#126 様変わり
「ここが、ペリアテーノか……」
窓から地上を見下ろすリーナが第一声で、驚きの声をあげる。真下には、ビル群が見えている。そしてその向こうには、石造の建物が整然と並び、その向こうにはペリアテーノの象徴である、円形闘技場が見える。
リーナの視線の先は、ビル群というよりは、その向こうにある円形闘技場に向けられている。確かに、ビル群よりも目立つな建物だ。リーナから見ても古風で、それでいて堂々としたその石造の建造物は、地球001で見慣れたビル群よりもずっとインパクトがある。目が行くのは、当然か。
気づけば、かれこれ3か月ぶりの帰還となる。いや、僕らにとっては本来、地球001に帰る方を「帰還」と呼ぶべきなのだが、借家ながらもこっちには生活の拠点があり、むしろ今はここに戻ってくることの方が「帰還」に相応しい。
にしても、我が第8艦隊はこの1年余りのうちに、地球1010に地球001、そして地球1019の3箇所を行き来している。これほど忙しい艦隊は、他にないだろう。
「確かここは、古代ローマ帝国に似た文化を持つ国とは聞いておりましたが、あの円形の闘技場に、石造りの建物、街の間にかけられた水道橋。まさしくローマ帝国を感じさせる建造物が多いですね。なお、神聖ローマ帝国の主体は我がドイツにあって……」
またヴァルモーテン少尉のウンチクが始まった。この少尉は多分、豊富な知識貯蔵に裏打ちされた演繹的思考の人物なのだろう。だんだんと、この士官のことが分かってきた気がする。
そして、異銀河人のリーナを含む、変わり者の面々を乗せたこの船は、ペリアテーノの宇宙港に接舷する。ガシーンというロックオンと共に、ドックに船体が固定される。
「ギア接地よし!前後ロックよし!船体固定よし!」
「よし、機関停止!」
機関が停止し、艦内が静かになる。直後、艦内放送がかかり、オオシマ艦長が0001号艦の着陸を伝える。
その艦内放送が終わらないうちに、レティシアが現れる。
「おい、カズキ、行こうぜ!」
機関が停止すれば、こいつはただの主婦となる。で、いつもの軽い口調で僕のところにやってきて、一緒に艦を降りる。
が、今回はリーナも一緒だ。リーナにとっては、初めて訪れる星。しかも、地球001とはかなり異なる星だ。
で、艦を降りると、なにやら黒塗りの車が向こうから颯爽と近づいてくる。なんだあの怪しげな車は?
それは、この艦の出入り口前で停まる。ドアが開き、一人の人物が現れる。
「ヤブミ卿!お久しぶりでございますな!」
その車から現れたのは、なんとラヴェナーレ卿だった。背広姿で、しかも大型のリムジンで乗り込んできたこの帝国貴族は、かつて馬車で乗り込んできたあのころと同じように僕を出迎える。
しかし、もうあの時から1年以上経っているんだな……その時のラヴェナーレ卿の姿を思い出して隔世の感を覚えつつも、僕は応える。
「ラヴェナーレ卿、お久しぶりです。ところで今日は、どのようなご用件で?」
「なんでも、遠く離れた銀河から皇女様をお連れしたと聞きましたので、そのお祝いと思いまして」
「は?いや、ラヴェナーレ卿、どこからそんな話を……」
「すでに宮殿では、お祝いの社交界の準備が整っております。さ、こちらへ」
と、僕らをその黒塗りのリムジンに手招きするラヴェナーレ卿。この人、なんと鋭い嗅覚を持っているのだろうか。その非常識すぎる感性に、僕は舌を巻く。これも賜物の一つではないのか?
