#200 出港
「魔石エンジン、始動!」
艦長の声が、艦橋内に響く。いつもの出港風景だが、いつもとは異なるキーワードに、僕は違和感を覚える。
「了解、魔石エンジン、始動!出力20パーセント!」
「両舷、微速後進!駆逐艦0001号艦、発進する!」
魔石で動く際は、甲高い音が響き渡る。これは、核融合炉の出力が低く、重力子エンジンだけが回るために起こる現象だ。ちなみに、魔石エンジンからの音はない。
しかし、そんなイレギュラーな機関から力を得て、この修理ドックから離脱する、我が0001号艦。真っ暗な宇宙と、灰色の巨大な船体との狭間に滑り出る。
「出力良好、機関正常、問題なし!」
「ドックからの距離、1500!」
「よし、仰角3度、両舷前進半速!戦艦ゴンドワナを離脱する!」
キィーンという甲高い音が、さらに高鳴る。核融合炉を動力として用いていないというのに、それを感じさせない勢いで、戦艦ゴンドワナから離れていく。
あの巨大戦艦が、徐々に小さくなる。全長が700キロあるあの船体も、この広大な宇宙では塵に等しい。無限の闇に紛れ、ただの光の点となりつつある。
「カズキ殿。腹が減ったから、そろそろ食堂へ行っても良いか?」
その虚空の闇よりも深い胃袋を持つやつが、このピリピリした艦橋内の空気も読まずに、何か僕に言っている。
「そんなに暇なら、下にいればいいだろう。なんだって、艦橋にきたんだ?」
「いや、あの大戦艦に別れを告げるためだ。とても世話になったからな、せめて見えなくなるまで、その姿を見届けたかった」
皇女様という立場だからだろうか、リーナはこういう、変に律儀なところがある。それはそれで悪くないのだが、その几帳面さを何かに活かせないものだろうか、と思うことはある。
すっかりゴンドワナの姿が見えなくなった。ついでに、リーナも食堂に消えた。今ごろはまた、あの膨大な食欲を発揮している頃だろう。
我が第8艦隊は今、全艦で「魔石エンジン」のみの航行を行っている。実証試験航行を兼ねてのことだが、このままここ白色矮星域を抜けて、中性子星域の第1艦隊のもとへと向かうことになっている。
「艦長、機関室へ行って様子を見てきます。何かあれば、艦内放送で連絡を」
「はっ!」
あとのことを艦長に任せて、僕は機関室へと向かう。あの魔石エンジンが、本当にちゃんと駆動しているのか、気になって仕方がない。
今のところ、他の艦艇からも不具合の情報は入っていない。定時連絡でも、極めて順調との報告が入るだけだ。僕の不安に反して、魔石エンジン自体は極めて安定している。
が、不安を感じているのは、僕だけではないようだ。
ちょうど、左機関室の出入り口に差し掛かった時だ。その出入り口の前で、ウロウロしている奴がいる。
そう、レティシアだ。
「レティシア!」
僕の呼びかけに気づいたレティシアが、こちらを振り向く。その表情は、不安げというか、落ち着かないというか、だが僕は、レティシアのその表情から読める気持ちが痛いほどよくわかる。
「おう、カズキ。いやな、機関室に入っていいものかどうか、分かんなくてよ」
「なぜだ、いつもは遠慮などせず入っていただろう。別に、いいんじゃないのか?」
「いや、またああいうことになっても嫌だしよ……」
「触らなければ、どうと言うことはない。前回の試験航行でも、レティシアはずっと機関室にいたが、あれに触れるまでは何事もなかったじゃないか」
「そうだけどよ、何かの拍子で触っちまうってことがあっても嫌だしよ」
そんなドミノ倒しなことが起こるわけがないだろう。それにだ、そのための対策も施してある。僕は機関室の扉を開けて、レティシアを誘う。
「大丈夫だ。何かの拍子で触ることなんて、ありえないからな」
そう諭すと、レティシアはゆっくりと機関室中に入る。中の様子を見たレティシアが、呟くように言う。
「なんだこれ……」
そう、魔石の周囲は、頑丈なガラス扉で囲われている。仮にレティシアがものすごい勢いでずっこけて突っ込んだとしても、あれに触れることは不可能だ。
「あんな感じに、1メートル以内には近づけないようになっている。だから、気にすることはない」
とはいえ、手前のボタンを押せばロック解除でき、そのガラスの扉を開けることはできる。不意な事故を防ぐ程度の仕掛けであって、その気になれば簡単に触れることができる。もっとも、触れる気になればの話だが。
なお、他の人々、例えばリーナが触れても暴走が起こらないことは、あの修理ドック内で確認されている。エリアーヌ准尉ならばどうかは、確認していない。が、おそらく魔女である以上、レティシアと同じことが起こるだろう。
