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1、王女

 人からの評価が気になるこの性格は、母由来の気質だろうとベアトリスは考えている。正確には、母からそのように仕込まれたか。


「ビーは気にしすぎ。そこまで皆、他人に関心ないよ」

「ギルはそうかもしれないけど」


 二人はテラスでボードゲームをしていた。駒を動かしながら相手の陣地を奪っていくやつだ。

 頬杖をついて喋りながら、ギルバートの青い瞳の視線が盤上を泳ぐ。それがあからさまで、彼の次の手がすぐに分かる。


「どうせだったら贈ろうか、ドレス」

「いやいやいや…、まだ(・・)婚約者じゃないのにそれは問題でしょう…」


 ベアトリスがいま悩んでいるのは、今月行われる兄王の誕生パーティーの夜会に来ていくドレスの色だ。

 ベアトリスは青色のドレスを着て行きたいと思っていたのだが、兄王の3歳の娘ーーベアトリスの姪も、青色のドレスを着るという話を聞いたのだ。色がかぶる。


「別に、3歳児と色がかぶったって誰も気にしないって。大丈夫、大丈夫」

「そうかしら…」

「そんなことまで気にして、ビーって将来、歩く法典みたいになりそう。いや、もうなってるか」

「法典はいいわよ。全部明文化されているんだもの」


 ギルバートの呆れた視線が刺さる。

 でも、実際そうだ。常識や道理、体裁には正式な答えがない。その物事の背景や状況でも答えが変わる場合があるのだ。ベアトリスはそれが怖い。



 他人からの評価に対する恐怖心をベアトリスに植え付けた母は、父王の後妻だった。兄を産んだ前妻の王妃は若くして亡くなっており、国王には息子の王太子と歳の離れた姫であるベアトリス、二人の子どもがいた。


 母は、事あるごとにベアトリスに説いた。清く、正しくありなさい、と。そうすれば皆、認めてくれると。

 母はそれを自らに課していたようだ。前妻の王妃は国民から大層人気があり、亡くなった時には国民が皆、涙したという。

 後妻である母はもともと女官で、父王に見染められて新王妃となったものの風当たりが強かったようだ。ベアトリスにはそのような思いをさせまいと決心したのか、娘の立ち居振る舞いには大変厳しかった。

 結果、いまのベアトリスが出来上がったわけだが、それを見届けずに父王も母も死んだ。

 いまは兄王が国を担っている。


「ダンスは?いつも通り?」

「うん。一番始めにお兄さまと踊ると思うから、いつも通り二番目にお願いできる?」

「了解」


 幼なじみのギルバートは、ベアトリスの聖域だ。いつ知り合ったのかも覚えていない。物心ついた頃から一緒にいる。


 ギルバートは宰相であるガルシア公爵家の嫡男で、育ちが良いわりに、からりとした性格だ。将来は家を継ぐのに、我関せずというか、気楽に生きているように見える。

 二人はまだ婚約はしていないが、幼い頃からギルバートはベアトリスの結婚相手としてほぼ内定していた。姫はベアトリス一人なので、国内の繋がりを強めるために有力貴族に嫁ぐことは既定路線で、その中でもガルシア公爵家は筆頭だった。


 ギルバートはベアトリスの性格を熟知している。

 ベアトリスが、失敗した、余計なことを言ったかも、うまくいかなかったらどうしよう、皆からどう思われただろう、とネガティブな感情で死にそうになる度に、大げさだなあ、大丈夫、皆そんなこと気にしない、なんとかなる、と気を軽くしてくれるのだ。


 ベアトリスにとっては心の拠りどころだ。ただし、ギルバートがそれを良しとしているのかは分からない。面倒くさいなと思われて当然だが、仕方ない。結婚は既定路線だし、それについては諦めてもらうしかない。

 ほかの人だったら自分がどう思われているか気になってしまうが、ギルバートは昔から知っているので、ベアトリスは彼に対してはそれを気にしないでいられた。


「ビー、来週までの課題やった?見せて」

「いやよ」

「この間、街に行ったときにビーの好きな飴を買ってきた。あげるからさ」

「うーん…、じゃあ課題に使った本を貸してあげる。わかりやすかったから」


 ゲームの結果はベアトリスの勝ちだった。ギルバートに負けることはほぼない。彼は考えていることが分かりやすすぎる。

 二人は学校も一緒で、だがずっと一緒に過ごしているわけではない。女子には女子の付き合いもあるのだ。

 ただ、たまに休みの日にはギルバートはこうして王宮に遊びにやってくる。


 ベアトリスはギルバートに少し待ってて、と言い、自室に戻って本を選んだ。それからまたテラスに戻って本を渡した。

 代わりに可愛らしい包みに入った青い飴玉を受け取る。めったに街に行けないベアトリスの代わりに、ギルバートはたまにお土産をくれる。その中でもこの飴玉が特にお気に入りだった。


「ありがとう、じゃ、また」

「うん、またね」


 ベアトリスは18歳になったところだ。もうすぐ学校を卒業して、その後、ギルバートと婚約するのだろう。結婚までは公務中心の生活になるのだ。

 それでなんの文句もない。ギルバートの元に嫁げるなら万々歳だ。


 ギルバートと別れた後、自室に戻ろうとしていると、義姉が子どもたちを連れて庭に出るところに遭遇した。

 兄王と義姉の王妃には4人の子がおり、家族皆、仲が良い。兄はベアトリスと母が違うことなど気にせず家族の一員として接してくれるが、それでも兄家族のことを見ているとほんの少しの疎外感は感じている。


