午後のサンドイッチ
その日、幸奈は三度目の着替えを始めた。
「これじゃちょっとフェミニン過ぎるかしら……」
鏡の中の、ピンクベージュのワンピース姿の自分をみる。
スカート部分に細かいプリーツが入っている。
「さっきの白い透け感のあるブラウスの方が良かったかしら……」
床は、着ては脱いでを繰り返した服に埋め尽くされている。
「うーん。ピンとこないわ。それにデートってわけじゃないし……」
今日は同僚の河田と、紅茶専門のカフェで食事をすることになっている。
いつもは、仕事を抜け出して、お茶をするだけだったが、今日は休日使って会うのだ。
「でも、ランチするだけだし……」
最後に幸奈が選んだのは、カーキー色のカットソーにアイボリーのパンツだった。
「……なんか、仕事のときとあまり変わりないかも……」
だが、デートをするわけではないのだ。
「ま、この辺でいいでしょ」
鏡の中見慣れた姿は、なんとなくしっくりする。
幸奈は、待ち合わせ場所に向かった。
待ち合わせ場所に到着する寸前に、河田から連絡があった。
“少しだけ遅れます”
「まぁ、しょうがないわね。いろいろ事情もあるだろうし」
“待ち合わせ場所で待っています”
返信をした。
カフェに着くと、メイド姿のウエイトレスに笑顔で迎えられる。
(か、かわいい……)
ウエイトレスは、クラシカルなメイド服を着ている。
白いリボンタイ、タックやフリルのたくさんついたエプロンにヘッドドレス。
すべてが彼女に似合っている。
愛らしいのは、制服だけではない。
艶のある長い黒髪、白い肌。大きな瞳を縁取る長い睫毛。サクランボのような小さな唇、すんなりと伸びた長い手足……。
(お人形みたい)
だが、彼女は人形ではない。
優し気に微笑んで、訪れる者を迎え入れる。
その瞳は黒曜石のように輝く。
幸奈は、彼女笑顔を見た瞬間、ほっと心が安らぐのを感じる。
人の気持ちを温かくする微笑みだ。
「あ、あの……連れがもうすぐきます」
ウエイトレスは、笑顔で席に案内をしてくれた。
囁くような声は、弾み心地よい。
幸奈は、庭の景観が美しい窓際の席に案内される。
ウエイトレスは、ゆったりとしながらも、手際よく給仕をしている。
忙しいはずだが、それを微塵にも見せない。
訪れる客たちは、彼女に好感を持っているようだ。
もうちょっと、お洒落をしてくればよかったかしら……。
幸奈は、自分の服の選択を後悔し始める。
(あんな笑顔を人に向けることができれば……)
「ううん。あの子は可愛いもの。だから、何の抵抗もなく人に笑顔が向けられるのだわ!」
幸奈は思う。
神様は不公平だ。
自分は、あんな風には振舞えない。
お連れ様をお待ちする間に……
淡い金色に輝くガラス製のテイスティングカップを、そっと差し出される。
「冷たい。それにさっぱりしていて美味しいわ」
ここまでの道のりを労われたようだ。
春摘みダージリンで作った、水出しアイスティーだと言う。
「いらっしゃいませ」
ウエイトレスの声が響く。
「あの、待ち合わせをしていて……」
河田の声だ。
「こっちですよ」
幸奈が手を振る。
「すみません。誘っておいて、遅れちゃって」
河田が頭を下げながらくる。
「いいえ。今、来たところです」
幸奈は真実をそのまま言う。
「あれ? なんか機嫌悪い?」
「いえ。別に……」
河田は鋭い。
幸奈さえ気づいていない感情を、見事に言い当てた。
ウエイトレスが注文を取りに来た。
「今日のサンドイッチは?」
河田が尋ねる。
チキンのリエット入りマッシュポテト、生ハム、キュウリ、アボガトとシュリンプ……
ウエイトレスの声が小さく弾む。
「じゃあそれで。お茶のおススメはありますか?」
河田が聞くと、ウヴァティをすすめられた。
「じゃあ、それで」
幸奈の心は、もやもやとしたままだ。
「ここのサンドイッチ食べるのは初めてだよね。美味しくて感動するよ」
河田が笑顔で言う。
「それにしても……下川さんとゆっくり話ができてよかった」
「……」
幸奈は言葉に詰まる。
何を話せばいいのか……。
「あ、あの子かわいいですね」
言ってから後悔する。
もっと、お互いを知合う会話にするべきではないか。
「そうだね」
河田は屈託なく応える。
「すごくいい子なんだ。いろいろあったみたいだけど……」
「いろいろ?」
「うん。学生なんだけど、一時休学していたんだ」
「まぁ」
あの可愛らしい姿からは、想像もつかない話だ。
「ほら、北星銀行で収賄事件があったよね? お父さんが巻き込まれていたんだ」
「えっ?」
幸奈も、その話は聞いたことがある。一時期マスコミに報道されたこともある騒がれていた。
「幸い、お父さんの無実は証明されて、今は、無事に暮らしているみたいだよ」
幸奈はほっと胸をなでおろす。
その様子をみた河田が、
「やっぱり、下川さんは優しいね」
「そんなことは……」
「ううん。誰にでも優しいんだ。係わりのある人に優しいのは当たり前だけど、下川さんは、誰にでも温かい気持ちで接するよね」
河田が笑う。
「そんなことは……」
そんなことを言われたのは、初めてだった。
『今日のサンドイッチ』が届く。
「美味しい!」
幸奈がいままで食べたことがない味だ。
「うん。お茶もポットできているし、今日は休日だからね。いろいろなことを、話そう」
河田が笑顔で言う。
「ええ!」
幸奈が笑顔で応えられたのは、美味しいサンドイッチのせいかもしれない。
そう思った。