「しっかし、気味が悪い仕掛けだよなぁ」
改めて、あの魔石との再会を果たしたレティシアが、その魔石に向けて放った言葉がこれだ。気味が悪いと言うより、不可解と言った方が僕にはしっくり来る。なにせ、原理も制御方法も未知の機関を、1000隻の艦艇に取り付けて使用している。よく試行が中止されなかったものだと、僕は思う。
それだけ、魅力の部分が大きい機関だと言える。なにせ、エネルギー供給なしに航行が可能になる。人間さえいなければ、無人でどこまでも運航可能な船が出来上がる。
うん、レティシアではないが、やはり気味が悪いな。なんだその非常識な船は?何のために運航されるのか分からない船じゃないか。
だが、人工知能搭載の無人の艦隊を結成すれば、ビーム粒子を補給さえすれば、どこまでも作戦行動を取り続ける、まさに理想的な艦隊が出来上がる。
そうなれば、軍事バランスが大きく崩れるだろう。我が連合が、圧倒的に有利になる。なにせ人命軽視な作戦を、いくらでもできてしまう。おそらく地球001の最高司令官司令部の決定も、それを狙ってのことだろう。この機関が量産化された暁には、強硬派も保守派も、そして慎重派も、それぞれの利害を満たすことができる何かがある。だからこそ、我が艦隊での試験運用の続行が決まった。
うう、ますます文明のリセットに向けてまっしぐらじゃないか。僕は多分、リーナ達のいるあの銀河への扉を開けた瞬間に、いわゆるパンドラの箱もついでに開けてしまったような気がする。我々の持たざる何かが、一斉に噴き出されたそのパンドラの箱の奥には、果たして「希望」は残されているのだろうか?
そんなことを考えつつ、しばらく魔石を眺めていたが、特に何かが起こると言うわけでもなく、食堂にいるリーナと合流する。
「おい、リーナ。おめえ、よくそれだけ食えるなぁ」
「ほんあほほいはえてお、はあはへううははらひょーはははほう!」
食べながら話すな、リーナよ。何か反論していることはわかるのだが、何を話しているのかさっぱり理解できない。それにしてもリーナのやつ、さらに食欲が上がっていないか?
そしてその日は、3人は部屋に戻る。
で、その翌日。僕は再び、艦橋に立つ。まさに今、中性子星域へのワープが行われようとしていた。
「ワームホール帯まで、あと2分!」
「砲撃管制室!砲撃戦、用意!」
『砲撃管制室より艦橋!砲撃戦、用意よし!』
ワープ時の定形のやりとりが続いている。といっても、この先には第1艦隊もいるし、そうそう連盟軍と遭遇することはない、と思う。が、用心に越したことはない。
「ワームホール帯に突入!空間ドライブ、作動!」
「ワープ空間に、入ります!」
一瞬、窓の外が真っ暗になる。が、それもほんの数秒後に、星空が戻る。
「ワープ完了!中性子星を確認!」
何事もなく、ワープを終えたようだ。にしてもここは、静かなものだ。かつて連盟軍と、支配域争いを繰り広げた場所とは思えない。
レーダーサイトには、第1艦隊の姿が映し出されている。距離1100万キロ。まず我々は、コールリッジ大将率いるこの艦隊との合流を果たすべく、進路をそちらに向ける……
はずだった。
が、事態は急変する。
「レーダーに感!2時方向、艦影多数!距離、170万キロ!」
「なんだと!?至近距離じゃないか!」
「艦数700!こちらに向けて進撃中!あと40分後に接触する模様!」
「光学観測!艦色視認!」
急に艦内が慌ただしくなる。未知の艦影が捉えられ、その確認作業が続く。が、光学観測員からの返事が、なかなか返ってこない。
「光学観測、どうした!?」
「はっ!艦色視認しましたが、見たことのない、奇妙な色です!」
「奇妙?」
「はっ!連合軍でも、連盟軍でもありません!黒色の艦影で、全長400メートルの棒状の艦です!」
「なんだと!?黒色!?」
「映像、映します!」
大型のモニターに、その艦影が映し出される。その姿を見て、一同は言葉を失う。
真っ黒な艦影、しかしそれは荒削りな作りで、あのリーナの後を追ってきた岩の艦隊にも似ている。が、全長が長く、棒状の形をしている。
しかも先端には大きな穴が空いており、あれが砲艦であることは間違いない。
そして、その未知の艦隊は、明らかにこちらに進路を向けている。
「民間バンド、または連盟との共用バンドで呼びかけよ!」
「はっ!さきほどから呼びかけておりますが、応答ありません!」
魔石エンジンでの試験航行中に、僕らは未知の艦隊と遭遇する。