「いやあ、あなた様がリーナ皇女様ですか」
「あ、ああ、そうだが」
「ダニエラ様とは違い、文武両道に優れたお方だと聞いております。我が帝国としても、そのような武勇に優れた姫君をお迎えできること、とても光栄に思いますぞ」
「は、はぁ……」
ラヴェナーレ卿は、とにかくバイタリティーあふれる人物だ。僕でも押し切られそうになる。
「おう、そういえばこのペリアテーノにも、ビル群ができてたな」
「そうなのですよ。なんでも、あのビルの一つをネレーロ様が所有されているとかで、この帝都でも賛美する声が後を絶たないのでございます」
えっ?あのビルの一つが、ネレーロ第3皇子のもの?いつの間に、そんなに稼いでいるんだ、あの皇子は。マルツィオ殿下に命狙われたあの時から随分と経つが、その商才をいかんなく発揮している、ということか。皇子やめて、正解だったかもしれない。
リムジンは宇宙港を抜けて、そのまま平民街を突っ走る。大通りにはアスファルトが敷かれ、宇宙港と貴族街とを結ぶ道がいつの間にか作られていた。この3か月のうちに、ペリアテーノも随分と様変わりしたものだ。
「ところでヤブミ卿」
「はい、なんでしょう?」
「そちらのリーナ皇女様を、第2夫人に迎えられたという話は本当ですか?」
……どうしてこの人は、僕のプライベートな部分まで知っているのだろうか?気味が悪いな。僕は尋ねる。
「あの……その話をどこで?」
「地球042の軍司令部付きの、ポルツァーノ大佐殿から伺ったのですよ」
ああ、あの男か。そんなゴシップネタまで、やつの範疇なのか。にしても、どこからそんな情報を入手してくるんだ?相変わらず、不気味な男だ。
「ところで、ラヴェナーレ卿」
と、リーナが口を開く。
「はい、何でございましょう?」
「このペリアテーノというところは、何ゆえ城壁で街を囲まず、あのように街の真ん中にのみ高い壁で囲んだ場所を設けておるのか?あれでは魔物が攻め込んできた際に、多くの民を守れぬではないか?」
「えっ!?魔物!?」
リーナは円形闘技場を、魔物から人々を守るための城壁と見たようだ。が、まったく逆で、あそこでは戦闘奴隷らが命のやりとりをする場所なのだが。実際、あの場でカテリーナは死にかけた。
「ええと、我らペリアテーノは、蛮族らの侵攻を壁ではなく、河などの要害や周辺の都市との連携によって防いできたのでございます。実際、内乱を除いて、これまでペリアテーノの内側にまで達した軍隊はおりませぬ」
「うむ、左様であったか。城壁など不要なほど、堅固な都市なのであろうな」
ラヴェナーレ卿は、リーナの言う「魔物」を「蛮族」と解釈して乗り切った。しかし、まさかこの皇女様のいた星には、こっちでは想像上に過ぎない異形の生物が跋扈していたなど、ラヴェナーレ卿は知るよしもない。
そうこうしているうちに、このリムジンは宮殿へと辿り着く。ドアが開き、宮殿前に降りると、その様変わりように驚く。
「あ、あれ!?ここ……宮殿だよな……?」
大雑把なレティシアですら驚くほど、見る影もなく変化していた。確か、白い円柱が何本も整然と立ち並び、その上に屋根が乗っていたような……いや、それは確かにそのままだが、その柱に間には巨大なガラス板がはめられ、屋根の上には電光掲示板がいくつも並んでいる。
そこには胸の大きな女の人がにこやかに手を振る映像とともに、統一語で「ようこそペリアテーノへ」などと書かれている。これじゃ宮殿ではなくて、新手の観光用施設のようだ。
「宮殿も見違えるほど変わったでしょう。さ、こちらへ」
権威や風格、歴史の重みをあっさりとかなぐり捨ててしまったその宮殿に、僕とレティシア、そしてリーナは足を踏み入れる。
中はエアコンが効いており、非常に快適だ。それぞれの柱にはモニターが取り付けられており、立体画像で何かを流している。その中の一際大きなモニターに、あのマルツィオ殿下の姿があった。
それは、儀式のようだ。両脇にずらりと並んだ貴族らの間を、神官らしき人物が歩いている。その向こうの壇上に立つマルツィオ殿下の前に辿り着くと、マルツィオ殿下は頭を下げる。するとその神官は、その頭上に冠のようなものを乗せる。
そして、別の人物が神官に、やたらと宝石がつけられた短剣のようなものを手渡すと、それをマルツィオ殿下の前に差し出す。そして、それを受け取った殿下は、その右腕を挙げる。周りの貴族らが、一斉に歓声をあげる。
それを見たリーナが、こう呟く。
「あれは……戴冠式ではないのか?」
リーナにもそう映ったようだ。僕も、あれは戴冠式にしか見えなかった。
皇太子が、戴冠式で冠をいただく……その映像から得られる事実は、ただ一つだ。
「ええ、戴冠式です。前皇帝が体調を崩されたため、元老院にて評決が行われた結果、マルツィオ陛下は2か月ほど前に即位されたのですよ」
