#13 令嬢
そういえばこのところ、地球1010での目まぐるしい日々や、カテリーナの驚愕の能力に振り回されて、すっかりレティシアとの楽しいやりとりを忘れていた。
せっかく慣れた戦艦ノースカロライナのホテルに来ているんだ。そう思った僕は、久しぶりにレティシアにバックハグを仕掛ける。
「うぎゃぁーっ!」
そして2、3発分の張り手を受けて、赤くなった頬を抱えたまま、僕は駆逐艦0001号艦へと戻る。
「……また、やらかしたんですね。聞こえましたよ、私の部屋まで、レティシアちゃんの叫び声が」
エレベーターで鉢合わせたグエン准尉に、また軽蔑の目で見られてしまう。
「まったく、いつになったら治るんですかねぇ、この変態ぶりは」
「そうだぞ、野獣じゃあるめえし、背後から迫るやつがあるか!」
「野獣……」
グエン准尉にレティシア、そしてカテリーナから、僕は冷たい視線を一心に受ける。
「いや、スキンシップというものは、コミュニケーションの手段としては最も有効な方法であって……」
「それは、双方が納得している場合の話でしょう! レティシアちゃん、バックハグについてはぜーんぜん、納得してませんよ!」
「そうだそうだ!」
「変態……」
うう、カテリーナもあちら側に加わってしまったか。素直で大人しい、いい娘だと思ったんだがなぁ。
そんな3人に罵られながら、僕は艦橋に向かう。艦橋に着くや、オオシマ艦長の視線がちょっと痛い。
「出港準備よし。これより、地球1010に向け、出発する。機関始動!」
「機関始動! 出力10パーセント!」
「繋留ロック解除!抜錨、駆逐艦0001号艦、発進!」
ガコンという重苦しい音と共に、船体を固定している繋留ロックが外される。ゆっくりと後退し、ドックから離れる。僕は、すぐ脇に見える戦艦ノースカロライナの第一艦橋に向かって、敬礼する。
それから30分ほどで第8艦隊300隻は集結し、一路、地球1010へと向かう。ここから3日の行程、1回のワープを経て、地球1010に到着することとなる。
味噌カツの味を覚えたカテリーナは、艦内食堂でもトンカツを注文するようになる。だだしここのトンカツは、ごく普通のソース味のみ。というか、今まで食べたことがなかったのか?するとカテリーナのやつ、聞けばどうやらトンカツのメニューの映像を見て、あれを食べ物だと認識していなかったらしい。
考えてみれば、あの帝国にはきつね色の衣に覆われた「揚げ物」という食べ物など存在しない。だからカテリーナは、あれは樽を洗うための道具だと思っていたらしい。つまり、タワシだと思っていたのか。
正体を知るや、それまでの無知を取り戻そうと、トンカツばかり食べる。しかしだ、納豆ご飯の時もそうだが、いくら気に入ったからと言って、同じものばかり食べて大丈夫かなぁ……
が、さすがに地球1010に着く頃には飽きたようで、別のメニューに挑戦していた。エビフライ、目玉焼き、コロッケ、フライドポテト……などなど、カテリーナが見てこれまで、食べ物に見えなかったものに手を出し始める。
フライドポテトなどは、木の枝か何かだと思っていたらしい。そう言われれば、そう見えなくもないが……そういえば帝都には、ジャガイモがないな。それどころか、イモというものが食材として存在しない。彼らにとってはフライドポテトなど、食べ物と認識されなくても当然のようだ。文化ギャップを改めて感じる逸話だ。
そんな船内での生活を過ごした後に大気圏を抜けて、8日ぶりにペリアテーノ宇宙港へと帰ってきた。
「ペリアテーノ宇宙港まで、あと40キロ」
「両舷前進、最微速。進入高度1500、対地速度150」
すでにこの艦は、帝都の郊外に差し掛かっていた。遠くにはあの円形闘技場が見える。だが、赴任してまだ一週間かそこらの地。帰ってきたという実感は、あまりない。
