風邪引きのギルバート
結婚後、ベアトリスが王宮を出る前のお話です(同居前)。
ギルバートはカーテンを閉め切った暗い自室でぼんやりと天井を見つめていた。
今が何時か分からない。喉がからからだが、まだ熱が高いようで体を動かすのが辛い。
彼は久々に風邪で寝込んでいた。
体調の異変を感じたのは数日前である。会議で話しているときに喉が痛いなと思ったのだ。
しばらくすると発熱したのが分かった。一気に体がだるくなってきたので、ギルバートは王宮からふらふらとガルシア公爵邸に帰ってそのまま寝た。
ベアトリスにも伝えなかった。彼女は退位して結婚したものの、なにかと忙しくしているためまだ王宮暮らしだし、学校にも通い始めて忙しそうである。風邪をうつすわけにはいかない。
子どもの頃とは違うので、寝込んだところで誰も大して心配するわけでもない。早く治せと父母に言われ、薬を飲んでそのまま寝ているだけである。
しかしそれでも久々に発熱すると、なんだか心細くなる。
せめてベアトリスに一言言えばよかった。ここ数日連絡もしていないのだ。
会いたい。彼女も心配しているに違いない。いや、心配して欲しい。
目を閉じて、もうひと眠りしようとしたところで、額に冷たいなにかが触れた。
「あら、本当に熱があるのね」
穏やかで聞きなれた声にまぶたを薄く開ける。
会いたかった人が自分を覗き込んでいた。
「ごめんなさい、起こしちゃった?」
「……嘘」
「え?」
「……え、嘘……。熱が高くてビーが夢に出てきた……」
「なに言っているの、本物よ」
首筋に触れる冷たい手に覚醒し、がばりと起き上がる。
その瞬間、頭にずきりと痛みが走り、ギルバートは呻いて頭を抱えた。ベアトリスが手助けして彼をベッドに戻す。
「だめよ、ちゃんと寝ていて」
「……嘘でしょ、本当に来ちゃったの? うつったらまずいよ、ビー」
「大丈夫よ、もう女王じゃないんだから」
そう言って朗らかに笑う。ギルバートは風邪をうつすのが恐ろしくて、目の下まで布団をかぶった。
薄暗い部屋には二人だけ。外に騎士を待機させているのだろうか。結婚したものの、まだ完全に引っ越してきたわけではないので、彼女がこの屋敷に来た回数は少ない。
「……どうやって来たの?」
「普通に来たわよ。風邪で寝込んでるってガルシア公爵に聞いたから。夫に会いに来るくらい問題ないでしょう? それよりこれ」
椅子に腰かけていたベアトリスは重そうな鞄を膝に乗せ、そこからひょいひょいと物を取り出して隣の机に乗せて行った。
「これ果物のシロップ漬け。食欲なくても食べやすいわよ。甘すぎるならレモンを絞ってもいいかも。それから蜂蜜。喉に効くわ。あと熱が下がったら退屈かと思って、本を持ってきたからね」
てきぱきと説明するベアトリスをぼんやりと見やる。
自分を心配して、時間を作ってきてくれたのだろう。もし一緒に住んでいたら甲斐甲斐しく世話してくれそうだ。
「……なんか、母親みたい」
「えっ、お義母さま?」
意味が分からないというように心底不思議そうな顔でこちらを見つめてきたので、ギルバートは自分の失言に気付き「なんでもない」と首を振った。
一般的な「母親」の意味で口にしてしまったが、ベアトリスには通じなかった。
ベアトリスの母親は彼女が幼い時に亡くなっている。それに存命だったとしても、王妃自ら体調の悪い王女を看病するといったことはなかっただろう。
きっと風邪を引いた王女は女官たちが世話をしてくれていたはずだ。そのときと同じことを、今してくれている。純粋に嬉しいなとギルバートは思った。
「ごめん、水を飲みたいんだけど手伝ってもらえると助かる」
掠れ声で頼むと、ベアトリスは水差しからグラスに水を注ぎ、それから手を引いて体を起こすのを手伝った。
手渡されたグラスに口をつけ、少しずつ飲む。まだ喉は痛むが、昨日よりはかなりましだ。
「高熱はしんどいでしょうね。早く治るといいわね」
「……ビーが優しくよしよししてくれたらさっさと治りそう」
「そんなことが言えるのであれば大丈夫そうだわ」
「少しくらい心配して欲しいなあ」
「心配だから来たのよ」
確かにそうだ、と思い、また横になる。水を飲んで少し楽になり、ギルバートは息をついて目を閉じた。
すると、柔らかな手が頭に触れた。おずおずと優しく撫でられる。さっきは皮肉気な言葉を返してきたくせに、結局よしよししてくれるとは。
薄目を開けると、哀しげな表情のベアトリスと目が合った。どうしたの、と目で問えば、彼女は俯いて口を開いた。
「……ごめんね、私のせいで一緒にいられなくて。あなたの異変に気付けなかった。妻として失格だわ。早く王宮を出られるようにするからね」
「いいんだ。ビーがやりたいことをできていれば、それが一番だから」
ギルバートも早く一緒に暮らしたいのは山々だが、しかしベアトリスが自由にやりたいことをしている姿を見ていたい。
今まで自分を殺して十年間頑張ってきたのだから、これからは誰のためでもなく、自分のために生きて欲しい。
「でも、ビー。一緒に暮らすようになったら離さないから覚悟しておいて」
しょんぼりしてしまったベアトリスに軽口を叩く。
きっと彼女はからかわれたことに赤面するはずだ。
しかし、「分かったわ」と言った彼女はギルバートの額にそっと唇を落とした。
「嘘でしょ、熱が上がる」
予想外の返しに動揺したギルバートは布団を頭までかぶり、ベアトリスはくすくす笑いながら丸まった彼を布団の上から撫でた。
《 おしまい 》
本作、ありがたいことにミーティアノベルスさまより電子書籍化いたします。
読んでくださった読者さまのおかげです。ありがとうございます!




