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3、離別

 兄王の死は事故だった。


 急な知らせに王宮は大混乱になった。

 宰相や事務官たちが今後のことを話し合うためにバタバタと王宮内を駆け回っている。しかしベアトリスは出来ることがないので、自室に引きこもっていた。外からは騒がしいたくさんの人が行き交う足音が聞こえる。


 優しい兄。自分に手を伸ばしてくれた兄はもういない。

 唯一の家族と言えた兄を失ったベアトリスとともに、義姉も憔悴しきっていた。兄王はまだ若く、子どももまだ幼い。さらに直系で適齢の人間はベアトリスしかいない。


 ベアトリスは行く先がすでに想像できていた。


 王位継承権に男女の優劣はないが、ベアトリスは兄と同じ世代であるため、王太子は甥である8歳の王子だった。

 しかし宰相がつくとしても8歳では幼すぎる。王太子が育つまで繋ぎが必要だ。

 過去にも予定されていなかった状態で、繋ぎとなった国王や女王は存在した。


 ――すなわち、自分がなるのだ。女王に。



 兄王の死から数日後、ギルバートの父である宰相のガルシア公爵を中心に、大臣、議員らが今後の方針を検討する場が正式に議会に設けられた。同じ席にベアトリスも呼ばれて座る。

 兄は若くして国王となったが、優秀だった。国の大黒柱だったのだ。その兄を失い、議会にいる皆は一致団結してこの苦難を乗り越えようとしている。


 ベアトリスは痺れるような頭の中で、自分個人の幸せを追い払おうとした。

 だが、少し前に彼と具体的に想像した未来がこびりつく。


「殿下、この国難をなんとしても乗り越えなければいけません。皆、補佐します故、即位に関してご意見があれば…」


 進行役の大臣がベアトリスを促す。

 ベアトリスはぎゅっと目を瞑って、頭にこびりついた淡い思いを払った。


「……偉大な兄を失った今、皆で団結しなければなりません。私は最大限、自分の出来うる限り、努力します。未熟な身ですが、皆、協力してください」


 果たして挨拶がどう思われるかと気にする余裕もない。

 ベアトリスが了承したので、とりあえず玉座は埋まることになった。



 ♢



 ベアトリスは自室の衣装部屋に閉じこもっていた。


 卒業パーティーまであともう少しだった。

 先日、ギルバートから届いたドレスを壁にかけ、指先でそっと撫でる。

 ギルバートが選んでくれたのは鮮やかな青い色だった。あの時、着たくても着るのを諦めたこの色を選んでくれたのだろう。ギルバートらしい心遣いに、ふっと頬が緩む。


 だが、もう一生着ることはない。

 卒業パーティーを待たずして即位することになった。そのため、卒業目前で退学だ。仕方ない。優先度が違いすぎる。


 ベアトリスが諦めたものはもう一つ。結婚だ。


 兄王の子どもは王太子を含めて4人。もしもベアトリスが女王になり子どもを生むと、そのときの情勢によって継承権が面倒なことになる可能性がある。

 ただでさえ、義姉が不安定になっている。ベアトリスが即位することで王子たちの将来の継承権が脅かされないかどうかを気にしているようだ。

 自分は繋ぎの女王であるという立場を崩してはいけない。


 さらに、女王になっても結婚はできるが、その場合、結婚相手は王配になる。王配になると全ての役職からは外れる。


 ギルバートは将来の宰相で、公爵家の嫡男だ。

 学校の課題を見せろと言ってくることはあるけれど、基本的には調整が上手く、物事の優先度の判断が的確な優秀な人だ。頭の回転が早く、人の気持ちを汲み取ることができる。父であるガルシア公爵を問題なく継ぐだろう。