宇宙港に近づくと、その横に併設する街の上空を通過する。その街の建設が進んでいることが、上空からはよく分かる。区画の中央部には、大きな箱型の建物。あれはショッピングモールとなる建物だろう。そしてその近くに、20階建の幅広の建物。これは駆逐艦乗員用の高層アパートだろうか。そして一軒家もいくつか建てられているのが見える。あれは多分、佐官以上に用意された住居だな。
高層ビルも、いくつか建てられている。ここに建物全般に言えることだが、家にせよビルにせよ、まず宇宙で作られて、それを整地した地上に降ろす。その方が早く建てられる。あとは家具や家電などを持ち込めば、それで完成。3、4ヶ月もあれば、街の基本的な建物は概ねできてしまう。
ということは、駆逐艦暮らしもあと少しということになる。あと数日もすれば、僕も一軒家の一つに入れるか。そんなことを考えていると、すでにこの艦は宇宙港ドックに向かって降下し始めていた。
ガシャンという、繋留ロックが船体を固定する音が響く。機関の出力が落とされ、船内は静かになる。
それにしても、帰りは順調だった。高出力運転がほとんどなかったからとも言えるが、慣らし運転が終わり、少し馴染んできたのかもしれないな。そんなことを考えながら、部屋に戻る。
そしてベッドの上で、レティシアと向かい合っているところだ。
「おい、カズキ! そういやあ機関室のモニターで街を見たが、街になんかでかい建物が見えたぞ!」
「ああ、多分ショッピングモールか、高層アパートでも見たんじゃないのか?」
「そうなのか? てことは、この街にも、やっとショッピングモールができるんだな。いやあ楽しみだぜ、ここにも味噌カツ屋、できねえかなぁ」
いや、味噌カツ屋は無理だろう。あんなローカル食材、戦艦ノースカロライナの中にあるだけでも奇跡だ。それにここは地球042の管轄だから、彼らの食文化が優先される。宇宙広しといえども、味噌カツなんてものは基本的に、ナゴヤにしかないと思う。
にしてもだ、レティシアのやつ……ちょっと近いな。こいつバックハグは苦手なくせに、正面からのハグはむしろ大好物ときた。今もベッドの上で、僕の身体にしがみついたまま、街のことを話している。
「ところでカズキ、そういやあ港の近くに、小さな家みてえなのが見えたぜ」
「ああ、おそらくそれは、佐官以上に供給される家だな」
「てことは俺ら、あそこで暮らすのか?」
「だろうな。この艦からは、僕とオオシマ艦長くらいかな」
「へぇ、一軒家か、そっちも楽しみだなぁ」
狭い駆逐艦生活もそろそろ飽きてきた。ここでの生活は、公私の区別がつかないからなぁ。おかげでグエン准尉からは、常に監視されている気がしてならない。
「ま、あそこまでできているなら、数日以内に引っ越しになりそうかな」
「そうかそうか、あと数日かぁ」
嬉しそうに僕に抱きついたまま話すレティシア。こいつ、男勝りな性格なくせに、意外と甘えん坊だ。もしかすると、カテリーナといい勝負じゃないか?で、その日は何事もなく、レティシアとのんびり過ごす。
その翌日には、僕とレティシアは砲撃管制室へと向かう。カテリーナがシミュレーターで、砲撃訓練を受けているというので、その見学だ。
「……そうだ、引き金はこうやって構えた方が、誤射を防げる」
「はい……砲撃長殿!」
「よし、それじゃあもう一度、砲撃開始からやるぞ! 総員、配置につけ! シミュレーション、再開だ!」
「はっ!」
バタバタと席に移動する砲撃科の乗員達。カテリーナは砲撃手の席に座り、その左隣に操舵手が座る。その後方上側には砲撃長、その後ろにはバリア担当、砲撃長の左隣すぐ下には、レーダー手が座る。
「敵艦隊接近、距離33万キロ!」
「砲撃開始! 撃ちーかた始め!」
砲撃長の指示で、砲撃が開始される。装填音が、この管制室に響き渡る。シミュレーターでも、ここまで音を再現するのか?
