#124 近接戦
「では提督、始めます!」
「了解、いつでもいいぞ」
僕は今、サカエ研修センターに来ている。シミュレーターの大画面の前で敬礼しているのは、ヴァルモーテン少尉だ。
今日は、そのヴァルモーテン少尉が提案した「近接戦理論」に基づいた戦闘シミュレーションを行い、その実現性に迫ろうというものだ。自然、少尉の声に気合が入る。
「シミュレーション開始!全艦、全速前進!」
この研修センターにある全てのシミュレーターが作動する。バーチャル空間上にある、100隻の新鋭艦。つまり、第8艦隊の艦艇が忠実に再現されている。
その向こうにいる敵の艦隊も100隻。同数の敵に対し、この新戦法を試してみようというのが、今回の狙いだ。
「敵艦隊まで、あと2万!」
光速の10パーセント程度まで加速した艦艇は、あっという間に敵艦隊の懐に飛び込んでいく。100隻の艦艇には、哨戒機と人型重機が搭載される。
が、問題は、飛び込んだ後だ。
「全艦、急減速!」
そう、今のままでは相対速度がありすぎて、艦載機を放出できない。哨戒機や重機のエンジンでは、これだけの速度差を減速するだけの力がないからだ。
だから駆逐艦自身の機関で、この速度差を縮め、艦載機を発進させなくてはならない。
が、敵艦隊の目前で駆逐艦が減速すれば、それは敵にとっていい標的だ。だから、ギリギリまで速力を維持し、敵の懐に飛び込んだのちに減速する。
が、駆逐艦というやつは重い。船体のほとんどを占める主砲身と、船体材料である小惑星の岩石部分の重みが、減速時にはどっしりのしかかる。
先ほど行ったシミュレーションでは、減速が速すぎて敵の目前で停止、結果、あっさりと狙撃されてしまった。今度は少し、タイミングを遅らせる。
そのタイミングを見計らうヴァルモーテン少尉。仮想の陣形図上の映る中央の大型モニターを黙って睨む。が、あるところで、少尉が叫ぶ。
「転舵反転、減速!」
この合図と同時に、一斉に回頭を始める艦隊。急減速、急旋回しつつ、敵の艦隊のすぐ後ろに回り込む。
「敵艦隊まで、300……100……」
急速に敵の艦隊の懐深くに飛び込む100隻の艦艇だが、先ほどとは違い、今度は減速が足らず、離れていく。
「距離、400……500……600……」
「敵艦隊、離れていきます!距離、すでに800!」
ああ、だめだ、失敗だな。ほんのちょっとタイミングが違うだけで、今度は離れ過ぎてしまった。これでは、艦載機を発進できない。
「ダメか……」
首をうなだれて、あからさまに意気消沈するヴァルモーテン少尉に、僕は命じる。
「少尉、次の指示を」
「……はっ、次と言われましても、すでに失敗ですが……」
「現実には、成功も失敗もない。攻撃そのものに失敗したからと言って、今、100隻の艦隊はまだ敵後方にて健在だ。攻勢に転じるにせよ、撤退するにせよ、なんらかの指示を出さねば彼らを見殺しにすることになる。そうなれば、本当の『失敗』につながることとなる」
「はっ!承知しました!艦隊、反時計回りに迂回しつつ、砲撃を加えます!全艦、取舵30度!」
今日は1日、少尉のシミュレーション訓練に付き合ってみたが、案外、見た目以上に感情の起伏がある人物だ。一方で、切り替えも早い。
ジラティワット少佐とは、また違ったタイプの参謀役だ。少佐なら、あの程度で落ち込むことがない代わりに、一度落ち込むと、なかなか復帰できない。
で、結局、その後の少尉の指示で、敵の艦艇10隻を沈めることができた。まずまずの戦果だが、肝心の近接戦闘は失敗に終わる。陣形図の上で再現される先ほどの戦闘を振り返りながら、ヴァルモーテン少尉は何を思う?