つまり、あの実弟を殺害しようとしたあの皇太子が、ついに皇帝となったわけだ。なんということか。
「……ということは、まさかこの社交界に陛下はいらっしゃるのですか?」
「当然でしょう。これからは、宇宙の時代。その宇宙の最果てからわざわざ我がペリアテーノ帝国にいらした姫君を、陛下自ら歓迎するのは必定。さ、こちらですよ」
ラヴェナーレ卿という方は、とんでもなくハードルの高いことを軽々しく押し付けてくる傾向がある気がする。ついたばかりで、この国の事情も知らないリーナを、あの暗殺未遂の陛下に会わせようとしている。どういう感覚をしているんだ、この貴族は。
そして、そのガラス張りの宮殿の奥へと進む。なお、リーナの格好はというと、衛兵の礼服姿で、まるで女騎士そのまんまの格好をしている。
で、一方のレティシアはといえば、カクテルドレスとでも言えばいいだろうか。そして僕は、軍令服で身を包む。
社交界の会場に着くと、この3人の姿はその異様さをもって浮き上がる羽目となる。が、それは、周りがいわゆる古代ローマ風の姿をしているからではない。
ほぼ全ての貴族が、背広姿だ。皆、シャンパングラスを片手に我々を出迎える。我々が会場に入るや、歓声が上がる。
で、その奥の壇上には、どこかで見たような人物が見える。その人物は背広ではなく、どちらかといえばタキシード姿だ。それも、繊細な刺繍の施された、派手な衣装だ。
間違いなくその人物は、マルツィオ陛下だ。新たなる皇帝は、今どきとも古風とも言えない微妙なその姿で、一段高いところから我々を見下ろしている。
僕はレティシアとリーナを引き連れて、マルツィオ陛下の立つ壇の下へと向かう。そして、陛下の前で敬礼する。
「おお、ヤブミ准将殿。久しぶりであるな」
「はっ、陛下におかれましては、ごきげん麗しく……」
「細かい話はなしだ。で、貴殿の連れてきた皇女とはどちらか?」
「はっ、こちらにいます。こちらが、リーナでございます」
と、僕はリーナを陛下に紹介する。するとリーナはひざまづき、頭を下げてマルツィオ陛下に臣従の礼を見せる。
「陛下、お初にお目にかかります。私は彼の地より遠く、宇宙の果てにあるフィルディランド皇国より参りました、リーナ・グロティウス・フィルディランドと申します。陛下におかれましては、誠にご機嫌麗しく、我が身にもその威光に包まれ、恐悦至極に存じます」
「なかなか、礼儀の正しい姫君であるな。さすがは、深遠の果ての皇国より参られただけのことはある」
うーん、これはつまり、レティシアよりも礼儀作法が優れていると言いたいのだろうか?レティシアに礼儀とか、似合わないからな。
が、その直後、僕は目を疑う光景を目にする。
陛下のすぐ横にいる背広姿の、やや長い口髭が特徴的なその人物。僕はその人物の顔を、よく知っている。
そう、第3皇子で、まさに今、皇帝として君臨することとなったあの人物に暗殺されそうになったお方。ネレーロ皇子だ。
そんな人物が、自身を殺害しようとした人物のすぐ傍にて、ワイングラス片手に平然と立っている。まさかそんな人物がこの会場にいるなどと、想像すらしなかった。
が、驚くのは、それだけではない。
「おい、ダニエラよ!」
どこかで聞いたような人物の名前が飛び出す。陛下の目線のその先を、僕は見た。
そこにいたのは、淡い黄色のカクテルドレスに身を包んだ、あの人物。この皇族を勘当されて、宮殿を出入り禁止にされていたはずの人物だ。
「はい、陛下」
「そなたは、そのフィルディランド皇国へ出向いたのであろう。どのような国であったか?」
「はい。彼の国は鉄の鎧、火薬、そして銃器を既に作り出しており、その力を持って魔物と呼ばれる異形の生き物らと互角に渡り合えるだけの国にございました。およそ数百年は、我がペリアテーノを凌ぐ国家と感じました」
「うむ、相変わらず、我が帝国に遠慮がないのう」
「恐れながら」
「だが、そなたの忖度のない言葉のおかげで、リーナ殿の国のことが手にとるように分かるというものだ。さて、ヤブミ准将、リーナ殿、レティシア殿よ。かような国から我がペリアテーノ帝国に参られたこと、歓迎申し上げたい」
なんだかよく分からない、難解な会話が繰り広げられた後に、僕らはグラスを渡されて、そこにシャンパンを注がれる。そして会場で一斉に、乾杯が始まる。
「では皆の者、我がペリアテーノ帝国と、かの3人の来訪を祝して、乾杯!」
「乾杯!」
グラスを一斉に掲げて、そして一斉にそれを飲み干す。僕も遅れをとるまいと、それを一気に飲み干した。喉越しの良さ、淡い炭酸に、上品な香り。かなり上物のシャンパンであることが分かる。
にしてもだ、殺害未遂だった第3皇子に、勘当されたダニエラが、どうしてこの場に呼ばれたのか?いや、ダニエラよ。お前、いつの間にこの会場にやってきたのだ?
