#129 窮地
「ワープ完了、レーダーに感なし。戦闘態勢、解除します。」
「了解。ダニエラも『感なし』か?」
「はい、その通りです、ヤブミ様」
「では、全艦に伝達、戦闘態勢解除。」
「了解、全艦に、戦闘態勢解除を打電します」
第8艦隊は今、中性子星域を抜けた先、連盟側の領域に入る。星域内の小ワープを、たった今、行ったところだ。
にしても、あまり敵地という実感はないな。白色矮星域の支配域拡大作戦時の方が、緊迫感があった。レーダーの効かない星間物質層があり、そこに敵が潜んでいるのが分かっているからというのもあるが、そもそも最近の連盟軍には勢いが感じられない。
今回の我々の敵地侵入も、偵察任務の一環だ。前回のように、勢力拡大が狙いではない。それも緊迫感を失わせる一因なのかもしれない。
大軍が現れたら、逃げればいい。敢えて戦闘を仕掛ける理由がない。その心構えも、緩さにつながっているのかもしれない。
ここは、中性子星から僅か500万キロのところ。数万年前に起きたであろう爆発で大半が吹き飛んだとはいえ、太陽型恒星の数倍の質量を持つこの天体にここまで接近するのは、我が艦隊としては初めてだ。
緊張状態は回避されたため、僕は部屋へと戻る。エレベーターを降りて二股に分かれた通路で左に曲がる。その曲がり角を抜けた、その時だ。
ブンッという、空を切る音が、僕の顎のあたりで響く。と、そこには、茶色い木製の刀状の物体が喉の辺りをまさに捉えている。
その木刀の延長上に、軽装のカジュアル服で身を固めたあの皇女が突っ立っている。
「なんだ、カズキ殿か」
「いや、なんだじゃないだろう。何やってるんだ?」
「いつもの訓練だ」
狭い艦内で、しかもこの宇宙時代に、剣術の訓練など不要では……とは、リーナ的には思わないらしい。小さい頃から続けていた習慣ゆえに、止められない。
「ところで、レティシアは?」
「ああ、さっき機関室に向かって行ったぞ。なんでも、ブリーフィングがあると言っていたな」
「そうか」
そういえば、地球001を出てから一度も、トラブルが起きていない。まさか本当に、トラブルが起こらなくなった?いや、まだ信用できないな。
たまにはちょっと、機関室でも覗いてみるか。そう思った僕はリーナと別れ、機関室へと向かう。
その途中、何やらツボのようなものをを抱え、御満悦な様子の士官が一人、通路を歩いているのを見かける。その人物は、僕の前に来ると、左手でツボを抱えたまま、右手で敬礼する。
「ヴァルモーテン少尉」
「はっ!」
「こんなところで、ツボを抱えて何やっている?」
「はっ!先日、ついにアンフォラボトル風の陶器を入手したのであります!」
「ああ……そういえば、古代ローマ時代風のツボがどうとか言っていたな」
「見て下さい、このくすんだ茶色の表層。今の時代にはない素朴感がたまらないのですよ。なんでも、この陶器には……」
またウンチクが始まったぞ。もういいから、僕は急いでいるんだが。
で、そこで10分以上も付き合わされたのちに、ようやく機関室へと辿り着く。
「んだけどよ、その女のことが気になってるんだろう?」
「はい、そうです。でも私は異星の者ですし……」
「関係ねえよ。それよりも、おめえの気持ち次第だろ。いざとなりゃあ、地球001に連れ去るくれえの覚悟で迫ってやれ!」
なんの話をしているんだ?ブリーフィングじゃないのか?どう聞いてもこれは、恋愛相談だろうな。
その士官とレティシアが、僕に気づく。士官は立ち上がり、僕に敬礼する。
「失礼いたしました!レティシア殿に、その、相談に乗ってもらってまして……」
「いや、別に構わないが。レティシアでいいのか?」
「はっ!レティシア殿はすでに24組のカップルを誕生させているお方です。とても頼りにしております」
何だそりゃ。そんなにすごいのか、レティシアは?よく相談されるとは聞いていたが、もはや恋愛相談所じゃないか。
そこで気づいたのだが、この士官、機関科ではないな。どうやら別の科の乗員が、わざわざ恋愛相談のために、レティシアの下にやってきたらしい。
「……知らなかった、お前に、そんな顔があったとはな」
「別に俺は、恋愛をサポートしてるわけじゃねえぜ。ただよ、告白しようかどうしようか、悩んでるくれえなら、振られる覚悟で告っちまえと言って回ってるだけだ」
なるほど、レティシアらしい。手当たり次第にそんなアドバイスすれば、そりゃあそのうちの何組かのカップルが成立するわけだ。