「……提督は、どう思われますか?」
と、少尉がいきなり、僕に意見を求めてくる。
「どうとは?」
「この戦術の、実現性についてです」
「……つまり少尉は、その可能性が低いと?」
「三度続けて、失敗致しました。そう結論づけても、仕方がないかと」
「三度程度で、出る結論なのか?」
「いえ、この先、たとえシミュレーション上で成功したとしても、あまりに職人芸過ぎる戦術と実感致しました」
「では、尋ねる。その職人芸を克服するには、何が必要だと考える?」
「あの……それはどういう……」
「言葉通りだ。現実性はともかく、何が必要かをまず考えよ」
「はっ、やはり駆逐艦では重すぎます。加速時間に制限はありませんが、敵の懐に飛び込む以上、減速には大きな時間的制約がつきます。敵に狙撃されないよう、急減速を成立させるには、もっと質量の軽い船体を用いるほかありません」
「では逆に、あの駆逐艦を使って少尉の考える戦術を実現しようとするならば、何が必要だと考えるか?」
「そうですね……ある程度の減速は、駆逐艦でできるとしても……」
しばらく、考え込む少尉。さほど手入れなどしていないであろう金髪の髪をくりくりといじりながら、思考を巡らせ、そしてようやく口を開く。
「哨戒機、並びに人型重機に大型のエンジンを取り付け、減速させます。それならば、駆逐艦が減速する必要はありません。しかも、戦線離脱時には艦載機自らが離脱可能となります」
「なるほど。では、その実現の可能性は?」
「哨戒機は難しいですが、人型重機ならば、まさにうってつけのオプションエンジンが存在します。元々は、惑星表面や衛星への降下、および離脱用に使うエンジンですが、それを取り付けてやれば、今回の近接戦闘も可能となるでしょう」
「よし、ではそれを搭載したという条件で、シミュレーションをやり直せ」
「はっ!」
兵站もこなした経験があると言っていたが、それが活かされたようだ。諦めかけていたその土壇場で、あるアイテムの存在を思い出す。
「敵艦隊、30万キロ!まもなく砲撃戦が始まります!」
「全艦、全速前進!」
再び、100隻が全速で敵の艦隊に迫る。光速の10パーセントまで加速し、あっという間に敵の艦隊の懐へと飛び込んだ。
「転舵反転!急減速!」
さっきとだいたい同じくらいのタイミングで、減速を開始する100隻の艦隊。敵の艦隊も、こちらに合わせて回頭を始める。だが、ここからがさっきとは違う。
「重機隊、発進せよ!」
「重機隊、全機発艦します!」
敵の艦隊までは、距離300キロ。そのタイミングで重機隊を発艦させる。相対速度は、まだかなり速い。
が、大型のスラスターを使い、急減速する200機の重機隊。敵の後方へと回り込み、100隻の半数を航行不能に陥れる。その後、重機隊は再び加速し、大きく迂回してきた駆逐艦隊と合流を果たす。
「どうだ、少尉」
「はっ!閣下のおかげです!」
「いや、僕はただ、諦めるのは早いと忠告しただけだ。案外、手というものはあるものだ。僕も、特殊戦構想、新鋭艦隊を実現しようとした時に、何度も諦めかけた。が、どうにかして第8艦隊を結成することができた」
実は僕が今、ヴァルモーテン少尉に対してやったことは、僕自身がコールリッジ大将からやられたことでもある。もはや手がない、ここが限界ですと大将に報告すると、ではどうすればその限界を越えられるのか?そのためには、何が必要なのか?などと問われ続け、気づけばそこから多くのアイデアを手繰り寄せ、そして艦隊結成に漕ぎ着けた。
まさか、自分がコールリッジ大将と同じ立場になろうとは……だが、ヴァルモーテン少尉の提案するこの戦術、実現すれば、かなり強力な手段の一つとなるだろう。
「おう、そうか、よかったな!んじゃ、おめえも一緒にひつまぶし食おうぜ!」
研修センターにまでやってきたレティシアが、またあの店に行こうと言い出す。しかも、ヴァルモーテン少尉も連れてだ。
「おい、だけど少尉の口に合うかどうか分らんぞ。いいのか?」
「構いません、提督。私、ひつまぶしは大好きでございます。なんなら、タイワンラーメンでもいけます」
「あ、そ……」
なんだ、すっかりナゴヤ飯に毒されていたのか。気を遣って、損したな。
「そうなのか、モーニングでねぇ……」
「もうすっかり、あの店の常連となりつつあります。もちろん、頼むのは小倉トーストでございますよ、レティシア殿」
「確かに、小倉トーストは美味い。あれはフィルディランド皇国でも広めてやりたい食文化だ」
「リーナ殿、この小倉あんは、我がドイツの電撃戦をも上回る破壊力を持っております。本格的に戦線投入を行えば、皇国の中枢が陥落するのはほぼ確実かと思われます」
たかが小倉トーストを、物騒な方向に展開するヴァルモーテン少尉とリーナの会話を聞きつつも、サカエの例の店へと向かう。
「おい、ヴァルモーテン。お櫃の中は、こうやってあらかじめ、四等分しておくんだ。その方が、うまく食えるんだぜ」
「なるほど……レニングラード包囲戦の教訓が、こんなところで活かされてているとは……ひつまぶしとは、奥が深い食べ物でございますね」
頼むから、そろそろ戦術から離れてくれないものだろうか?一方のリーナは、もう一杯目の半分を掻き込み終えたところだ。
「美味い!おい、カズキ殿、もう一つ頼んでも良いか!?」
リーナよ、ここで断ったって、頼むつもり満々だろう。僕は無言で首を縦に振る。するとリーナは大声で店員に声を掛ける。
「店員よ!ひつまぶし、追加で2つだ!」
おい、リーナ、お前今、もう一つだと言っただろう。どういう食欲をしているんだ、こいつは。しかも、ひつまぶしは決して安い食べ物ではないのだが。
「そういやあカズキ、ヴァルモーテンってのは、どういう役割なんだ?」
「少尉は、ジラティワット少佐と同じ、第8艦隊司令部付きの幕僚の一人だ」
「へぇ〜、てことは、バリバリに戦闘に関わる女ってことか」
「うーん、まあ……そういうことになるかな。」
「それじゃあ、こいつも戦乙女ってことになるか?」
「はぁ?戦乙女!?いや、ちょっと違うんじゃないのか」
「何言ってやがる。グエンと違って、戦いの時は活躍するんだろう?」
「まあ、活躍というか、役目を果たすというか……」
「じゃあ、戦乙女で決まりだな。よろしくな、ヴァルモーテンよ」
「はっ。よろしくお願いいたします。ところで、ヴァルキリーという呼び名は、我がドイツにおいては『ワルキューレ』と呼ぶ方が……」
レティシアはどういうつもりで話したのかは分からない。が、ヴァルモーテン少尉を『戦乙女』に認定してしまった。あのおかしな集団にまた一人、加わってしまったのか。
そんなヴァルモーテン少尉は、二杯目のひつまぶしの味を堪能しつつ、その丸っこい顔に笑みを浮かべながら、頬を撫でている。それはつまり、軍参謀とあろうものが、ナゴヤ飯を前にその味に陥落したことを示していた。




