#152 木星軌道
「ふぎゃん、ふぎゃん!」
「ほらほら、こっちだこっちだ!」
食堂の前の通路で、数人の士官らに遊ばれているのは、ボランレだ。大きな猫じゃらしのようなものを振られて、それを目で追いかけている。
「こらぁ!ボランレちゃんで遊ぶなぁ!」
すると当然、グエン少尉が出張ってくる。猫じゃらしを放り投げて逃げる士官達。
「まったく……最近、この船の綱紀が乱れてるのは、一体誰のせいなんでしょうかね!?」
その猫じゃらしを拾いながら、ため息を吐くグエン少尉。おい、少尉、こっちを見るな、こっちを。僕はこの件、何も悪くないぞ。
「何だよぅ、せっかく楽しいところだったのによぅ」
グエン少尉の持つその猫じゃらしの先端にグリグリ触れながら、残念そうに語るボランレ。
「ちょっと、ボランレちゃんも、もう少し自覚を持ってちょうだい。男なんて、下心ゆえにボランレちゃんに迫っているんだから、気をつけないと、いいように食われちゃうわよ」
「ふぎゃ〜っ!?妾は、食われるところだったのかよぅ!?」
そんなわけないだろう、グエン少尉よ、いくらなんでも脅し過ぎだ。
それにしてもボランレ、ますます知力が落ちていないか?いや、元々、これぐらいだったか?もうすっかり、0001号艦のペットだ。
艦隊標準時、すなわちナゴヤ時間の西暦2490年10月21日 午前9時18分、地球ゼロから地球001へ続く門を潜り、地球001星系外縁部に着いたところだ。まもなく、天王星軌道を横切る。
数時間後には、木星軌道上200万キロの位置、木星の衛星「カリスト」のやや外側の軌道に投入されることになった。
ここまでは、順調だ。戦艦キヨスの腹にくくりつけて曳航されている浮遊船「アルゴー船」は、今のところはただの岩のままだ。しかし、何がきっかけで暴れ出すか分からない船だからな、気は抜けない。
「天王星軌道線上を通過!」
艦橋に戻ると、ちょうど天王星軌道を横切るところだった。と言っても、天王星はおらず、ここから半周分近く向こうにある。
今、大型惑星の中では、木星はワームホール帯側にある。木星以外にも土星か天王星のいずれかでも良かったが、そういう理由で木星が曳航先に選ばれた。
「木星まで、あと4時間!」
木星は、着実に近づいている。が、まだここではその姿を見ることができない。正面に、明るい光の点が見える程度だ。
ここから、星系内の短距離ワープを行う。この地球001星系にも、星域内をつなぐワームホール帯がいくつかあり、それを伝って目的の惑星へと向かう。
そういえば、木星の軌道上に向かうのは初めてだな。近くを通り過ぎることはよくあるが、あの星は通過点という印象しかない。
この地球001星系内では、最大の惑星。太陽に次ぐ大きさの星だ。
まるで木の年輪のような模様のこの惑星も、近づけばガス流渦巻くアクティブな惑星だ。その強烈な重力に引かれて、48個の衛星が存在するが、その中で4つの大きな衛星が有名だ。
その一つである「カリスト」の近くに今、我々は向かっている。
「ふぎゃん!来ちゃったよぅ!」
「来ましたわね、バカ犬!」
……これからこの星系で最大の惑星に向かおうというのに、理性のかけらもないやり取りがここ艦橋では繰り広げられる。
ボランレは、多くの乗員には好かれている。彼女を忌み嫌うのは、ヴァルモーテン少尉とマリカ中尉の2人。この2人ほどではないが、どちらかといえば距離を置いているのがダニエラだ。
デスク掃除用の紙製ブラシに針金をつけて、巨大猫じゃらしを作るのが艦内では流行っているが、目的はボランレを惹きつけるためだ。
が、ほとんどの乗員にとって、ボランレを人というよりは、ペットとしてみている節がある。耳の裏側にツボがあるらしく、膝枕しながらそこをマッサージすると、ゴロゴロとのどを鳴らしながら膝に顔をうずめる。
