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4、女王

 ベアトリスの日常は様変わりした。


 女王としてなにから始めれば良いか分からないため、レクチャーを受けながら、兄が過ごしていたことに沿って慣らすことにした。

 ただ、現段階で国は安定しており、周辺国との争いや問題事もない。内政に注力し、まずは挙がってくる議案を丁寧にこなそうとベアトリスは意識していた。

 幸い、議員たちも協力しようという態勢でいるようだったし、宰相や事務官たちもベアトリスへ丁寧に説明し、疑問には誠意を持って答えた。


 ベアトリスはなんらかの判断が必要な場合には過去の事例を確認し、それと照らし合わせて兄だったらどうしただろうか、と検討するようにした。ひょっとすると、無知なベアトリスを騙してやろうとする者も出てくる可能性はあるからだ。

 それから宰相たちにその判断について是非を問う。非常に時間はかかるし独自色を出した仕事は出来ないものの、まだ始まったばかりだし大きな失敗をするよりははるかに良い。



 出席できなかった卒業パーティからしばらくし、ベアトリスが議会を出て執務室に戻ろうとしていると、ふと、見覚えのある後姿を見かけた。

 無意識に目で追う。事務官の制服を着るその人が角を曲がろうとしているところで顔が見えた。

 ギルバートだった。


 久しぶりに見た顔に思わず心臓が跳ねる。あの庭での一件以来会っていない。

 事務官の制服を着ているということは、卒業して出仕するようになったのだろう。

 それも当然だった。どの部署にいるのかは分からないが、将来は父である宰相のもとで仕事をするようになるのが既定路線なのだから。



 女王になって半年が過ぎたころ、ようやく王位交代に伴う一連の行事が落ち着いた。それまではなんとか気を張っていたベアトリスだったが、一気に疲れが出た。頭痛がして体がだるい。


 やはり失敗が怖くて、どんな仕事をするにしても過去の案件ばかり読み込んでいて時間が足りない。夜まで対応しているのでそもそも寝不足だ。

 一度判断を下しても、なんだか気になって夜中に騎士を伴い資料室に行ってしまうこともある。宰相や事務官と相談や確認をしているのだから問題ないと分かっているのに。


 執務室でぼんやりと書類をめくっていると扉が叩かれ、返事をすると黒髪の男性が入ってきた。


 懐かしい彼に見えて、目を見張る。


「――ギル、」


 違った。

 ギルバートの父のガルシア公爵だった。

 息子と間違えられたことに目を丸くしている。


「…ごめんなさい、間違えました、失礼しました」

「…いえ」


 ベアトリスが大きく息をついて椅子にもたれかかると、ガルシア公爵はベアトリスの目の前に可愛らしい包み紙に包まれたなにかを差し出した。


「お疲れでしょう、どうぞ」

「これ……」


 ギルバートが遊びに来ていたころによくくれた、ベアトリスの好きな青色の飴玉だった。

 ベアトリスの様子を見かねてガルシア公爵が息子に相談したのだろうか。それとも、ギルバートの方が気を利かせたのか。いずれにせよ、これを好きなことを知っているのはギルバートだけだ。


