#127 新生活
「はぁ……疲れた……」
いきなり社交界に連れ込まれて、ようやく家に着く。3か月ぶりにたどり着いた我が家。これまで、広いながらも遠慮があったホテルの部屋から見れば、気兼ねなく寝そべることができるこの家のソファーの上で、両手を伸ばしてくつろぐ僕。
「ここが、カズキ殿とレティシアの家なのか?」
「そうだぜ、ちょっと狭いけどよ、いいところだろう」
「うむ……だが、何かが足りないような気がするのだが……」
リーナが腕を組みつつ、不満げな表情で神経質そうに見回している。ここは宮殿ではないのだから、足りない者だらけなのは当然だろう……と、目線をリーナに移した途端、僕はその「足りないもの」に気づく。
「そうだ!」
「な、なんだ、カズキ!?いきなり叫びやがって、どうした!?」
「食材だ。そういえば、冷蔵庫の中はすっからかんだぞ」
「あ……」
そうだった。3か月も家を留守にしていたから、食べるものがない。買い出しに行かねば、明日の朝の朝食にすら困る。
「しゃあねえな、そうと決まれば、ショッピングモールに向かうぜ」
「そうだな……それじゃあ行くか!」
「おい、待て!ショッピングモールとはなんだ!?」
ああ、そういえばリーナは地球001にいる間、ショッピングモールへは行かなかったな。商店街とデパートへは行っているから、僕はそれと似たようなものだと答えておいた。
真っ昼間から社交界に出向き、すっかり夕方になってしまったが、僕は無人タクシーを呼び寄せて、ショッピングモールへと急ぐ。日が暮れる前に、必要なものを買わないと。
「……よく考えてみれば、ベッドに歯ブラシや食器、それにタオルなど、生活雑貨も買わなきゃならないじゃないか」
「なんでぇ、ベッドならでかいのが一つ、あるじゃねえか」
「おいレティシア、まさかあれで、3人で寝るというのか?」
「ホテルだってずっとそうしてきたじゃねえか。今さら、どうってこたあねえよ」
いや、問題ならある。リーナは寝相が悪い。真夜中に、僕はよく顔を殴られて……いや、そんなことはどうでもいい。何よりも、食料の調達が最優先だ。他はまだ、どうにかなる。何はなくともまずは、食料だ。
ということで、ショッピングモールにたどり着く。それを見上げたリーナが一言、こう呟く。
「うむ……まるで、修理用ドックのようなところだな」
ああ、そう見えなくもないな。ただ、普通はショッピングモールを初めて見た人は「まるで宮殿のようなところだ」などと感動するものだが、初見でこれほど冷めた反応も珍しい。
「ここでいろいろな品を揃えるんだ。今日はもう遅いから、食料を中心に買うぞ」
「なんだと!?食べ物が売ってるのか、ここは!?」
リーナよ、さっきから食料調達だと言っているのに、ここをなんだと思っていたんだ?
外観が殺風景なこの建物に入る。入口すぐには、4階まで見渡せる大きな吹き抜けとなっている。その吹き抜けには、大きな照明がぶら下がっており、外観からは想像もできないような鮮麗なその内側に、リーナは再び声をあげる。
「ここは……礼拝堂か!?」
面白い感性を持っているな、リーナは。たまたま吹き抜けの下にはイベント用の椅子が並べられており、確かにそう見えなくもない。しかし、ここはそれほど神々しい場所ではない。
「いいから行くぞ。用事があるのは、この奥だ」
地球001でさえ見たことのない風景に、興味津々なリーナ。レティシアが通路沿いの店を一つ一つ、解説する。
「んでよ、ここで俺はこの店が気に入っててよ。で、その横にあるのが……」
「なんだと?そんなものまで売っているのか、ここは」
そういえば、レティシアは一人っ子だったよな。まるで妹でもできたかのように、嬉しそうにリーナにお気に入りの店舗を見つけては紹介する。
「要するにここは、市場なのか?」
「まあな。屋根付きの大きな市場みてえなもんだ。で、あそこに味噌カツの店がある」
「なに!?味噌カツの店だと!?」
リーナの目が輝く。ナゴヤ飯が食べられると聞いて、黙ってはいられないようだ。
だが、今日行われたあの社交界の影響か、あのとんかつ屋は閉まっていた。がっくりと肩を落とすリーナだったが、お前さっき、あれだけ食べただろう?
