#211 命名
「ったく! 危うくデネット様が死ぬところでしたわ! なんてことするのですか、クロノスのやつめ!」
ひどくお怒りなのは、マリカ中尉だ。その怒りの対象は当然、あの侵入者だ。
「いや、リーナ殿のおかげで、こうして無事でいられたのだから、そんなにぷりぷりしなくてもいいよ」
「なんてことおっしゃいますか、デネット様! あのクロノスというやつはまだ、この宇宙のどこかでのうのうと生きているのですよ!? その上で、あの馬鹿食い皇女に恩を着せられるなんて、我慢なりませんわ!」
おい、馬鹿食い皇女とはどういう意味だ?聞き捨てならないことを言いやがったな、この虚弱士官め。誰のおかげで今、こんなところで罵っていられるのか……僕の方が、怒りが込み上げてくる。
「ともかく、ドーソンのやつも無事でよかったですよ。運のいいやつです、あいつは」
そうだ。てっきり死んだかと思っていたドーソン大尉だが、辛うじてコックピットの破壊は免れ、生きていた。多少、擦り傷はあるものの、無傷と言っていい状態。まったく本当に、運のいい男だ。
「やはり、普段から筋肉を鍛えているからな! 運すらも引き寄せる! プロテイン、万歳だ!」
「プロテイン! プロテイン!」
いや、筋肉と運は、なんら相関性はないと思うぞ。だが、ザハラーよ、お前も未亡人にならずに済んでよかったな。
「で、提督! 一つ提案がありますわ!」
と、いきなりマリカ中尉が僕に提案などと言い出す。
「なんだ、ろくでもないことなら、却下だぞ」
「なんですか、機嫌が悪いですわね! それでも指揮官ですか!」
お前がいらんことを言うから、こっちがとばっちりを受けているだけじゃないか。いちいち不愉快なやつだな。
「……まあ、そんなことはどうでもいいですわ。で、私の提案とは、この敵の命名についてです」
「命名?あの敵に、名前をつけるというのか」
「ええ、そうですわ。正確に言えば、名前を当てはめる、と申し上げればよろしいでしょうか」
「当てはめるって……ちなみに、今回の侵入者は、なんと名付けられることになるんだ」
「クレイオス、ですわ」
「クレイオス? それってつまり、あの神の名か?」
「ええ、ティーターン十二神の中の、クロノス側についたとされる4人の神の名ですわよ。上から、コイオス、クレイオス、イアぺトス、ヒューペリオン。つまり、今回のは2回目ですから、2番目の名を当てた。そういうことです」
「と、いうことは、前回のあの大型艦は、コイオスと名付けると?」
「ええ、その通りですわ、提督」
マリカ中尉の提案は、現れたあの敵に、クロノス側の神の名を当てようというものだった。
マリカ中尉自身は、この非常識な敵があと4つ現れると信じている。最後に現れるのは、この神の中でも末弟であり、長であるクロノスということになるが、その前にあと3体もいることになる。
「ちょっと待て、マリカ中尉!」
と、そこにジラティワット少佐が声を上げる。
「なんですか、少佐殿?」
「今回の敵は、10メートル級のロボットだ。それと前回の大型艦を同じ扱いにするというのは、いかがなものか?」
「いかがと言われましても、どちらも我々の常識をはるかに超える敵であり、我々の通常兵器では全く歯が立たなかった。その点は、どちらも同じではありませんか?」
「それはそうだが……」
「それにもう一つ、共通点があるのですよ」
「共通点? あの人型と、大型艦の間にか?」
「ええ、そうですわ」
「どちらも、外観が黒いというのはあるが……」
「そんな瑣末なことではありません。どちらも、戦乙女らの力、ダニエラさん風に言わせれば、賜物によって倒されている、ということですわ」
マリカ中尉がそう述べるが、確かに、どちらもとどめを刺したのは、まさに戦乙女たちだったな。
「大型艦コイオスは、レティシアさんとカテリーナさんの連携プレー、そして今回の侵入者クレイオスは、リーナさん。いずれも、戦乙女によって倒された。通常の攻撃では、歯が立たない相手にも関わらず、です。そこが、この非常識な敵にあの神の名を当てはめる理由ですわ」
「中尉よ、飛躍し過ぎてて、何を言っているのか分からん。なぜ、戦乙女らに倒されることが、あの神の名を当てはめる理由になるんだ?」
「簡単ですわ、提督。戦乙女らのあの力は、おそらくクロノスらを倒すために作られたもの、そう考えられるからですよ」
「はぁ!? 賜物が、クロノスたちを倒すためだって!?」
「でないと、先ほどのリーナさんのあの馬鹿力の、説明がつきませんわ」
マリカ中尉はそう述べるが、僕は今ひとつ、釈然としない。
が、言われてみれば、今回のリーナは異常だった。10メートルほどの、しかも人型重機4機の攻撃を受けてもびくともしない相手に、魔剣ひとつで挑み、勝利した。あれよりもはるかに小さいサイクロプスには苦戦していたと言うのに、どうしてあの大きな侵入者にはあっさりと勝てたのか?
