#205 怪物
「はぁ〜っ……」
部屋で僕は、大きなため息を吐く。それを聞いたレティシアがベッドに寝そべったまま、尋ねてくる。
「なんでぇ、何をそんなにでかいため息を吐くことがあるんだ?」
「なんでって、囮になれと言われたんだぞ?」
「いいじゃねえか、別に。釣りの餌みてえなもんで、さっさと引っ張り出して、それを艦隊の前に連れ込んで叩きのめすだけの、簡単なお仕事だろう」
いや、簡単じゃないと思うぞ。とにかく、相手は得体が知れない存在だ。だいたい、本当に「六人の神」がいるかどうかすら分かっていない。
「だが、それが事実とすれば、厳しい戦いが予想されるな。あのアルゴー船を上回る力かも知れぬのだろう?」
「そうだ。だから、そんなものを呼び寄せてしまったことに、後悔している」
「何をいうか。カズキ殿は、そのアルゴー船を一撃で倒した指揮官ではないか。それをたったの6回、繰り返せばよいだけではないか?」
リーナよ、たったというが、あの思いを6回も繰り返したくはないな。
「なんでなんでぇ!また落ち込んでるのか!?」
「だらしない指揮官だな。そなたは12万人もの将兵を従える提督ではないのか?」
などと言いながら、僕をベッドに引き込んで、胸を押し付けてくる二人。いやあ、その行為自体は嬉しいんだけど、それ以上に僕を悩ませることが……
と思いつつも、僕はしばしの間、その悩みを忘れることにする。
「ふぎゃあ!今日も、ご飯が美味いよぅ!」
で、翌朝、といっても、艦隊標準時以外に、朝を告げる目安が分からないが、とにかく我々にとっての朝になり、食堂へと出向く。そこには、いつものように元気なボランレがいる。
が、僕はそのボランレの姿に、違和感を覚える。
どこか、妙だな……うまくは言えないが、以前と、どこかが違うぞ?
「おい、ボランレ!」
と、そのボランレに向かって、レティシアが叫ぶ。
「な、なんだよぅ!今から茶漬けを食うんだよぅ!」
「おめえ、いつの間に尻尾なんて生やしてたんだ!?」
レティシアが指差す先、そこには、ふさふさの尻尾がある。
ああ、そうか、何か違和感を感じると思っていたが、この尻尾が原因か。言われてみれば、以前まではこんなもの、生えてなかったぞ。
「なんだよぅ、大人になれば、尻尾くらい生えるよぅ!」
「はぁ!?そんなわけねえだろう!どうやったら、尻尾なんてものが生えてくるんだ!」
「大人になって、尻尾がない方が、おかしいんだよぅ!」
我々の服は、尻尾など想定していない。だから無理矢理、ズボンに切れ込みを入れて、その尻尾を外に出しているようだ。で、ボランレのその尻尾だが、見れば見るほど妙だ。
僕はボランレが、ずっと猫科だと思っていた。が、その尻尾はちょうど、柴犬のあのくるっとした尻尾、まさにあれだ。
色も茶色だし、ますます柴犬だな。ずっと猫だと思い込んできたが、まさかヴァルモーテン少尉の言う通り、こいつは犬だったというのか?それならなぜ、喉を鳴らすのかが分からないな……
このボランレという生き物は、いろいろと混じりすぎてて、よく分からない存在だ。おそらくは原生人類が作り出した人造人類だと考えられているが、何をどうやって、どういう動機で作られたのか……
「へぇ〜、ますますバカ犬らしくなって、よろしいではありませんか」
「バカ犬は、余計だよぅ!そんなことよりもブラッドリーよぅ、さっさと食って、コウビしようよぅ!」
「あ、ああ……」
おい、ボランレよ。そろそろ人間社会の常識というやつを、わきまえた方がいいぞ。そういうことは、人前で言うもんじゃない。
「やれやれ、相変わらず盛んなやつだなぁ。尻尾が生えて、ますます元気じゃねえか」
ヘインズ中尉と一緒にご飯を食べながら、あのくるっと丸い尻尾を盛んに振っているボランレ。感情表現が、ますます分かりやすくなったとも言える。
「そういえば、ボランレさんは最近になって、あの尻尾が生えてきましたわね」
と言うのは、ダニエラだ。
「なんでぇ、ダニエラには生えてこないのかよ?」
「は、生えるわけないでしょう!何を言ってるんですか、レティシアさん!」
「そうかぁ?タナベに向かって、いつも愛想振りまいているから、そろそろあんなのが生えてくると便利じゃねえのかと思ってよ」
「そういうレティシアさんだって、今ごろはヤブミ様に向かって、見えない尻尾を振ってらっしゃるのではないですか?」
もしレティシアに尻尾がついていたら、今ごろは興奮気味に振ってることだろうな。だが、そんなものがついてたら、僕はそれを……
「チキン、食べたい!」
そんな妄想をぶっ壊すほど、空気も読まずに大きな声で登場したのは、ザハラーだ。こちらもパートナーと共に登場だ。
「おいザハラー、プロテインはいるか?」
「いる!」
このカップルも、あまり正常とは言い難い付き合い方を続けているが、それはそれで上手くいっているから、まあいいのだろう。
「……納豆、美味しい」
「そ、そうだね、納豆、美味しいね」
一方で、カテリーナの納豆ご飯に、未だ馴染めていないのはナイン大尉だ。発酵食品というやつは、どうしても人を選ぶ。
