして』
「艦隊?どちらのだ」
『艦色は灰色、連合側です』
「それならすでに2万隻以上いるだろう。別に今さら、報告されることでもない」
『それが……艦影が通常と異なるのです。映像、送ります』
ソロサバル中佐から、何やら妙な艦隊を見つけたという報告が入る。送られてきた映像を、電話についたモニターで確認する。
「……確かに、駆逐艦にしては妙だな。対空機銃っぽいものが見えるぞ。なんだこれは?」
『その後方には、回転砲塔を備えた艦も20隻ほどおります。そのさらに後方には、標準型駆逐艦もいるようですが……』
「あの黒い艦隊が、偽装しているのではないかと、疑っているのか?」
『その通りです、提督』
私は考える。確かに妙な艦影だが……そこで私はふと思い出す。
「そういえば、この中性子星域の近くで最近、発見された星があると聞いたぞ。その星の船ではないのか?方角的にも、そう考えるのが妥当だ」
『はぁ、確かにそうですが、一応、警戒すべきかと』
「それでは、妙な動きが見られたら、報告してくれ。では」
そう言って、私は電話を切る。
「もう、なんなのよ!?」
せっかく盛り上がってきたというのに、水を差されて憤慨しているやつがいる。
「仕方がないだろう。ここは連盟と連合が手を組まざるを得ないほどの、恐ろしい敵が現れる場所だ。ソロサバル中佐も、ピリピリしているんだ」
「あの人、そうでなくてもピリピリしてるでしょう?私、なんか嫌い」
相変わらず、あの男のことが嫌いなようだ。好かれても困るが、あまり毛嫌いしてばかりというのも、艦内の連携に支障が出そうで、それも困る。
「ならば、私がもっと嫌な男を演じてやろうか?」
「えっ!?ちょっと何を……きゃあ、そこは……あはははっ!」
もうこうなったら、私が悪役を演じるしかないな。ベッドの上で私は、カルロータに襲いかかる。
◇◇◇
「ワープ完了!中性子星域に到着しました!」
「周囲の警戒を怠るな!」
私は叫ぶ。この宙域にくるのは初めてではないが、今回はいつもとは違う。
「レーダーに感!1時方向、距離300万キーメルテ!艦影多数、およそ500!」
「光学観測、赤褐色!連盟艦隊です!」
「そうか……もう来ているのか」
「1500万キーメルテ先に、友軍艦隊と思われるクラスター2(ふた)、総数、およそ2万!また、600万キーメルテ先にも、艦数1000!ヤブミ提督麾下の、第8艦隊と思われます!」
次々とレーダーが艦影を感知する。いわゆる敵味方が混在する宙域。しかも互いに集結しつつある。こんな光景、見たことがない。
さらに、我々の知らないものも捉えられる。
「800万キーメルテ先に、艦影!超大型艦、大きさ……およそ、700キーメルテ!」
「ああ、あれが噂の大型艦か」
「そのようですね、クロウダ提督」
惑星ガイアの軌道上にも、あんな馬鹿でかい基地はない。しかもあれは基地ではなく、自律航行可能な戦艦というから驚きだ。光学映像からも、それが軍艦であることがよく分かる。
「あんなものを持ち込んで、一体、何をやろうとしているんだ?」
「さあ、詳細は知らされておりません。ただ、今回の作戦には必要な船だということです」
「そうか……今回の、作戦にねぇ」
今回の作戦、それはすなわち、この宙域に頻発する所属不明の艦隊が現れる場所に、ワープポイントであるワームホール帯を作り出そうというものだ。
どうやら、その所属不明の敵というのは、我々では見出せないワープポイントを使っているようで、向こうは一方的にこちらに来られるのに、こちらからは向こう側に行けないという、実に不条理な状態だという。
そこで、その場所にワームホール帯を作り上げ、こちらからその未知の敵の本拠地に攻め込む。これが、今回の作戦の概要だ。
が、どうやってワームホール帯などというものを作るのだ?我々には、知らされていない。
「くそっ!大事な作戦ならば、先にその詳細を知らせるのが当然だろうが!」
なんだか馬鹿にされているように感じた私は、思わず机をドンと叩く。すると、私の目の前で立ち上がるやつがいる。
「ちょっと!ダメですよ、提督!机を殴っちゃ!」
私に堂々と意見する奴なんて、この艦橋内には一人しかいない。
「なんだ、クジェルコパー中尉。別に壊してなどいない。問題ないだろう」
「みんなが、びっくりするじゃないですか!」
いや、どちらかといえば、皆はお前のその上官への遠慮のない叫び声に驚いていると思うぞ。そっちの方が、明らかに騒がしい。
「そんなことより中尉よ、この周辺宙域に、何か感じるものはないのか?」
「ここは船が多すぎて、感じるものだらけです!」
至極当然の応えが返ってきた。それはそうだな。敵も味方も入り乱れたこの場所では、ラウラ、いや、クジェルコパー中尉のあの目覚めた感性に反応するものばかりというわけか。
「とにかく、警戒を厳にしつつ前進だ。ヤブミ艦隊に合流する」
「はっ!全艦、ヤブミ艦隊へ向かう、前進半速!」
ツィブルカ大佐が、私の指令を全艦に伝達する。私はさらに大佐に命じる。
「そうだ、大佐。この後に現れる、我が艦隊主力の司令官、ペトルリーク大将に恒星間通信。この宙域の現状を伝達する。いきなりすぐ前に、連盟軍がいる。予め、知らせた方が親切というものだろう」
「はっ!了解しました!」
ペトルリーク大将麾下の艦隊主力500隻が、およそ3時間遅れで到着することになっている。こちらとは違い、あちらは標準型駆逐艦で固めた艦隊だ。旧式艦を改造して急編成された我が使い回し艦隊とは、わけが違う。
窓の外には、我が砲艦隊10隻が並ぶ。かつて下水管と馬鹿にされていた我が砲艦10隻が、こうして別恒星にまで出向いて、戦闘に参加するまでになった。まさしく、感無量だ。その後ろからは、かつての主力艦である回転砲塔式の旧式艦隊が続く。最後尾には、標準型の駆逐艦がいる。
「艦列を乱すな!ただでさえ、混成艦隊だからと馬鹿にされているはずだ!だからこそ、連盟軍の前でみっともない姿を晒すんじゃない!」
私は、机をバンバンと叩いて鼓舞する。それを、冷ややかな目で見つめるラウラの姿が見えた。