「…受け取れません」

「息子は関係なく、私からの賄賂です」


 気を軽くさせようとしているのか珍しく冗談を言ったガルシア公爵に、ベアトリスはくすりと笑った。ガルシア公爵は強引にベアトリスの手に飴玉の包みを押し付ける。


「公爵からの賄賂では受け取らざるを得ませんね。ありがたく頂きます。でもご子息にお礼は言いませんよ」

「承知しております。でも早く出世しようと躍起になっていますから、そのうちお目にかかるかと」


 ギルバートはまだ出仕し始めたばかりで、直接仕事で会う機会はない。

 ガルシア公爵の言い方では、自分に会うために躍起になっているのかと勘違いするではないか。思い上がりそうになる心を押しとどめて、ベアトリスは目を伏せた。


「…そうですか。ご子息が早く補佐に入られるとよろしいですね」


 複雑な顔をしたガルシア公爵が用件を済ませて部屋を出てから、飴玉を口に含む。

 久しぶりの甘い味に、ほんの少し頭痛が軽くなった気がした。



 ♢



 ギルバートがベアトリスの前に姿を見せるようになるのに、そう時間はかからなかった。

 女王になって1年半、ギルバートが宰相補佐付きの事務官になり、執務室に出入りするようになったのだ。


 初めにギルバートが執務室にやってきたとき、ベアトリスは肩をびくりと震わせて身構えた。なにか書類を持っている。ベアトリスと話す宰相補佐に届けにきたのだろう。

 ギルバートはまだ下っ端でベアトリスに挨拶するほどの役職付きではない。目も合わさず書類を宰相補佐に渡してあっさり出て行ったので、ベアトリスは拍子抜けした。

 扉が閉まってから、ベアトリスは周りに気付かれないようにふーっと息をついた。気にしているのは自分だけなのかもしれない。


 ただ、気にしているのが自分だけなら、それはそれで好都合かもしれないとベアトリスは思った。

 ギルバートと結ばれることはないと分かっていても、彼を見ることが出来ると驚くほど心が浮き立つのだ。

 そのうち、出入りするギルバートを見かけてはほんのりとした嬉しさを噛み締めるようになった。まだまだ仕事は大変だし、判断に不安が生じて資料室に籠ることもあるけれど、ギルバートを見かけると頑張ろうという気になる。


 しかしこの想いが他の人には露呈しないようにしなければならない。女王が事務官を熱い目で見つめているなんてすぐに不名誉な噂になってしまう。

 ベアトリスはギルバートを視界に収めるだけで満足し、それ以上は表情に出さないように努めた。



 さらに1年半が経ち、ギルバートは宰相補佐となって挨拶しに来た。公爵家出身とはいえ、スピード出世だ。彼の父であるガルシア公爵が言っていたように努力したのだろう。


「ギルバート・ガルシアです。学生の時以来、ご無沙汰しております、陛下。これからよろしくお願いいたします」

「こちらこそよろしく」


 ギルバートは元同級生として面識があるという距離感で話しかけてきたので、ベアトリスもそれに従う。

 それまでできるだけ直視しないようにしていたギルバートを久しぶりに真っ直ぐ見つめ、ベアトリスは緊張していた。


 昔のような朗らかな雰囲気はない。なにを考えているのか、ボードゲームで次の手がすぐに分かったのに、今はもう考えが読めない。硬い顔をしている。

 当然ながら「ビー」と愛称では呼ばれず、「陛下」と呼ばれたし、これからは敬語を使われるのだろう。


 ギルバートは型通りの挨拶だけ済ませて下がった。

 それから少しずつ、接点が増えていった。



 ギルバートの父のガルシア公爵はどちらかというと周囲を引っ張っていくタイプだが、ギルバートは周囲の調整に長けているタイプのようだった。


 一つ、ギルバートが宰相補佐になって大きく改善したことがある。報告漏れだ。

 ベアトリスが仕事をする中で、一部の事務官が必要な情報を上げずに独自で判断し、後々問題になることがしばしばあった。もちろん各自で判断しなければいけない事項もあるのだが、他の案件に事が及ぶ場合、ベアトリスが把握していないと進まない場合があるのだ。

 それがギルバートが入ってからはかなり減った。事務官が判断してこれまで報告に上がらなかったものでもギルバートが気を回し、一言報告が入るようになったのだ。そのため、修正が必要な場合にすぐに対応ができるようになったし、ベアトリスは全体を十分把握できるようになった。


 これは心配性のベアトリスにとっては非常に助かることだった。ギルバートが目を配ってくれているので、あれがどうなったか、進んでいるのか、気に病む必要がない。


 一度、なぜ報告漏れが生じるのかギルバートに聞いたことがある。ベアトリスはその理由を、若い女王への負担を気遣ってか、または侮ってかのどちらかだと思っていた。

 すると、ギルバートは眉を下げて少し困った顔で答えた。


「亡くなった陛下の時にもあったようですよ。父が言っていました。功を急ぐものはどこでもいるものです」


 それが本当かどうかは分からないが、少なくともその言葉でベアトリスの気持ちが楽になったのは確かだ。


 また、ギルバートが宰相補佐になってからはベアトリスが資料室に籠ることが減った。

 ギルバートがベアトリスの判断を仰ぐ時には、女王の意図を汲み、十分な情報を揃えて説明してくれるようになったためだ。


 それまでも事務官たちは過去の事例とともに案件の説明をしてはいたが、それはベアトリスにとって不十分であることがしばしばあった。

 さらに仕事に慣れたベアトリスは過去の事例に囚われずに自分で判断を下すことも増えてきていたが、それでも新しいことをするときや、リスクの大きい案件では自分で資料をあたっていた。

 その時間が減ったことは大きな進歩だ。


 果たしてこれはギルバートの性格によるものなのか、それともベアトリスの性格を知っているが故のことなのか。

 いずれにせよ、ギルバートが昔も今もベアトリスの心を軽くしてくれていることに、ベアトリス自身は多少複雑な思いを抱えていた。



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