「ったく!どこかの提督が、こっちの世界にボランレちゃんを連れ込んでくれたおかげで、ボランレちゃんをペット扱いする人であふれちゃったじゃないですか!」
艦橋内の備品を交換するついでに、僕に聞こえるように批判の声を上げるグエン少尉だが、その言葉を聞いて心穏やかでないのは、僕よりもむしろ、オオシマ艦長の方だ。
オオシマ艦長が艦内の展望室で、ボランレの耳をマッサージしながら膝枕する姿を、僕は目撃している。その所業を知ってか知らずか、グエン少尉は辛辣な言葉を残して艦橋を去る。
「あ、あと2時間ほどですな」
「ああ、そうですね」
明らかに動揺しているオオシマ艦長。この艦長のこういう姿を目にするには、実に珍しい。頑固一徹、質実剛健、臥薪嘗胆、焼肉定食……とにかく堅いイメージのオオシマ艦長の牙城を崩すのは、魔物の原材料である魔石をせっせと供給し続けた一族の一人、いや、一匹である。
しばらく艦橋内で愛想を振りまきつつ、じゃれていたボランレだが、星域内ワープを終え、目の前にその巨大惑星を目の当たりにすると、和やかな雰囲気が豹変する。
「ふぎゃーっ!な、なんだよぅ、あれは!?年輪の化け物かよぅ!?」
突如、目の前に現れたその不気味な星に、動揺するボランレ。
「これだからバカ犬は……あれは地球001星域で最大のガス惑星であり、多数の衛星を持つ星なのです。かつて、ガリレオが4大衛星の動きを観測することで、地動説を確信するに至ったという……」
おい、ヴァルモーテン少尉よ。ボランレでなくても、貴官のその長いウンチクを聞く耳は持ってはくれないぞ。
木星に接近を続ける我が艦隊は、衛星カリスト軌道に達しようとしていた。
「全艦に伝達!木星の周回軌道に乗る、180度回頭、減速いっぱい!」
「了解、180度回頭、減速いっぱい!」
ウンチクなど述べている場合ではなくなったヴァルモーテン少尉が、慌てて全艦に電文を打つ。
「回頭!両減減速いっぱい!」
窓の外の風景がぐるっと回ったかと思うと、機関音が鳴り響く。光速の10%ほどの速度から、木星軌道速度まで一気に減速する。
「木星からの距離200万キロ!軌道速度よし!」
40秒ほど減速した後、我々は木星の衛星軌道上に乗った。再び回頭し、慣性航行に移行する。
それにしてもだ、こういう頻繁な加減速の直後には必ずと言っていいほど、機関が熱暴走を起こしていたものだが、今はまったくそれが起こらない。気味が悪いほど、安定している。レティシアの熱冷却という恒例行事が、このところまるで見られない。
「うわぁ……なんですの、この星。こんなにお肌が荒れていらしたのですか……」
そういえば以前、ダニエラがこの星を見たときは、もう少し遠いところから見ていた。そこではまさに切りたての木の切り株のように滑らかな木目模様が見えていたが、今の距離で眺める木星の表面は、気味が悪い渦巻き模様が無数に浮かび上がる、まさしく地獄絵図のような様相である。
「戦艦キヨスより入電!『アルゴー船』の切り離し、開始します!」
「了解、切り離しを許可する!『アルゴー船』の木星軌道投入、開始せよ!」
「はっ!」
窓の外に見える大型艦の腹にくくりつけられた岩の塊が、切り離される。それは徐々に離れていき、やがてこの木星の衛星の一つとなる。
「アルゴー船の軌道投入、完了!軌道速度よし!」
「第4艦隊に伝達!アルゴー船の軌道投入、完了!これより当該船舶の管理を、第4艦隊に移行する、と!」
「はっ!」
さて、僕が一方的に、この船の管理責任を「譲った」直後に、レーダーに反応がある。
「レーダーに感!5時方向、距離1100万キロ!数、およそ1万!」
「光学観測、艦色視認!明灰白色!友軍です!」
「IFF受信、地球001、第4艦隊!」
予想より早く来たな。僕が丸投げした結果か、それともあの未知の船を一刻も早く見たいという好奇心からか?