で、仕方なく奥に進む。が、食料品売り場を目にすると、途端に目の色を輝かせる。
「おい、あれは食べ物じゃないのか!?」
ちょっと待てよ……このままリーナ共々、あそこに突入したらえらいことになるのでは……危険を察した僕は、リーナに忠告する。
「おい、先に言っておくが、会計が終わるまで、食べるんじゃないぞ!」
「なんだと!?私がそれほど浅ましい女に見えるのか!」
浅ましい女に見えるから言っている。油断してると、そこら辺の食い物に手を出しかねない勢いがある。というか、こいつ、最近すこぶる知性が落ちていないか?心配になってきた。
カートを押して、食料品売り場へと入る。すると、いきなりカゴの中にポンポンと何かが詰め込まれていく。
「おいリーナ、このペースでは、入り口付近でカートがいっぱいになるぞ!もうちょっとセーブできないのか?」
「いや、すまんすまん。あ、これも美味そうだな」
注意したそばから、目についたものを放り込んでいる。まだ野菜コーナーしか回っていないというのに、すでにカゴいっぱいだ。
仕方がないから、もう一つ、カートを持ってくる。今度は、肉を詰め込み始めたぞ。相変わらずのハイペースだ。
「おい、リーナ待て。あまりいっぺんに買っても、冷蔵庫に入りきらないぞ」
「そうなのか!?とはいえ、これだけの食材に囲まれて、選べというのも……」
こいつは、好き嫌いがない。つまり、なんでも食べる。しかも量が多い。以前は嫌いだった納豆も、一度食べたら納豆好きになってしまったくらいだ。だから、食材を選ぶということ自体が不可能だ。
「しょうがねえな、それじゃ、俺が選んでやらあ」
こういうとき、レティシアは頼りになる。リーナを差し置いて、食材選びをかって出た。
「おりゃ!」
……のはいいが、おい、レティシア。お前、どんだけレトルト食品を詰め込んでいるんだ?鷲掴みでカゴに放り込むのだが、怪力魔女の鷲掴みだ。たったひと掴みでも、大量に釣り上げる。こんなところで怪力魔女の能力を、いかんなく発揮する。が、こんなところで発揮してもらっても困るんだが。
「おい、レティシア!もう2つ目のカートがいっぱいだぞ!?」
「はぁ?3人いるんだから、もう一つ持ってくりゃいいだろう」
というレティシアの命令で、僕はまたカートを追加する。で、3人3台のカートで、レジに突入する。
だが、レティシアよ。これだけ大量の食材、どうやって持って帰るつもりなんだ?
……という心配だけは、我々には必要ない。
「じゃあ、帰るぜカズキ!」
カート3台分の荷物を、片手で抱える怪力魔女。地に足をつけてる限り、こいつの破壊的パワーに敵う奴はいない。
「いや、やはり便利であるな、レティシアは。」
「あったりめえだ!空をボウフラのように漂うだけの一等魔女とは、わけが違うんだよ!」
すっかり暗くなった宇宙港の街を、大量の荷物を片手で抱える魔女と共に家路に向かう3人。
「そういえば、あっちの街には行っていないな」
街灯で明るく照らされた宇宙港の街の向こう側、まだ暗闇が支配する壁の向こうにある街を眺めて、リーナが呟く。
「あそこは、ちょうど平民街のある辺りだな」
「そうか。平民街か」
「そういえば、ヘルクシンキにも平民街はあったのだろう?」
「ああ、ある」
「どんなところなんだ?」
「そうだな……石造の低い家屋がひしめいており、日が登ると多くの者は家から出て、それぞれの仕事を始めるな」
「仕事って……どんな仕事があるんだ?」
「ヘルクシンキは首都だからな。ほとんどが職人だ。城壁近くには、農民もいるにはいるが、職人以外は農場にほど近い村に住むのが普通だ」
「そうか……リーナは詳しいんだな」
「それはそうだ。私は朝になると、平民街に出向いて、毎朝そこで兵士らと訓練をしておった」
「えっ!?平民街で訓練!?」
「多くが徴兵による兵士だからな。平民街に住む兵士の方が多い。それゆえ、私も毎日出向いておった。訓練で汗を流した後には、兵士らと共に公衆浴場に行って語らっていたものだ」
「はぁ!?公衆浴場!?おい、兵士って……男ばかりじゃないのか?」
「それはそうだ。私以外は皆、男であった」
「ええーっ!男の兵士らと、公衆浴場に?」
「なんだ、何かおかしなことを言っているか?」
そういえば、ペリアテーノも公衆浴場は混浴が基本だ。まさか、小銃すら持っている文化レベルの街でも、公衆浴場は混浴が当たり前なのか?