が、そんな疑問よりも、僕はその目前に、トラブルを抱えてしまう。
「ふえ?カズキよ、おめえ、どこにいるんだぁ……」
しまった。レティシアめ、シャンパンを一気飲みしたな。こいつのアルコール分解能力の低さは、あの程度のシャンパン一杯でも深刻なまでの酔いをもたらす。
「おい、レティシア、そなた大丈夫なのか!?」
「おう、リーナか……まあ、大丈夫だぜ。多分」
全然大丈夫じゃない。もはやフラフラだ。僕はレティシアに酔い覚ましを渡す。
「おいレティシア。早くこれを飲め」
「なんだカズキ、おめえ、まさか俺が酔っていると思ってるんじゃねえだろうな!?」
「十分酔ってるだろう。いいから飲め」
へらへらと笑うレティシアに、僕はどうにか酔い覚ましを飲ませる。が、すぐに効くわけではない。天を仰ぎながら、ニヤニヤと品のない笑顔を振りまいている。
ああ、しまったな……ダニエラが駆け寄り、レティシアの肩を叩きながら確認している。リーナも心配そうに見るが、そこに大物が現れたため、その相手をせざるを得ない。
「にしてもヤブミ准将殿。かような姫君を、よく二人目の妻として娶れたものだな」
「は、はぁ……」
「で、リーナ殿よ、そなたはヤブミ准将殿と、どのような夜を過ごしたのであるかな?」
「は、はぁ……」
この陛下って、こんなに下品なやつだったのか?それとも、酔った勢いで妙なことを尋ねているのか?困惑するリーナ殿に、助け舟をだす人物が現れる。
「時にリーナ殿よ。そなたは軍を率いる、戦う皇女であったと聞いたが、それは真か?」
「はい、殿下。私は300人からなる第8軍を率い、魔物らを人の世界より排除すべく戦い……」
ネレーロ皇子が、うまくマルツィオ陛下の際どい質問をはぐらかした。割り込まれて、ややムッとする陛下だったが、リーナの武勇伝にも興味があるようで、すぐにそれに聞き入る。
「……で、どうだ、ダニエラ」
「はい、落ち着いてはいますが、使い物にならないですね」
ベンチで横になり、寝息を立てて眠るレティシア。まったく、酒に弱いんだから、一気に飲むのをやめておけばよかったのに。
寝息を立てて眠るレティシアの様子を見ていたかったが、僕とリーナが事実上、この社交界の主役である以上、レティシアの方ばかりも見ていられない。
「帰ってきて早々、大変だねぇ、大将も」
と、僕を労うのは、会場の端で味噌カツを作るあの店主だ。そうか、この店主も、社交界に来ていたのか。
「久しぶりだな。ところで、ロレッタさんはどうしたんだ?」
「あそこにいますぜ、ほら」
と、店主が指さす方を見る。カツの入った皿を片手に、それを貴族らに振舞うロレッタさん。相変わらず、この社交界は手慣れたものだ。
味噌カツ屋の店主も、ロレッタさんもあまり変わらないが、その周りはあまりにも変化している。特に、ネレーロ皇子とダニエラの扱いの変化に、僕は大いに戸惑う。
たった3か月。僕がこの星を離れている間に、急激な変化がもたらされていた。それは多分、この宇宙でも最も古代文明なこの星が、宇宙の標準に追いつくべくして選んだ変化だろう。
だからこそ、かつて排除しようとした相手とも、手を結ばざるを得ない。新たに皇帝となったマルツィオ陛下の必死さが、痛いほど分かる。が、節操なさすぎる。
「何をボーッとしてるんで、大将?」
「いや……ちょっと目を離しているうちに、予想以上にこの国の様子が変わっていて、戸惑っているだけだ。」
「なるほどねぇ、そりゃあ、直にその変化を見てきた俺でさえ、その変わりっぷりに驚いているくらいですからねぇ。ま、この味噌カツの味は、変わってねえですぜ。どうです?」
と、店主から一皿のカツを受け取る。ほんのりと、甘い味噌の香りが僕の鼻を突く。それを受け取った僕は、割り箸でそれを口に運ぶ。
「おい、カズキ殿!それは味噌カツではないか!」
「……リーナか。店主に頼めば、いっぱい作ってくれるぞ。」
「本当か!ならば、頂こう!今あるありったけのカツを!」