『酷いやつだな。我々が木星到達する前に、管理責任を投げつけてくるとは』
直接通信にて、早速抗議してくるアントネンコ大将。だが、僕は応える。
「いえ、一刻も早く、大将閣下にお引き渡しして、すぐにでも調査が行えるよう、取り計らった次第です」
『そうだな、あれが第8艦隊旗艦と同じ持続砲撃可能な砲身を持つという船だということだったな。しかも、ビーム攻撃をも弾き返すという甲板も気になる。さてさて、どんなお宝が眠っていることか……』
なんだ、やっぱり好奇心の方が大きいじゃないか。こちらに抗議しておきながら、まるで高価なおもちゃを買ってもらった子供のように、嬉しそうに目を輝かせている。
「はぁ……ようやくこれで、引き渡しができた」
「そうですね。やっとです」
僕とジラティワット少佐は、第4艦隊の到着と同時に、それまで張り詰めていた神経がようやく解れるのを実感する。言ってみればあれは、爆弾のようなものだ。いつ炸裂するか分からないもの、そんなものを抱えて、ようやくここまでたどり着いた。
が、そんな安堵感も、瞬時に吹き飛ぶ電文が届く。
「提督!第4艦隊総司令官、アントネンコ大将閣下より入電!」
……なんだ?もう任務は終わったはずだが。悪い予感がする。僕は応える。
「読み上げろ」
「はっ!ヤブミ准将に告ぐ、引き継ぎのため、我が旗艦、ペトロパブロフスクに寄港されたし!以上です!」
ええーっ?まだ引き継ぎなんてやるの?聞いてないよ、そんな話。
「分かった。直ちに向かうと伝えよ」
「はっ!」
とは思ったものの、宮仕えの悲しい性、僕は大将閣下のこの申し出を受諾せざるを得ない。
「はぁ……」
「おい、なに溜息ついてんだ?」
「これから、アントネンコ大将のところに行くことになったんだ。それが、憂鬱でさ」
「なんでぇ、あんころ餅くれえ、ビビることでもねえだろう」
久々に聞いたな、レティシアの「あんころ餅」発言。お前、以前に一緒にボーリングをした相手だろうが。
で、レティシアとしばらくベッドで共に過ごしていると、我が艦はアントネンコ大将のいる戦艦ペトロパブロフスクにたどり着く。
「1番ドックに入港用意!ビーコンキャッチ、距離1700!」
「両舷前進最微速!進路微修正、右に0.3!」
すでに戦艦ペトロパブロフスクの上に来ている。岩肌の上を微小速度で前進する0001号艦。正面やや右に、艦橋が見える。
そういえば、アントネンコ大将に直接お会いするのは、あのボーリング以来か?腐れ縁のコールリッジ大将とは違い、こちらとはそれほど接触機会がない。
だから、理由をつけてわざと僕を誘ったのではないか?そう思えてならないな。
「おお!来たか!」
「はっ!ヤブミ准将、ただいま参りました!」
入港後に、艦橋内の司令官室に入った僕を、アントネンコ大将が出迎えてくれる。妙に上機嫌だな。僕は敬礼した後、その応接間のソファーに腰掛ける。
「さて、話を聞かせてもらおう」
「はっ、あの浮遊船『アルゴー船』ですが……」
「そっちはいい、報告書で見れば分かる」
なんだ、やっぱり引き継ぎは口実だった。思った通りだ。
「……では、何のお話をすれば良いので?」
「決まっている。敵の准将に会ったのだろう。その男の話だ」
「はぁ……どこから話せばよろしいのです?」
「まずは、降伏を申し出てきたときの話だ。その時、そやつは何をしていた?」
「ええと……1万人の説得をしてたと言ってました」
「だろうな。一発も撃たずに、降伏だからな。反発も大きいだろう。しかし、どうやってそれだけの人数を、あの短時間で説得したんだ?」