 王配になれば宰相としての仕事はできない。それは国にとっても痛手だし、ベアトリスもそれを望まない。自分のために彼を縛り付けることは出来ない。


 思わず、青色のドレスをぎゅっと掴んだ。

 幸せな未来が目の前にあったのに、凄い勢いで遠のいて行く。大丈夫、仕方ない、とベアトリスは頭の中で繰り返した。


「殿下、お客様がお見えです」


 衣装部屋の外から急にかけられた声にびくりとして、ベアトリスは顔を上げた。


「誰?」

「ギルバート様です」


 今考えていた人の名前が上がり、心臓がどきりと跳ねる。

 断ろうかと一瞬迷ったが、早いうちに話はしなければならない。ベアトリスは衣装部屋を出て応接室に向かった。



 ♢



 ギルバートは珍しく難しい顔をして椅子に腰掛けていた。ベアトリスが部屋に入ると、ぱっと顔を上げ、立ち上がる。しかし、すぐに姿勢を正して頭を下げた。


「…殿下、この度の陛下のご逝去、お悔やみ申し上げます」

「ありがとう…、ギル、お庭に出ましょうよ。息が詰まりそう」



 庭に出た二人はゆっくりと歩いていた。離れたところで女官と騎士がこちらを見ている。

 とりあえず継承問題は決着したので、王宮内は一時的に落ち着きを取り戻していた。しかし自分の即位が発表されればその準備でまた騒がしくなるだろう。


「…卒業パーティーに出られなくなったわ。せっかくドレスを贈ってくれたのにごめんなさい」

「いいんだ、そんなの。ビー、即位すると聞いた」

「そうね」


 ベアトリスの少し後ろを歩いていたギルバートだったが、ふいに足を止めたので、なんだろうとベアトリスは振り返った。

 すると、ギルバートにそっと両手を取られた。顔を上げてギルバートを見ると、潤んだ青い瞳と目が合う。


 それから手を取ったまま、ギルバートがゆっくりかがみ、片膝をつこうとしているのがベアトリスには分かった。


 まずい。これはあれだ。物語で読むやつ。


 ――プロポーズされる。


 一瞬で、すごい勢いでベアトリスは頭の中で考える。

 ギルバートのことだから、わざと人の目のあるところでプロポーズしようとしている。事実を作るために。応接室にも、この庭にも女官と騎士がいるのだ。

 ギルバートが自分にプロポーズした事実が残ってしまうのはまずい。女王にプロポーズした男として彼の将来の結婚に差し障るだろう。

 しかし、もうプロポーズの形式になってしまっている。


 となると、どのように断るか。

 もしも絆されて「気持ちはありがたいけど」なんて言ったら、両想いの二人が引き離された悲恋話として語り継がれることになる。

 それはもっと避けなければならない。ギルバートの将来のために。幸い、自分たちはまだ婚約前。


 選択肢は一つだけだ。


 ――こっぴどく断るしかない。


「…ビー、俺は」

「ギルバート、私は女王になる」


 片膝をついて俯いたギルバートの声を遮って、ベアトリスはわざと通る声を出した。騎士と女官がこちらをきちんと見ていることを横目で確認する。


 硬い口調のベアトリスに少し驚いた様子のギルバートが顔を上げた。


「もう私のことをそのように呼ぶのはやめて。私は女王に、あなたはいずれ宰相になる。手を離して」


 ギルバートの顔が歪む。ベアトリスの真意が分かったのだろう。手を離せと言ったのに、逆に強く握り込まれた。


「…ビー、俺のことを嫌いに?」


 ギルバートはずるい。嫌いと答えられないと分かっていて聞いてきているのだ。

 ベアトリスは一度目をぎゅっと閉じてから、しっかり開き、苦しい表情のギルバートをまっすぐ見つめた。


 思っていることと逆のことを言えば良いのだ。


 出来るだけ酷く、可能な限り辛辣に。



「ギルバート、幼い頃から共にいたけれども、家の都合で一緒にいただけのこと。私にとってはそれだけ」


 ――嘘だ。親に無理強いされた関係性ではない。彼にくっついていたのは自分の意思だ。泣きついてばかりだった。


「あなたは私に馴れ馴れしすぎるし、それを苦々しく思ったこともあった。付き合いが長すぎて兄弟のようだもの。正直、異性として特別な感情を持ったことはないわ」


 ――そんなことない。いまも大好きだ。ずっと一緒にいたいと思って結婚を心待ちにしていた。


「私は女王になるけれど、結婚はしないし、子どもも産まない」


 ――どんな色の髪や瞳をした子が産まれるのかを想像していた。見てみたかった。


「これからは臣下として良く仕えてください。話は以上です」


 ベアトリスはギルバートから視線を逸らすと、力の抜けた彼の手を離した。

 もう二度と繋がることはない。


 それから踵を返し、女官にギルバートが帰る旨を告げた。

 一部始終を女官や騎士はきちんと見ていた。憐れむような、痛々しいような目で見られているようにも思うが、事実(・・)はベアトリスがギルバートを袖にしたということだ。

 彼らにはベアトリスの言動がわざとだと分かったとしても、ギルバートを振ったということが事実なのだ。

 恋仲の相手と運命によって涙ながらに引き裂かれた、といったようなストーリーよりは、女王に振られたというかたちの方がギルバートの将来にとってはましだろう。



 ベアトリスはギルバートの方を振り返らず、部屋に戻った。

 そうだ、いまのことをより確実にするためにも、早めに対応しておいた方が良い。

 ベアトリスは女官を呼び、ガルシア公爵を呼ぶよう告げた。



 ♢



 ガルシア公爵は王宮で仕事をしていたようで、すぐに応接室に現れた。王の交代に伴う仕事で忙しいのだろう。ギルバートと同じ黒髪が乱れている。


「お忙しいところ、お呼び立てしてごめんなさい」

「――いえ、」

「先ほど、ギルバートと会いました」


 ガルシア公爵は少しだけ驚いたように目を開き、すぐに普段の表情に戻った。


「私は誰とも結婚もしないし、子も持たないと告げました。今後縁談が生じるのは面倒なので、女王でいる間はそのように公表してください」

「――息子はなにも?」

「さあ、どう思ったでしょう。このようなことになって公爵にも申し訳ないことをと思っていますが…、彼には良い縁談を探してあげてください」

「殿下以上に良い縁談など」


 ベアトリスは確かにと思い、ふふ、と苦笑した。ガルシア公爵も哀しげに頬を緩める。


「殿下の決断は間違いありません。国の将来を見据えた判断で、当然の結果です。ただ…、」

「ただ?」

「叶うならばあなたを娘としてうちに迎え入れたかった」


 その言葉にベアトリスは涙が出そうになった。幼い頃から公爵家とずっと親密にしていた。公爵家の方も楽しみにしていてくれたということが嬉しい。


「ありがたいお言葉です…、これから迷惑をかけますが、よろしくお願いします」

「こちらこそよろしくお願いします」



 ガルシア公爵との話を終えたベアトリスは部屋の長椅子によろよろと倒れ込んだ。もうくたくたで力も出ない。

 これからなにがあっても、ギルバートに心の負荷を軽くしてもらうことは出来ないのだ。大丈夫だろうか。


「…大丈夫、大丈夫」


 自らを納得させるよう、ギルバートがいつも言っていた言葉を同じように呟いて目を閉じる。

 彼に悪いことをしてしまった。しかし、謝ることは出来ない。

 ベアトリスは滲んできた涙をゴシゴシと擦った。


「大丈夫」



 そうして、ベアトリスは女王になった。


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