それにしても、この艦内には、そんなにたくさんのカップルができていたのか……この間の艦艇改修の際に、地球001で補充乗員を募集したところ、我が艦隊への志願者が激増したが、そういう背景があったのだろうな。
リーナにヴァルモーテン少尉、そしてレティシア、立て続けにいつもとは違う裏の顔を見せられ、そのまま艦橋に戻る。司令官席に座っていると、ダニエラが現れた。
「ふん、ふふ〜ん……」
えらく機嫌がいいな。何か、いいことでもあったのか?ニッコニコの笑顔を振りまきながら、タナベ大尉のすぐ横に座ると、いつものように鏡を取り出して、目を移す。
機嫌が悪いよりも、良い方がいいに決まっている。だが、あまりにも緊張感がなさすぎるな。ここは戦闘艦の中枢部であり、艦隊司令部も兼任する場所。そんなところで元皇女が鏡を見つめながら微笑むなど、およそ艦隊中枢部としての威厳が……
などという想いが通じたのか、ダニエラの顔がみるみる険しくなる。うん、まあそれくらいがちょうどいいかな?と思った瞬間、ダニエラが叫ぶ。
「しょ、正面!大艦隊です!おそらくは、千隻以上!」
ダニエラの叫びは、艦橋内にいる20数名の乗員の表情を一変させる。すぐに、タナベ大尉が指向性レーダーで探知を始める。
「指向性レーダー照射!艦影は……まったく映りません。レーダーに感なし」
「なんだと!?まったくか!」
「はい、まったくです」
盛り上がった緊張感が、一気に冷める。指向性レーダーを用いても映らないということは、「ニンジャ」で隠れている恐れもない。
「考えてみれば、ここは高重力場ですから、『ニンジャ』の使用は困難なはず。こんな場所で慣性航行などしようものなら、中性子星に引っ張り込まれることになり、自らが危うくなる。しかもここは、連盟側の領域。そこまでのリスクを取る理由がありません」
ジラティワット少佐が、さらに「ニンジャ」の可能性を否定する意見を述べる。
「いえ!これだけ強い反応を、私は見間違えたりなどしません!」
だが、ダニエラは不満らしい。しかしだ、これまでダニエラが何かを捉えて、何もいなかったなどということは一度もない。10隻の艦隊すらも逃さないダニエラの「神の目」が、誤認することなどあるのだろうか。
とするとダニエラの目は一体、何を捉えているのだ?
と、ジラティワット少佐やダニエラの意見をじっと聞いていたもう一人の幕僚が、突如「あっ!」と声をあげる。
「少佐殿!ここは高重力場なのですよね!?」
「中性子星から500万キロほどのところだ、かなりの高重力場であることは……」
そう言いかけたジラティワット少佐も、急に何かを思いつく。
「しまった!重力場補正だ!」
ジラティワット少佐のこの叫び声に、タナベ大尉の顔色まで変わる。モニターに向かって、何かを設定し始める。
そうだ、僕もすっかり忘れていた。これだけ中性子星に近いこの場所では、相当な重力が発生している。
そう、そして高重力場は、電波をも曲げる。
「重力場補正、完了!レーダー、再起動!」
「全艦に伝達!直ちに、重力場補正を実施!索敵を厳にせよ!」
「れ、レーダーに感!艦影多数、およそ3千!距離、43万キロから50万キロ!囲まれてます!」
「光学観測、艦色視認、赤褐色!連盟艦隊です!」
なんてことだ。やはり重力でレーダー波が歪んでいたんだ。これほどまでに敵が接近しているというのに、呑気に僕らは悠々と、通常航行を続けていた。
「敵艦隊は、すでに我々の三方を取り囲んでおります!」
「なんだと……それじゃあ、空いている一方に逃げるしか……」
「ダメです!空いている方向には、あれがあります!」
タナベ大尉が、モニターを指差す。そこに映るのは、ジェットを放つ暗赤色の天体がある。そう、中性子星だ。
前、側面からは6倍の敵、後方には中性子星。敵に突っ込むか、大質量の星に突っ込むか、どちらかしか、選択肢はない。僕は、決断を迫られる。
「やむを得ない……敵艦隊右翼に突入し、一点突破を図るしか……」
「提督!戦術幕僚、意見具申!」
僕が指令を与えようとしたまさにその時、茶色のツボを抱えたあの新人参謀が口を開く。
「なんだ、何か作戦があるのか?」
「はっ!近接戦闘による、一点突破作戦を、具申致します!」
ヴァルモーテン少尉から提案されたのは、彼女が構想し、実戦配備されたばかりの、あの近接戦闘を使おうという作戦だった。