マリカ中尉の言う通り、リーナはあれと戦うために特化した能力を持っていた、そう考えるのが妥当、ということになるのだろうか。
釈然としない。が、現実に起きた現象をつなぎ合わせると、そう言うことになる。
「だが、マリカ中尉よ。どうして彼女らの能力が、クロノスらを倒すために作られた、と断言できる?」
「そりゃあ、ゼウスもガイアも、クロノスとの再戦を想定していたでしょう。一旦は逃げ延びて難を逃れたとはいえ、今後想定される事態に何の手も打たなかったとは思えませんわ。それで生み出されたのが、あの戦乙女らの賜物ではないかと。もしかすると、我々が破壊したアルゴー船も、その目的で作られた船だったのかもしれませんわね」
いちいち言うことが尤もだな。ギリシャ神話を無理矢理当てはめた解釈だというのに、妙に筋が通っている。
「……と、いうことはだ。マリカ中尉のその仮説によれば、あと3体の非常識な敵が現れる、と?」
「そうですわね。次は、イアぺトスになりますわ」
次の停車駅でも知らせるように、さらっと言ってくれるものだ。だが、名前などこの際は、どうでもいい。
「で、名前をつけると、何か分かることがあるんじゃないのか?」
「なぜ、そのようなことをお聞きになるのです?」
「神話には、例えば次に現れるイアぺトスがどのような神だったか、と記載されているだろう。ならばそれを事前に知ることによって、こちらも次に備えられる」
「ああ、そういうことですか。それでしたら、残りが何体か、という数しか当てになりませんわ」
「なんだって? それじゃあ命名なんてしたって、あまり意味がないじゃないか」
「だって、出てきた順に、上から名前をつけているだけですから。もしかすると、最初がクロノスだったってこともあるのですよ? それに神話には、クロノスら5人の神については、あまりはっきりと書かれてはいないのですよ」
「そうなのか?」
「そうですわよ。それこそ、神話から読み取れることは、たくさんの人が亡くなったとされる悲惨な戦いだったということです。そんな状況で、正確な伝承が残っているとは思えませんわね」
「いや、だって、それらに対抗するため、あの戦乙女らが生み出されたって言ってたじゃないか。ということは、相手のことをある程度は把握できてたってことだろう?どうしてそのことすら、伝承に残されていないんだ」
「神話の中では、逃げたんじゃなくて、勝って相手を封印したということにされてるんですよ? そんな相手のための対抗兵器を作ったとか、書き残すわけにはいかないじゃないですか!」
なぜか憤慨するマリカ中尉だが、お前はギリシャ神話の作者か?何をムキになっているんだ。だが、マリカ中尉の言うことにも一理ある。
ともかく、敵は全部で5体いる。正体は、分からない。現時点で考えられるのは、それだけだ。とはいえ、それが分かっただけでもまだ救いがあるということか。もっとも、これらはあくまでもマリカ中尉の仮説ではあるのだが。
救い、と言ったが、残念ながら救われている気がしない。前回の「コイオス」では40隻、約4000人もの将兵の命が奪われた。そして今回の「クレイオス」によって、死者37名、重軽傷者105名、そして、街の一角が破壊された。被害は決して、小さくはない。
連盟軍相手なら、ほぼ無敵を誇っていた我が最新鋭艦隊も、古代の遺跡相手にこれほどまでに苦戦を強いられている。これは、由々しき事態だ。
「おう、カズキ、元気ねえなぁ」
会議の後、まだ爪痕残る街に降りた僕は、レティシアとリーナがいるひつまぶしの店に行き、2人と合流する。
「元気など、出るわけがないだろう。このところ、うちの艦隊はこてんこてんにやられてるからな」
