ベアトリスの暇つぶし
ベアトリスの結婚後、妊娠中のお話です。
ベアトリスは時間を持て余していた。
退位し、結婚し、ガルシア公爵家にやってきて、学校も卒業した。
そしてしばらくして、お腹に子どもが宿っていることが分かった。出産予定まではまだしばらくあるが、少しずつお腹も目立つようになってきている。
もちろん子どもを持つことを望んでいたし、生まれてくるのをとても楽しみにしている。ギルバートもだ。
しかし、これまで忙しすぎたせいか、なにもやることがなくなってしまった日常をどう過ごせばよいのか、ベアトリスは悩んでいた。
とりあえずできそうなことはやってみたのだ。
生まれてくる子どものためにのんびり編み物をしたり、犬のココと遊んだり、これまで世話になった人たちへ手紙を出してみたり。
積んでいた本も読んだし、料理にも挑戦してみた。しかし、どうも張り合いがない。
その一瞬の時間を潰す分にはいいのだが、終えてしまうと「じゃあ明日はなにをしよう」と途方に暮れてしまう。
目的を持って、継続的になにかに取り組みたいのだ。
ため息をつくベアトリスに、ギルバートは苦笑した。
「ビーは仕事人間だね。別になにもしなくてもいいのにさ」
「……私、この十年間、仕事しかしてこなかった空しい人間であることに気付いたわ」
「うーん、それは周りの人間がよくないな。女王に仕事を押し付けすぎていたということだ」
「じゃああなたのせいね」
元女王に睨まれた宰相補佐は肩を竦めて舌を出した。
ベアトリスはこれといった趣味がない。
結婚相手を探すお見合いの時にも、相手から問われて困った。なにせ仕事しかしてこなかったので、特筆して好きな物事がないのだ。
浮かない顔のベアトリスに、ギルバートは「あ」となにかを思いついて声をかけた。
「なにかを育てるのはどう? 植物とか、魚とか。そうすれば毎日やることはできるし、育つのを見るのはやりがいがあるかも」
それはとても良い案のように思えた。
なにかを育てるという課題があり、取り組んだ成果を毎日確認し、さらに改善を行うというのは仕事に近い。
それにこれから子どもを育てる予行練習としては悪くないかも。
ベアトリスは早速、野菜を育ててみることにした。
まずは庭師に相談しながら、なにを育てるか検討した。
ベアトリスは完全な初心者だ。わりと簡単に手を付けられる植物の方が良い。
本などでもいろいろ調べた結果、小さなトマトを育てることにした。
大きめの鉢に網を敷き、石を並べる。そこに準備した土を入れ、購入してきた苗を植えこみ、たっぷり水をやった。
日当たりの良いテラスに置けば、なんだかとても充実感を得られた。
「いいわね。楽しみだわ」
トマトの茎葉は順調に成長した。
土が乾けば水をやり、成長してきた茎が倒れないよう、支柱に固定させる。余分な脇芽を詰み、時折庭師にもらった肥料を追加する。
毎日作業が必要なわけではないが、それでも青々と成長する葉を撫でていたら愛着が湧いてきた。
ベアトリスは育てているトマトの苗に「テディ」と名前を付けることにした。
♢
ギルバートはテラスでトマトの鉢を世話する妻を微笑ましく眺めていた。
一通りやるべきことが済んだベアトリスは時間ができ、さらに妊娠が分かってから行動に制限がかかって退屈そうだった。
軽い気持ちで提案した植物の栽培だが、思いの外、ベアトリスは気に入ったようだった。日々、葉を愛で、世話をし、成長を楽しみにしていたのだ。
ーー少し前までは。
しばらく経ち、小さな実がいくつか付き始めた。そのうち実はだんだんと色付いていき、表面がつやつやと美しいトマトが成っていく。
しかしいざ収穫しようとなると、ベアトリスは急に暗い顔になった。
「……せっかくテディが頑張ってつけた実を、食べてしまっていいのかしら……」
「ど、どういうこと?」
ギルバートがよくよく聞いてみると、彼女は育てたトマトに愛着が湧き、食べてしまうことに罪悪感を覚えているようである。
「テディが次世代への繁殖のためにつけた実でしょう。それを食べてしまうことはテディを裏切ることにならない?」
「どうかなあ……」
妊娠中なので感傷的になってしまっているのだろうか。
自身も体の中で子どもを育てているということもあり、どうやらトマトに感情移入しているようである。
しかしここで自分が「いいじゃん食べよう食べよう」と軽くいなしてしまうと、夫婦仲に亀裂が生じるかもしれないとギルバートは思った。
涙目でトマトの「テディ」を見つめる妻の肩を抱く。
「じゃあさ、全部の実を取ってしまうんじゃなくて少しだけ収穫して、残った実からまた育ててみたら? うまくいくか分からないけど、それであれば次世代へ繋げられる」
「……それは非常に良いアイデアだわ」
ベアトリスは一部の実だけ収穫し、残りは庭師に相談しながら種を取り出せるよう準備することにしたらしい。
その後、テディの一部は食卓に出された。
ベアトリスは感慨深げにトマトを口の中に入れ、甘味や酸味のバランスがどうとか、もっとこうした方がよかったとか、品評を行っている。
ギルバートはそこまでトマトに思い入れはないので、彼女の話にふんふんと相槌を打つだけだ。
彼女が育てたトマトはお腹の子の栄養になるだろう。
ギルバートは丸いお腹にちらりと目をやり、お腹の中の子に「君の母親は結構世話焼きだぞ」と念を送った。
《 おしまい 》
2022/3/24 ミーティアノベルスさまより電子書籍発売です!
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