77.そんなもの、さっさと折ってしまえばいい
感傷に浸っていると、耳元でノイズが発生する。
「無視をするな!」
右耳を押さえながら、最大限顔を歪めて振り返ると予想通りの人物が後ろに立っていた。
義弟さんだ。
聞こえてて無視していたんだから、そこはスルーして欲しかったのだが、彼に私の思いは通じなかったらしい。
「だって私、おいって名前じゃないですし」
「メリンダ=ブラッカー! これでいいか!」
「なんです、義弟さん」
「義弟さんって呼ぶな! 俺の名前は義弟さんじゃない!」
「そうなんですか? あいにくお名前を存じ上げないものでして」
本に載っていた名前が彼と同じなら、ジェラール=シャトレッドなのだろう。
だがあの本に記載されている内容には間違いが多い。実際、義弟さんの項目に書かれていた人物像もイラストも現実の彼とはかけ離れている。だから義弟さんが本の彼と同じ箇所が存在するという確証が持てない。間違えかもしれない名前で呼びかける訳にはいかないのだ。
「知っているくせに生意気な」
「自己紹介もされてませんし知りませんよ」
「兄貴から聞いているだろう!」
「いえ」
「……本気で言っているのか?」
「嘘言っても仕方ないでしょう」
エドルドさんは義弟さんのことを『彼』もしくは『義弟』と呼ぶ。
今のところ一度も名前を呼んだ所に出くわしていない。
わざわざ紹介するまでもないと思っているのか、私が持っている義弟さん情報はひどく限定的なものである。
「…………ジェラール=シャトレッドだ」
「ジェラールさんですね。今度からお名前で呼ばせて頂きます」
「ジェラール様だろう! お前には淑女としての自覚はないのか!」
「おいだのお前だの呼ぶような方に付ける『様』なんてありません。そんなもの、私がすぐに素揚げにして食べてしまいますから」
「おおおお前はあああ」
様の素揚げって美味しいのかな?
義弟さんについていた様だったら横暴そうだから、苦いばっかり苦くて美味しくなさそうだ。
第一、なぜレオンさんにもエドルドさんにも、ましてや会ってすぐに貴族だと判明したガイナスさんにも付けていない敬称を義弟さんもといジェラールさんにつけなければいけないのか。そもそも彼が私を『淑女』認定していたことが驚きだ。
私を淑女扱いしているのならば、耳元で叫ばない、雄叫びをあげないを徹底して欲しいところだ。
「ところでジェラールさん」
「話を変えるな!」
「初めから本題に入らないなんて珍しいですね。今日は一体どんなご用ですか?」
「ああそうだ、忘れる所だった」
「忘れるような用件なら帰ってください」
「メリンダ=ブラッカー。お前、この前の週末、兄貴とデートをしたそうじゃないか」
「……その情報、どこから聞いたんです? デートじゃなくて買い出し、いや、ウィンドウショッピングなんですけど」
「どこでもいいだろう! 一体、何を贈られたんだ」
「だからウィンドウショッピングなので特に何も……いや、翌日にシーリングワックスをもらいました」
「シーリング、ワックス?」
「シーリングワックス」
「それは……一体、どういう意味があるんだ?」
ジェラールさんはいくつか瞬きをして、ゆっくりとガイナスさんの方を向いた。
なぜか話を振られたガイナスさんは頬をポリポリと掻く。
「普通に考えれば手紙が欲しいって意味なんだろうが、一緒に暮らしているんだろう?」
「まぁ下宿させてもらっているので。それに手紙を送る相手はレオンさんですよ。レオンさんにお手紙送る時に使うんです」
「お前、そういって俺をだまそうとしているんだな! 兄貴がデートした相手にそんなものしか贈らないとは考えられない。アクセサリーや服の一つでももらったんだろう!」
なぜジェラールさんは怒っているのだろうか。
沸点が低すぎるのか、私が知らぬうちに地雷を踏んでしまっているのか。
私が知らないだけで、貴族の男性は女性をデートに誘ったらアクセサリーか服を贈らなければいけないというルールでもあるのだろうか。だとすると断ってしまったことでエドルドさんの貴族男性としてのプライドを傷つけてしまった可能性がある。
「まぁ買ってくれるって言ってましたけど、断ったので」
「断った?」
「師匠、さすがにそれは冗談だろう?」
「だって使わないし、あんまりオシャレに興味もないし」
お菓子の入った可愛い缶詰なら中身も美味しく食べ終わった上で、ペン立てや手紙入れにでも使えるが、アクセサリーや服は使うか愛でるしか出来ない。使わない・愛でることもしないものなんて必要ないだろう。折角職人さんやお針子さん達が丹精込めて作ってくれたのならば、私みたいなのではなく、ちゃんと大事にしてくれる人の手に渡った方がいい。
私にはレオンさんとお揃いのミサンガがあれば十分なのだ。
「……本当にお前、女なのか?」
今度は信じられないものを見るような視線を向けるジェラールさん。
なぜかガイナスさんまで同じような目でこちらへ何かを訴えてくる。
いつの間にか1対2になってしまっている。男女で考えが異なるのだろうか。
だがこれだけは伝えたい。
「世界中の女性全員が全員宝石やドレスに興味があると思わないでくれます!?」
一概に女性と言っても好みは様々。
私のようにオシャレよりも食い気の女も存在するのだと。
固定観念で凝り固まった物差ししか持っていないなら、さっさと折って次のものを手に入れればいい。
職人の道具でもあるまいし、生涯一本を使い続ける必要なんてないのだから。
「頭が痛い……」
アクセサリーなどに興味を持たぬ女性との遭遇は初めてだったのか、ダメージを受けたジェラールさんは頭を抱えて中庭を後にした。残ったガイナスさんは何事もないようにノートを閉じて立ち上がった。
「師匠。俺、次は着替えなきゃだから。そろそろ行くな」
「ごめんなさい。行ってらっしゃい」
「じゃあ、また次の授業で」
ガイナスさんはお弁当をまとめ、中庭を後にする。
残された私は残りのお弁当を口の中に放り込み、教室へと急ぐのだった。