「へ?ありったけ?」
「おい、待てリーナ!他の貴族の方々もいるんだ。少しは遠慮しておけ。」
まったく、こいつ、食欲だけは抑えられないらしい。そんなリーナを見て、店主がボソッと僕に尋ねてくる。
「ところで大将、もしかしてこの方が、大将の2人目の奥さんで?」
「おい、店主。その話、どこで聞いた?」
「どこも何も、俺らの間じゃすっかり有名ですぜ。銀河の向こうで、新しい奥さんをもらってきたって」
「はぁ!?」
どうしてそんな話が、すでに広まっているんだ。いくらなんでも、プライバシーなさすぎじゃないのか?と、そんな際どい話をしている間にも、リーナはひたすら味噌カツを食う。別に味噌カツではなく、豚の丸焼きでもあろうものなら、丸ごと食ってしまいそうだ。
が、そういえば豚の丸焼きは見当たらないな。ああいう古風な料理は、すっかり鳴りを潜めてしまったらしい。そのためここには、我々にとってごく普通の食べ物しか……
いや、なんか変だぞ?味噌カツ屋の店主のその隣には、よく見るとラーメンが出されている。
が、普通のラーメンではない。あの赤色のスープ。間違いない、あれは紛れもなくタイワンラーメンだ。
「わしはアメリカンで」
「へい、アメリカン一丁!」
ある貴族が、馴染みの口上で注文している。おい、いつの間にここまで、タイワンラーメンが進出していたんだ?
だが、それだけではない。その横には鉄板スパ、エビフライ、手羽先、ういろう、小倉トースト……ちょっと待て。なぜ、モーニングの定番までここにあるのか?
そして、極め付けは、あれだ。
小さなお椀に分けられた3つの丼もの。その上には、焦げ茶色のアレが乗せられている。
お櫃ではなく、最初から分けられてはいるが、間違いなくあれは「ひつまぶし」だ。
最初の3杯を、予め用意された椀で頂き、4杯目は注文によってその食べ方を選ぶという、どうやらそういう方式をとっているらしい。
あの独特の作法は、彼ら貴族にとっては煩わしい。が、それを彼ら向けにアレンジして提供している。
「おい、カズキ殿!ひつまぶしがあるぞ!」
早速、それを嗅ぎつけたリーナが、2杯目に手を出している。この皇女、こういうことは、実にめざとい。
「あら、こんなところにきしめんが!」
と叫ぶのは、ダニエラだ。あれこいつ、きしめん推しだったか?
「おう、アフリカンで頼むぜ!」
と、ふと見れば、いつに間にか目を覚ましたレティシアが、目覚めの一杯に激辛のタイワンラーメンを注文している。
ちょっとまて、どうなっているんだ、ここは。ナゴヤ飯だらけじゃないか。味噌カツ屋とタイワンラーメンが進出しているのは知っていたが、ひつまぶしなんて、いつの間に進出してたんだ?
たった3か月。僕らが目を離した隙に、ここの食文化がナゴヤ飯に侵されているぞ。僕らにとってはなんら困ることではないが、いいのか、ペリアテーノの人々よ?
「そうそう、美味しいものを口にしたら、『うみゃー』と応えるのが礼儀らしいですぞ。」
「う……うみゃー、ですか?ですがラヴェナーレ卿、それは一体、どういう意味なのです?」
「なんでも、『格別の美味を堪能でき、陛下に感謝いたします』という意味らしいですぞ。」
「おお、なんと縁起の良い掛け声でありますかな。まさに今この場の我らは『うみゃー』な心境ですなぁ。」
待て待て、「うみゃー」には、美味しいという意味以外には何もないぞ。陛下がどうとか、そんな上品な言葉では断じてない。
ナゴヤとは7000光年も離れたこの星では、どういうわけか虚実入り混じったナゴヤ文化が伝わりつつある。いや、「文化汚染」しつつあるといった方がいいか。それは急激に変わるこの街の変化の一端を担いつつも、我々の思いとはちょっと違った方向に受けうれられているように感じる。
少し、いや、かなり僕は、罪悪感に苛まれる。多分、僕とレティシアがここを訪れていなければ、これほどナゴヤ文化が侵食することはなかっただろうに……