「おめえ、よく男と一緒に風呂に入るなぁ」
「何を言っている。風呂など、男女で一緒なのが当然であろう」
「いや、その常識はおかしいぜ」
「何を言っている!そなたも私も、カズキ殿と一緒に風呂に入っておるではないか!」
「夫婦以外の男女が一緒に入るのが、おかしいって言ってんだよ!」
公衆の面前、あまり大きな声で、そんな際どい話をしないでほしいなぁ。日が暮れたと言っても、周りにはまだ大勢の人が街を巡っている。わざわざその人々の注目を浴びるような言動をしなくてもいいだろうに。
馬鹿でかい荷物を抱えたレティシアと、声の大きなリーナが、風呂の話で罵り合っているおかげで、道ゆく人の注目を集めながら家路に向かう。
ようやく、家にたどり着く。幸いなことに、近所のポルツァーノ大佐には出会わなかった。あの勘のいい、面倒臭い司令部付きの軍人には今、出会いたくない。
で、大量の食材で夕食を作る。だいたい2人前は食べるリーナに、レティシアが鷲掴みしてきたレトルト食品が投入される。冷蔵庫はすでに、パンパンだ。
「あのショッピングモール、私は気に入ったぞ!また明日も行こうぞ!」
「おお?気に入っちまったか。それじゃ、明日こそは味噌カツ屋に行くぜ」
「ところで、カズキ殿のおすすめの店というのはないのか!?」
「あるにはあるが……いや、ちょっとリーナ、近すぎるぞ……」
「おい、何を照れているのだ?」
3人で和気藹々とショッピングモールの話をしているが……ここは、風呂場だ。身体を洗いながら、リーナが僕の隣でその姿をあらわにしている。
いや、まあ、見慣れたといえば見慣れたのだが……しかし、リーナはどちらかというと、胸が大きめだ。日頃鍛えているだけあって、腹筋も割れている。怪力魔女ではあるが、筋肉をさほど使っていないレティシアが、つるっと見えるくらいだ。
で、寝床に着く。今日は帰還早々、社交界にショッピングモールと刺激の多い1日だった。ベッドに入るや、リーナはすぐに寝てしまう。
「おい、カズキ」
「なんだ?」
「なんだじゃねえよ。リーナも寝ちまってるしよ……」
と、レティシアが小声で話しかけてくる。そして、おもむろに僕をぎゅっと抱きしめる。僕は、レティシアのその仕草に応え、すっと腰の方に手を回す。
仰向けで、うっとりとした顔で僕を見つめるレティシア。僕は、その上に被さるように顔を寄せる。お互い、黙ったまましばらく見つめ合う。うん、いい雰囲気になってきたな……と思ったその時だ。
僕はいきなり、後頭部を何かではたかれる。その衝撃で、レティシアの上にのしかかってしまう。
「な、なんだ!?」
振り返ると、それはリーナの腕だった。クカーと大胆な寝息を立てながら、両手を投げ出すように広げるあの皇女の姿がそこにあった。
「……やっぱり、大きいベッド、買うか」
「そうだな」
寝顔は可愛いリーナだが、にしても寝相が悪い。明日は、せめて3人が眠れるくらいの大きなベッドを買おう。そう胸に誓うレティシアと僕だった。