そして、カテリーナ二等兵が引き金を引く。ガガーンという雷音のような砲撃音が鳴り響く。
「外れ! 上12、左21!」
本物相手なら百発百中のカテリーナだが、シミュレーター相手ではずれ量が大きいな。今はスコープの先の相手には殺気がないから、これは仕方がない。今は当てることよりも、砲撃の手順にカテリーナを慣らすための訓練、という位置づけのようだ。
「次弾装填完了! 撃てっ!」
訓練は続く。砲撃長の指示に合わせて、カテリーナは引き金を引く。相変わらず当たらないが、それでも随分とさまになってきたな。
時折、砲撃長が彼女にアドバイスをしている。元からそうだったのか、それとも前回の戦いで改めたのかは分からないが、カテリーナに期待を込めて熱心に指導しているのが分かる。カテリーナ自身はそれほど自己顕示欲はなさそうだから、周りのアドバイスを素直に聞いている。あの戦いが元で、かえって周りとギクシャクした関係になっていないか心配だったが、それは杞憂だったようだ。
そして見学を終えて、レティシアと昼食を摂る。それから僕は艦橋へ、レティシアは機関室で、それぞれブリーディングを行うために向かおうとした、その時だ。
『ヤブミ准将、出入り口に客人です。至急、艦底部出入り口にお越しください』
なんだろうか? いや、なんだろうも何も、またラヴェナーレ卿だろう。ここにアポ無しで来る客人など、ラヴェナーレ卿しかいない。
だが、地球042の商人との顔合わせができたはずだから、わざわざ僕のところなんて来るより、そちらに顔を出した方が貴族としては得られるものが多いだろうに……
などと考えたものの、客人ならば相手をするしかない。レティシアも予定を変更し、2人でエレベーターに乗り込んで艦底部の1階で降りる。そして出入り口を出ると、そこには馬車が見えた。
が、この馬車、変だな。屋根がついてるぞ。明らかにラヴェナーレ卿のものではない。そしてその馬車の前には、見たことのない人物が立っている。
髪は鮮やかな金色で、真っ白なテーブルクロス……じゃなくてトーガを纏い、腰には鮮やかな刺繍の施されたベルト、そして大きめの胸。そんな女性が、馬車の前に立っている。
身分の高い人物であることは、馬車を見れば分かる。それにあの服装。あれは貴族のものではないな。さらに豪華なものだ。となればこの相手は皇族、ということになる。
僕はその人物に敬礼しつつ、声を掛ける。
「僕……いや、小官は地球001、第8艦隊司令、ヤブミ准将です」
「お初にお目にかかります。私は、ダニエラ・スカルディアと申します」
その名を聞いて、ピンときた。やはり予想通り、皇族だ。このペリアテーノ帝国の皇帝の名は、マクシミヌス・スカルディア。つまり、スカルディアという姓を持つこの人が、皇族家の一員であることは明白だ。
その皇族が一体、何の用だろうか?
「その……ダニエラ様、この艦に何の御用でしょうか?」
もしかすると、ネレーロ皇子からの用事でここに来たのだろうか。僕と皇族の接点など、あのお方くらいしかない。だが、まったく予想外の言葉が、ダニエラ様より発せられる。
「私を、この船に乗せていただきたいのです!」
「へ?」
思わず、変な声が出た。
「あの……それはどういう……」
「旧態依然な帝都にいても、私は何のお役にも立てません。せいぜいどこかの貴族に嫁いで子を成すか、アポローンの神殿に入って女官を努めるのがせいぜい。ですが私は、もっと広い世界を知りたいのでございます!」
この星のこの国における女性の地位は、さほど高いとは言い難い。そもそもここは一夫多妻制だし、先日の航海で同行したネレーロ皇子やラヴェナーレ卿の侍女のような扱いが、この国における女性の扱い方なのだろう。
しかし、皇族ともなれば、幾分かマシな待遇を受けているのではないのか?それを捨ててわざわざこの艦に乗り込んでも、すぐに耐えられなくなるのではないか?
お嬢様の道楽。この時、僕はそう思っていた。もっとも、このお嬢様がそんな生易しい存在などではないことを知るのは、もう少し後のことだ。
だがそのお嬢様がその後、我が艦の3人目の「戦乙女」と呼ばれる人物になろうとは、この時はまだ夢にも思っていなかった。