「何を言うか! このひつまぶしの店が守れただけでも、よしとせねばなるまい!」
前向きとも、あるいは自己都合とも取れるリーナの一言を聞き流しつつ、僕もひつまぶしを頂く。
うーん、やっぱり、うなぎは炭火焼きに限る。柔らかい身の中に混じる香ばしい部分を、薬味越しに味わう。まさにナゴヤの味だ。
ああ、ナゴヤに帰りたいなぁ。こんなバタバタとした戦いなど放っておいて、さっさとナゴヤに帰りたい。が、これでは当面は帰れそうにない。
「うみゃーっ! やっぱりひつまぶしは、うみゃーよぅ!」
と、すぐそばで騒いでいるのは、ボランレだ。
「そういえば、ボランレのやつ、この騒ぎの直前はどうだったんだ?」
「はっ、それがもう大変で、街の真ん中でふぎゃふぎゃと騒いでおりました。でもおかげで、我々の周囲の人は異常事態を早めに察知して、艦内放送と同時に避難を始められたんです」
ヘインズ中尉によれば、やはりボランレは感知していたようだ。駅のある第7ブロックに近い第4ブロックにいたらしいが、押し寄せる人々を見て、すぐに奥の第1ブロックへと逃れたという。
「……なるほど、今回、ボランレはそれなりに役に立ったということか。それは幸いだった。で、ダニエラはどうだったのだ?」
と、その横に座るダニエラに、僕は尋ねる。
「……それはつまり、私が役に立たなかったと、そう申し上げたいのですか?」
「ああ、いや、そういうわけではなくてだな、あの騒ぎを事前に感知できていなかったかと聞いているだけだ」
「街中でずーっと鏡を持ち歩き、自分の顔ばかり見ている人など、どこにもおりませんでしょう?つまりは、そういうことです」
聞いたタイミングが悪かったな。ダニエラの神の目がどうだったかを知りたかっただけなのだが、考えてみれば、鏡なしにはあの能力は発揮できない。
「なんてこと聞くんですか、変態提督! セクハラ、パワハラ、いや、レガハラですよ!」
レガーロ・ハラスメントと言いたいのか、グエン少尉よ。だが、僕を変態呼ばわりするそれも、一種のハラスメントではないのか?
「まあなんにせよ、察知しただけじゃ、避けられねえからな! 筋肉を鍛えなくてはダメだ!」
「上腕筋! 上腕筋! わはははっ!」
と、その横で、ドーソン大尉が役に立たないコメントを返す。その腕をバンバンと叩いて喜ぶザハラー。だがドーソン大尉よ、偉そうなことを言うわりに、お前は今回、自機を真っ二つにされただけじゃないか。
「今回は、出番がなかったですが、次は我々の出番かもしれない、ということですよね、提督」
「……ひつまぶし、おいしい……」
ナイン大尉と、いつもの痛い格好をしたカテリーナもいる。カテリーナはすでに、3杯目に突入していた。こいつもこの高級食材を、惜しげもなく食うやつだな。
「しかし、奢りとはいえ、これほどの人員にひつまぶしを食わせてしまって大丈夫なのですか? かつてヒデヨシ公は鳥取城を攻めた際、その城下の米を徹底的に買い上げた上で攻め落とした、いわゆる『鳥取の飢え殺し』とよばれる戦いの二の舞になるのではないかと……」
「大丈夫だよ、アウグスタ。補給艦の連携で、補給だけはバッチリだからさ」
「おお、さすがはランス! いや、ブルンベルヘン大尉殿! それでこそ、我が伴侶です!」
妙な惚気っぷりを見せつけるのは、ヴァルモーテン少尉とブルンベルヘン大尉のペアだ。
「やれやれ、ソーセージ少尉が、あれほど男に入れ込むなんて、大したお方ですわね、ブルンベルヘン大尉というお方は」
「おやおや、タバスコ・ピザ中尉殿が我々に嫉妬なさるとは、やはりそろそろ、大陸ケチャップよりも、地中海の生臭い塩の香りの方が恋しくなったのではありませんか?」
「そんなことありませんわよ! だいたいですね、嫉妬というのはブリカスのように、海に囲まれた連中が好んでやるものと決まっております!」