「ベアトリスさん、お客様だったの?」

「ギルが来ていたんです。皆はお散歩へ?」

「そうなの。お昼寝しすぎてしまったから、夜に寝られないかもと思って、少し遊ばせるわ」


 件の3歳の姪は青色のワンピースを着ている。この色が好きなのだ。

 やはり兄の誕生パーティのドレスは別の色にしようとベアトリスは思った。



 ♢



 絢爛なシャンデリアがぶら下がる大広間で、ベアトリスは兄王と踊っていた。初めに兄王と義姉が踊り、その後に解放された大広間には大勢の男女が出ている。ギルバートは隅の方でなにかを飲んでいるのが見えたが、この曲が終わったら手を取りに来てくれるはずだ。

 3歳の姪は話に聞いていた通り、青色のドレスだった。そのため、ベアトリスは深い緑色のドレスにした。少し地味かもしれないが、別に良いだろう。今日は兄家族が主役だ。


「ビー、もうすぐ卒業だな」


 速いテンポで踊りながら、兄王が話しかけてきた。義姉と踊った後に連続してベアトリスの手を取っているのに、特に息は上がっていない。ベアトリスも体力はあるし、母に厳しく教育されたのでダンスは問題ない。


「はい」

「卒業パーティの頃にお前の婚約の話を進めるからそのつもりでいてくれ」


 兄王の言葉にどきりとし、足がもつれそうになった。考えていた通りだが、実際に話を進めるとなると緊張する。


「承知しました」


 兄王は重大な事案を伝えたように満足げな顔をすると、引き続き優雅にベアトリスの手を引いた。

 

 曲が終わると、いつの間にかすぐ近くにいたギルバートに手を取られた。次の曲が始まる。


「ギル、お兄さまから婚約の話を進めると言われたわ」

「へえ、そうなんだ」

「えっ、ギルはなにも言われてないの?」


 ステップを踏みながらもギルバートは首を捻る。


「俺はなにも聞いてないけど」

「…まさか、相手がギルじゃなかったらどうしよう」

「ええー、いまさらそれはないんじゃない?」


 朗らかに笑うギルバートだったが、ベアトリスの頭の中は嵐だった。もしも違う人を兄が想定していたらどうしよう。嫌だ。


「ビー、次の休みに借りた本を返しに行ってもいい?」

「う、うん」


 頭の中が嵐だったベアトリスは完全に生返事だった。



 結果として、ベアトリスの不安は杞憂だった。

 兄王の誕生パーティーから数日後、ベアトリスは兄王から呼び出された。


「先日話した婚約の件、ギルバートで進めるが異論ないか」


 緊張のあまり呼吸を止めていたベアトリスは、ほーっと息を吐いた。


「ございません」

「良かった。卒業パーティーの後に婚約を発表する。結婚はさらに一年後くらいかな」

「はい」



 それから部屋に戻ると、ギルバートが来ていると知らせを受けた。そうだ、本を返しに来ると言っていたのを忘れていた。

 普段、ギルバートと会う応接室に行くと、彼はリラックスした様子で本をパラパラとめくっていた。


「ギル。ごめん。お兄さまに呼ばれていたの」

「いや、さっき来たところ」


 それから女官が茶を入れたので向かい合って座った。女官や騎士は扉のそばに控えている。ベアトリスは出来るだけ彼らに聞こえないように声を落とした。


「お兄さまに言われたわ。卒業パーティーの後に婚約ですって」

「俺も聞いたよ、父から」


 ギルバートはふわりと微笑んだ。

 良かった。既定路線ではあったし、ほぼ内定だったけれども、彼にとってもこの結果は嫌ではなさそうだ。


「せっかくだから卒業パーティーのドレスを贈るよ。もう他の人の目を気にしなくてもいいんだから。どんな色がいい?」

「ありがとう、そうね…、いえ、任せてもいい?」

「わかった」


 ベアトリスはふー、と息をついて椅子にもたれかかった。いざ婚約が決まるとなると感慨深い。

 ギルバートはそんなこと全く感じていない様子でいつも通りだけれども。


「そうだ、ビーは結婚するまでは公務で忙しくなるんでしょ。せっかくだから卒業までに街に遊びに行こうよ」

「ええ?」


 ベアトリスは本当にたまにだが、ギルバートと一緒に街に遊びに行くことがあった。もちろんお忍びだ。

 ベアトリスはまだ24時間騎士がつくという状態ではないので、部屋で自習をしているふりをしてこっそり抜け出し、1時間ほど遊んで帰ってくるのだ。

 まだばれたことはない、はずだ。


「うーん、行けるかなあ」

「行ける行ける。そうだ、ちょうどサーカスが来ているって。見に行こう」


 まあ、きっと最後だしいいか、とベアトリスは了承した。本格的に公務が始まってしまえばどこにも行けなくなる。

 結婚したら今よりは自由になるのだろうか。それとも忙しくなる?

 身近に兄家族しかいないベアトリスには普通の家族の姿が正確に想像できない。だが、ギルバートが隣にいるのであれば不安ではない。


「そうだ、飴玉も買いに行きたいわ」

「いいよ、買いに行こう」


 きっと学生でいる間の二人きりでの最後のデートだ。

 ベアトリスはなにを着ていけば目立たないか、頭の中で考え始めた。


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