「……ということは、ブルンベルヘン大尉殿の言われるように、補給線こそが、この戦いを制すると?」
「そうだよ、少尉。たとえ相手が神だとしても、補給線さえ確保すれば、負けることはないだろうよ。それが人類の戦いの歴史でも、証明されているわけだし」
「まったくその通りです!それをあのピザ・パスタ中尉殿は、まるで理解しようと致しません。まったく、今ごろはあのケチャップ大尉殿と共に、何をしていることやら……」
こちらのカップルは、なぜかお堅い話を繰り広げているようだ。だが、ヴァルモーテン少尉よ、マリカ中尉への悪口は余計だろう。
一方のマリカ中尉はというと、この場にはいない。ということは今ごろは、ケチャ……いや、デネット大尉と一緒なのだろうか?そんなことに精を出さずに、あのクロノスとかいう神のことを、もうちょっと考察してくれないかなぁ。
「ちょっと、大尉殿!また散らかってましたよ!」
と、そこにものすごい剣幕で怒鳴り込んでくる奴がいる。って、よく見ればあれは、エリアーヌ准尉だ。
「なんだ?おい准尉、俺、なんかしたか?」
「なんかじゃありません、サウセド大尉!また部屋の中に、ゴミの塊が入ってましたよ!」
「いや、あれ、ゴミじゃなくて、俺の服なんだけど」
「服ならば、クローゼットにしまえばいいでしょう!なぜ、ゴミ袋なのです!?」
律儀で綺麗好きな、それでいて堂々と違法飛行を繰り返すエリアーヌ准尉は、よほどだらしないサウセド大尉のことが気に入らないらしい。が、准尉よ、わざわざサウセド大尉の部屋までチェックしているのか?
そんな食堂でのやりとりを見届けた後、僕は艦橋へと向かう。エレベーターに入ると、グエン少尉がいる。
「なんですか、変態提督!」
まだ僕は、何も言ってないし、何もしていないぞ?脊髄反射で、変態呼ばわりしないで欲しいなぁ。上昇するエレベーター内で、僕は尋ねる。
「そういえばグエン少尉。ジラティワット少佐とは、上手くいってるのか?」
「提督ですら、レティシアちゃんとリーナちゃんと、上手くやれているのでしょう?ならば、私とダーオルングが上手くやれないわけがないでしょう」
妙な比較をされてしまった。それじゃまるで僕が、人としてダメだと言っているようなものだ。辛辣な一言が出たところで、エレベーターは最上階に到着する。
艦橋に入ると、僕は一斉に士官らの敬礼を受ける。司令官席に座り、僕は尋ねる。
「で、少佐。周辺宙域の様子はどうだ?」
「はっ!特に何事もありません!」
応えるのは、そのグエン少尉のパートナーであるジラティワット少佐だ。こちらはそのパートナーとは違い、僕に対して実に紳士的に対応してくれる。
「で、エルナンデス隊が追いかけていた黒色艦隊の残存艦が消えたのは、あのあたりなのだな?」
「はい、そうです。今回の1万隻の艦隊も、一部が離脱、撤退し、ちょうどこの辺りで消えています」
「うむ……だがここには、ワームホール帯は確認できないというんだな?」
「はっ、その通りです」
「それじゃあ、どうやってワープしているんだ、あいつらは……」
相変わらず、意味がわからないな。僕らの常識を超えている。
まさか、自在にワープする手段を持っているのか?いや、それならどうして、この決まった座標でしか行き来できないのか。ここに、僕らには見えないワームホール帯があるとしか思えない。だが、僕らの技術では、それを明らかにすることができない。
ほんの1年ほど前までは、まさか原生人類がいて、その遺跡と戦闘を繰り返すハメになるとは思ってもいなかった。リーナと出会ったのだって、今から9か月前のことだ。あれからいろいろな出来事が起きているから、随分と経ったように思うが、まだ1年も経っていない。
だが、僕はこの宇宙で最も厄介なことを抱える羽目になる。文明を一度、リセットするほどの連中を相手に、戦いを挑もうとしているのだ。正気の沙汰ではない。
しかし、今のところは静かだ。1万もの無人の艦艇が現れた場所とは、とても思えないところだ。遠くには、暗いが重い天体が、うっすらと光り輝いている。
だが、僕はなんとなく予感する。
なんとなくだが、やばいものが迫っているような気がする。
そして、僕がこういうことを考えると、大抵それが、フラグになる。
「ヤブミ様!何かが見えます!」
「れ、レーダーに感!」
やはり、来たな。同時に叫ぶダニエラとタナベ大尉に向かって、艦長が確認を求める。
「現状を報告せよ。何が現れた?」
「はっ!黒色艦隊のワープアウト予想地点に艦影!艦数1、全長はおよそ、1万2千メートル!」
「なんだと!戦艦よりも大きいのか!?」
「光学観測!艦影視認!艦色は黒色!モニターに映します!」
ナゴヤの日時で、西暦2491年3月21日、午後1時32分。我々の前に突如、まったく予想外のものが現れる。現れたのは、我々の戦艦クラスよりも大きな艦影で、その数、たったの一隻。
だがそれは、まさにこれから始まる激しい戦いの、序曲であった。