「まったくですよ! 自分でブラックジョークを投げておいて、それが滑ったからと我々を恨むような民族に……」
なんだろうな、この2人は。仲が良いのか悪いのか、さっぱり分からん。
「なんだぁ、あの2人、抱き枕のことで揉めてるのかぁ?」
「そんなわけないでしょう! 抱き枕に拘っているのは、サウセド大尉くらいのものです!」
「そうかなぁ、エリアーヌ准尉だって、俺の抱き枕を気に入って離さなかったじゃないか」
「そ、そういうことは、外で言う話じゃありません! ちゃんと場所を、わきまえてください!」
レティシアによればこの2人、仲がいいカップルだと聞いているが、側から見ると相性が悪い者同士にしか見えないな。
にしてもだ、随分と賑やかになったものだ、我が旗艦は。初めはレティシアとグエン少尉ぐらいしかいなかったというのに、いつの間にか女子、いや、戦乙女だらけだ。
「んでよ、エリアーヌのやつ、あんなこと言いながらも、サウセドと夜な夜なベッドの上でよ……」
「ちょ、ちょっと、レティシア様! 何を勝手に、私のことバラしてるんですか!」
そんな女子らが集まって、レティシアの話に耳を貸す。どうせいつもの下ネタのようで、特にグエン少尉などは、顔を真っ赤にしながらそれを熱心に聞いている。お前、人のことを変態呼ばわりする資格、あるのか?
「やれやれ、なぜあのように、ベッドの上の話で盛り上がれるのか……」
とぼやくのは、リーナだ。すでにひつまぶしは5杯目に突入し、山と積まれたお櫃の上に、食べ終わったお櫃を重ねようとしている。
「ふぅーっ、さすがにこの辺りが限界だな。これ以上食べると、帰りにあのパンケーキ屋のパンケーキタワーが食えなくなる」
うーん、そういうのは限界とは言わないぞ、リーナよ。別腹にパンケーキタワーが入ること自体、異常なのだが。
「それにしても、リーナよ。お前あの時、両手で剣を握っていたな」
「ああ、そうだ」
「なぜ、両手持ちに?」
「相手が相手であろう。あの化け物の剣を、片手で受け止められると思うか?」
「いや、その通りだが、別に受け止めずにかわすという手もあっただろう」
「それはそうだが、一度相手の攻撃を受け、捻り倒さねば、雷神炎は放てぬからな」
「確かにそうだが。しかし、あんな化け物を目の前にしてよく平気でいられたものだ」
「それは確かにそう思う。今にしてみれば、だがな。しかしあの時は、まるで恐怖を感じなかった。どうしてだろうな?」
首を傾げるリーナ。なぜだろうな、普段は男勝りで凛々しいリーナが時々見せる、このなんとも言えない仕草に、僕は多分、惚れている。
「ほんでよ、リーナと俺が揃って、カズキを攻める時もあってよ……」
「ええーっ!? そ、そんなことするんですか!? そんなことされて喜ぶなんて、やはり変態ですね、あの提督」
一方でレティシアが、今度は僕らのことを暴露している。罵りながらものめり込むグエン少尉。カテリーナもザハラーも、そしてエリアーヌ准尉までもが、我々の赤裸々な話に聞きいる。
ああ、レティシアよ。お前がそうやって全部喋るから、僕が変態呼ばわりされ続けているんじゃないかと思うのだが。少しは、自重してくれないかなぁ。マリカ中尉やダニエラ、ヴァルモーテン少尉まで巻き込み、なぜか暴露会場と化した女子会から遠ざかって、僕は細々とひつまぶしを食べる。
さて、先のマリカ中尉の提案である、あの黒い敵の命名に関し、コールリッジ大将が了承した。これにより、我々が戦ったあの2体の未知の敵の名は、それぞれ「コイオス」「クレイオス」と呼称されることとなった。
そしてそれに続く、来るべき「イアぺトス」との戦いに備えて、我々は動く。