「えっ!?それは……」
そんなことまでは聞いてないぞ。いや、待てよ?そういえばジラティワット少佐が確か、そんなようなことをヘルクシンキ司令部のそばにいたときに、聞いていたような……
僕はそこで、ジラティワット少佐にメールを打つ。グエン少尉とのデートの最中だろうが、仕方あるまい。しかし、すぐに返事が来る。
「ええと、少佐が聞いた話によればですね。なんでも、メルヒオール提督の話をしたそうです」
「メルヒオール提督?誰だ、それは?」
「なんでも、270年前に、8000隻の艦隊を率いて我が地球001艦隊1万隻を破ったという、連盟軍の祖と言われている人物だそうです。その人物がかつて、『勝利より生存』と話していたという逸話を出して、説得したということです」
「うん、なるほどな。さすがは連盟軍を作り上げた将の言葉だ。何と力強い」
感心しているアントネンコ大将だが、普通、地球001の大将閣下ならば怒り狂うところだぞ。何せ、我が地球001が大敗を喫した戦いの際の敵将であり、我が地球001の艦隊があれほどの大敗北をしたのは、後にも先にもあの時だけだ。
「にしてもそのビスカイーノ准将という男、実に冷静な判断を下したものだな」
「はっ、そう思います」
「そういう人物が上に立てば、この宇宙の戦いも、もう少し減らせるものを」
「その通りです、閣下」
「だがその准将、貴官と同じくらいの年齢だったのであろう?」
「そうですね。30歳手前と話してました」
「ということは、それなりのバックがいるな。コールリッジくらいの物好きが、あの星にもいるということか。となれば、地球023にも冷静な状況判断をするやつがそれなりにいるということかもしれんか」
なんだ、僕は物好きによって出世させられたと言いたげだな。否定はしないけど、本人を目の前にして言うことじゃない。それに、アントネンコ大将も負けず劣らず、物好きだ。
「だが、惜しいな」
「何がです?」
「それほどの准将なら、貴官と同じ500隻の艦艇を当てて、力を持たせればいいものを」
「はぁ……ですが、そのためには、それなりの戦隊長をつけないと……」
僕はそう言いかけて、言葉を止める。
そう、僕にはあの5人の戦隊長がいる。一見すると、まとまりのない5人ではあるが、ふと振り返るとこの第8艦隊は、あの5人のおかげでここまで生き残れたのではあるまいか?
あるときは特殊砲撃による力押し、だがある時は小集団による陽動、またある時は近接戦闘……まるで一貫性のない艦隊だ。連盟側から見ると、実につかみどころのない艦隊に映るだろうな。
だが、それがこの艦隊の強みなのではないか?相手からすれば、予測不能な変幻自在な艦隊、強力な兵器と相まって、対処のしようがない集団。そう見えているのではないか?
まさか、コールリッジ大将は、そこまで考えてあの人選をしたのだろうか。いや、絶対にそこまで考えているとは思えないがなぁ。単に面白そうだからという理由で、集められたようにも思う。しかし、そんな個性の塊のような人物を当てることができるくらい、我々、地球001には人材がいる。
連盟軍の、地球023には、それほどの人材が生き残っていないのではないか?ビスカイーノ准将の配下につけられるだけの逸材、奇才が見つけられないほど、枯渇しているのではないか?
僕はその時、あの連盟軍の祖、メルヒオール提督の言葉の重みを、実感する。「勝利より生存を」と言ったその大提督の言葉を。




